第2話(`・∀・´)父島
俺の住んでいる小笠原諸島の父島は、東京都心から南南東に1000キロも離れた太平洋上に位置している島だ。言っておくが東京都に属している自治体である。しかし東京港に向かうには、船で24時間近く必要なのだ……。
それゆえ俺は生まれてこのかた18年、一度も本州の土を踏んだことはない。もちろんチャンスは何度かあったのだけれど、風邪を引いてしまい尽く機会を逃していた。そんな不運を笑う奴がいるので困ったものだ。
「鉄道を一度も見たことない奴なんてお前ぐらいだぞ〜石見。日本でも貴重な若人だ〜。あはは!」
友人の岩井は、何度か本州の土を踏んだので島の外を知る男だ。だがそんなことで優越感を抱くとは実に小さい男じゃないか。タッパが180センチもある奴だが、人としての大きさはナノスケール。
「うっさいな……。鉄道ぐらい見てなくても何も困らないだろ。原付きの免許だってこの島で取れる」
岩井の阿呆なんぞに舐められてたまるかと勢い反論したが、墓穴を掘ってるだけの気がしないでもない。
3月某日。高校の卒業式を終えて数日後のこと。
俺と岩井は二見港を訪れていた。船着き場は、東京に向かう定期船を見送る大勢の人達で賑やかだ。今日は実に良い天気で、海面がキラキラしている。まるで島を出る若者達を祝福しているかのようだ。
「じゃあな石見!岩井!」
定期船の甲板から、俺達に向かって同級生達は手を振っている。アイツら……本当に島を出るんだな。ずっと同じ島で育ってきたのに。
「じゃあなあああ!たまには帰ってこいよぉぉぉ!」
俺の渾身の叫びは奴らに届いただろうか?島に残った俺達の気持ちなどお構いなしに船は出港し、水平線の彼方へと消えていった。海の向こうの東京が、未来に羽ばたこうとする若者たちを待っていることだろう。
「アイツら行っちゃったな〜。石見」
「うん。行っちゃったな」
「お前はこれからどうすんの?」
「……」
岩井は島内での就職が決まっている。イルカを見るツアーのガイドの補佐だったと思う……あまり触れたくない話題なのでよく聞かなかった。
岩井と別れた俺は、寂しい気持ちで家路につく。自分の部屋に戻り、横になって壁に貼った日本地図を眺めた。しっかし……地図上でみると小笠原諸島自体、絶海にポツンと存在してるもんだ。
ところで俺は4月から何をするのか?
会社に勤めて観光客相手のガイドをやる……って全くの嘘。ホント言うと無職。だが無職というのは無慈悲すぎてイマイチ響きが良くない。せめてフリーターという肩書は欲しいところだ。
待てよ。ここはいっそのことユーチューバーでもなろうかな?離島と言えど、徐々にネット環境も充実してきたし。
今にして思えば俺は呑気なもんだった……。この世界が激変するなんて夢にも思っていなかった。
○○○
夏のある日。俺と岩井の2人は浜辺に座って、ボーッと水平線を見つめている。
「なあ石見。本当に世界は滅んじまったのかな?」
「さあな……。分かんねえよ」
仲間達を見送ってからはや4ヶ月が経つ。季節はもう夏だ。だがこの僅か4ヶ月で人類社会はあっけなく崩壊してしまった。全人口の9割9分は既に死滅し、人間は絶滅寸前と言っても良いだろう。
今でも信じられない。仲間たちを見送ったのは、ついこの間だというのに……。
「アイツら、出発がもうちょっと遅ければ助かったのによ……」
砂を掴んで岩井は軽く浜に投げる。空は薄曇りで波は穏やか。ここから見る海の眺めは平和そのものだ。
「俺たちは運がいいよな。島に残ったからケッタイな病気とは無縁だ」
人類の大半を死滅させた犯人の正体は、前代未聞の伝染病だった。何しろ致死率が100%に達するというから常識を超えている。『新黒死病(NWE PAGUE)』と名付けられたこの伝染病は、後にウイルスが原因だと判明する。
(ちなみに黒死病自体はウイルスとは無関係だ。だが社会そのものを破壊してしまう恐ろしさは共通していたので、新たな伝染病は『新黒死病』と名付けられることになる)
だがそれは実に奇っ怪なウイルスだった。人間を死に追いやるのみならず、その屍にすら影響を与えるというから前例がない。新黒死病で命を失った人間の屍は、再び動き出し、生きている人間を襲い始める。ハッキリ言えばエサと認識して食ってしまう。
あまりの変わり種で、ウイルスの再定義が必要になるほどだったが、残念ながら研究者達には悠長に議論する時間などなかった。
『新黒死病』がもたらすパンデミックを抑え込むことは何者にもできず、全世界は地獄と化してしまった。
俺は立ち上がって、足についた砂を払う。
「東京の方はかなり酷かったらしいぜ。何しろ新黒死病の発祥地だもんな。まだ生きてる奴いんのかな?」
「さすがに0ってことはないだろ。いや0人かもしんないけど……」
災厄の始まりは4月の東京駅だった。
世界で最初の新黒死病感染者と言われている人物は、ロシア帰りの日本人だった。彼の足取りは詳しく分かっていないが、構内のベンチの上でひっそりと死亡していたという。推定死亡時刻は4月15日の午後2時半。だが彼がまさか死せる食人鬼に変貌するとはこの時は誰も思わなかった。
「呼吸なし、脈無し……。瞳孔は開き、硬直がはじまっている。警察に引き継ぐ案件かもしれんが、やはり一度、医療機関に運ぶことにしよう」
駆けつけた救急隊員達が亡骸を担架に乗せようとした時に異変が起きる。亡骸が、突然動き出して隊員に噛み付いた。腕を噛まれた際に隊員は担架の持ち手から手を離してしまう。そのまま亡骸は地面に落ちてしまうのだが、ソイツは立ち上がって駅の利用者達を次々に襲っていく。最終的に鉄道警察が出動して取り押さえることになった。この時点で噛まれた人は8人に及んでしまった。
これが史上初めて発見されたゾンビだ。亡骸は縛り付けられて警察に運ばれたが、その後どうなったのかは分からない。「縛ったまま火葬して処分した」というのが定説になっている。
この恐怖のニュースは日本全体、いや世界全体を震撼させることになる。しかし実際のところ、『新黒死病』がもたらす災害の巨大さはなかなか想像できなかった。
もちろん政府も医師たちもただ手をこまねいていいたわけじゃない。必死にウイルスを解析しようとしていたが、あまりにも感染スピードが早く間に合わなかったのだ。製薬会社が大量をワクチンを製造して配布するには時間がなさすぎた……。
奇妙なことに、この不気味な病は日本だけでなく、世界各地でほぼ同時に発生していく。そして……世界は3ヶ月もかからずに、あっさりと崩壊することになる。
ただし父島を除いて。
全人類の大半が死に絶えてしまった今でも、絶海に位置する父島は未だ『新黒死病』の直接的影響は受けていない。週一の定期船だけが、この島と外界をつなぐ交通手段だったことが幸いした。定期船を止めるだけで『新黒死病』の父島上陸を阻止することができたからだ。
お陰で島に残っていた俺と岩井も、大災厄から逃れることができたのだった。
しかし喜んでばかりもいられない。人類社会が崩壊してしまった影響は大き過ぎたのだ。
6月末まではテレビ放送が維持されていたが、今はもうテレビは見れない。そもそもテレビに電力を供給する発電所が停止している。ただし海外ではまだラジオ放送は継続されている国があったので、この頃の我々だって短波ラジオで僅かながら情報を得ることができる。
とりあえず父島は無事だと胸を張って言えるが……我々も困窮してるのだ。何しろ外部から物が入ってこない。そのせいで5月には岩井の奴も職を失った。もはや観光業など成立しないのだから、収入を得る手段などない。
暇になった岩井と俺には、大村海岸の砂浜に座ってダベる時間だけはいくらでもあった。先週もここで時間を潰していた。
「3年間の休暇が貰えたって?聞いたことねえよ岩井!あはははは!あっははははははっ!」
「はしゃぎやがって。大変なんだぞこっちは」
軽い天然パーマの入った髪の毛をかきあげながら、岩井は呟く。
「だから俺さ。明日から叔父さんの唐辛子畑で仕事を手伝うことになったんだわ」
「あ〜そう!良かったな。全面的に応援してやるよ」
「お前、絶対どっかでザマァとか思ってるだろ!?」
俺は笑顔で奴の肩に手を乗せる。笑いすぎて涙が出てたかもしんないけど。
「違うよ〜岩井ちゃん。仲間じゃないか〜俺たち。アハハハ!」
「ちっ。笑ってる場合じゃないだろうに。本当に気楽な奴だよなあ石見は」
そりゃ誤解だよ岩井。俺だって本当は分かっちゃいるんだ……。でも今はまだ深く考えたくなかっただけさ。どう考えてみたって俺たちの未来は暗い。あまりにも暗すぎる。
大村海岸からの帰り道、村役場の前に置かれた短波ラジオに人だかりができていた。その中に親父がいて、俺達の姿を見つけるなりと大声で呼んだ。
「大変だぞお前たち!」
「どしたの親父」
「なんと米露両政府が同時に水爆を使用してしまったとよ。流行が酷すぎて収集がつかんらしい」
俺たちは顔を見合わせて呆然とする。
「マジで岩井?」
「俺は知らんぞ!」
海外放送局のニュースによれば、既にゾンビの街と化してしまったロサンゼルスとサンクトペテルブルクは水爆によって消滅させられたとか……本当かよ?
なにしろ混乱が行き過ぎて、何が真実で何がデマなのかまるで区別がつかないこのご時世だ。ニュースと言えど鵜呑みにするわけにはいかないな。
(残念な事に父島に駐在していた自衛隊員の方々は、5月の時点で中央からの救援要請に応えて全員が本州に向かってしまった。そしてその後の消息は不明である……)
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