7-4

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────────────────────────────雨の匂いがした。


耳に響いてくるのは、雨音。


重いまぶたを開けると、見えたのは、木造りの天井。

見知らぬ部屋。


……八畳ほどの和室、だった。


僕は、布団の上に寝かされていた。


〔……ン、起きたか〕


荒っぽそうな、だが、柔らかな響きのある声がした。


部屋の壁を背に、女のひとが、無雑作むぞうさに座っていた。


女のひとは、ひょい、と立ち上がると、僕のほうに近づいてきた。


服装は、白のブラウスに、ジーンズ。

大柄だが、均整の取れた体つき。

綺麗な顔立ちで、栗毛色の長い髪は、後ろで束ねられていた。


全然似てないのに、僕はこの女のひとに、不思議と、母さんと同じ雰囲気を感じた。


〔痛むか? つーか、立て。痛くても立て男の子。ほれ〕


現状を把握する暇もなく、僕は女のひとに、布団から引き起こされた。


体に痛みはなく、動くことに支障はなかった。


銃で撃たれた全身は、〈人外アーク〉の超回復能力により、完全治癒ちゆしていたのだ。


だがやはり、女のひとにき立てられたせいで、その時は、そんなことに気を配る余裕はなかった。


押されるような、支えられるような感じで肩に手を回され、別の部屋へと、連れていかれた。


歩いていくうちに、混乱していた記憶が、頭の中で整理されていった。

街への買い出し、見知らぬ女の子、大型の車、黄昏の花畑、銃声………………。


そして完全に、記憶の欠片をすべて並び終えたところで─────ある部屋にたどりついた。







通されたその部屋の奥に、白いモノが、横たえられていた。







子供だった僕の目には、その部屋、その空間そのものが、非現実的なものに見えた。


だが、わかっていた。

わかっていたが、知りたくなかった。


全身が、すくんだ。


それを見透かしたように、女のひとが、僕の両肩に手を置いて、囁いてきた。


〔…………さあ、母さんに、おわかれを言わなきゃ─────な〕


心臓が、止まりそうになった。


そう。

部屋に横たえられていたのは、母さんの亡骸なきがらだった。


その顔には、白い布がかけられていたが、もう、わかってしまっていた。


女のひとに優しく背を押され、のろのろと足を動かした。


それから、母さんの亡骸、その傍らに、力なく座りこんだ。

女のひとが、母さんの顔にかけられた白い布を、取り払った。






















あらわになった母さんの顔を見て、わずかの間、思考が止まった。


悲しいはずなのに、涙は出ず。

嗚咽おえつもこみあげてこなければ、震えもせず。


ただただ、母さんの死に顔を、見つめ続けた。


……そのはずだが、その顔を、はっきりと視覚できなかった。


そうしているうちに、胸の奥底で、また、暗い種火がともるのを感じた。

止まったままの頭とは裏腹に、黒いそれが、どんどん膨れ上がっていった。







ユルセナイ

────────────────────────────────何を?

ユルサナイ

────────────────────────────────誰を?







かくたる答のないまま、胸の暗い炎が、大きくうずを巻いていった。

だが逆に、かくたる心は、凍りついていった。


次第に、母さんの顔、視界に入るなにもかもが、別のモノに見えはじめた。




こんな世界なんて。

こんな世界なんて。

こんな世界なんて。

こんな世界なんて。

こんな世界なんて。

こんな世界なんて。















そう、はっきりとした答が浮かび上がったとき。


女のひとが、僕を後ろから抱きしめてきた。


〔───────────────誰も憎むな、なんてなぁ、言わねえよ〕


女のひとの言葉が、凍りかけた僕の心に、突き刺さった。







それは、いつか母さんから教えられた言葉とは、まったく真逆のこと。







〔おまえの真実きもちは、おまえだけのものだからさ〕


そう言って、女のひとは、僕の頭に、優しく手を添えてきた。


〔おまえが〈人外アーク〉だってことを知らせた誰かを恨んでもいい。教会に踏みこんできた連中を恨んでもいい。なんなら、助けにくるのが遅れた、オレを恨んでくれたっていい。けどな……〕


ぎゅ、と、女のひとは僕を抱きしめる手に、力をこめた。








〔おまえが見知らぬ子を助けたのは、絶対に間違っていない〕







女のひとは、僕の顔にほほを寄せて、断言した。


〔だから、せめて、自分のことだけは、許してやりな──────────〕


ああ、と。


女のひとの言葉に、気づかされた。


僕が許せなかったのは、世界なんかではなく。

僕自身の、存在そのものだったということに。


そして、僕は、おそるおそる、口を動かしていた。




─────ても、いいですか




〔んー?〕


女のひとが、ぶっきらぼうに、聞き直してきた。

僕は、もう一度、喉から声を絞り出した。







─────僕は、生きていても、いいですか







女のひとは、痛いくらいに僕を抱きしめて、言った。







〔当たり前だ、バカめ〕







女のひとの言葉を聞いて──────────ようやく、僕は、泣くことができた。




そのとき僕を抱きしめてくれた女のひとが、僕の、師匠。


母さんとは、親友だったそうだ。

母さんの葬儀を済ませたあと、僕は、師匠と一緒に崑崙コンロンへ向かうことを選んだ。


それからは、ただひたすら、師匠のもと、崑崙コンロンで、修行の日々。


とにかく、強くなりたかった。


運命を変えられるだけの力を得るため、なんて、おこがましい望みはなく。

ただ、せめて、僕の手が届く、世界の、ほんの一端。

その、ささやかなものくらいならば、絶対に守れる力が欲しい、と。


そうして七年、崑崙で過ごしてから、師匠に連れ出され、世界中を放浪して回った。

それもまた、修行の一環。

人外アーク〉の絡んだ悪事を叩いて回る、ちょっとした、世直しめいた旅。


いろんな場所へ行き、様々なものを見た。

得難えがたい経験をした。

……人間の心の、暗く、醜い部分を目の当たりにする事が、何度もあった。


その度に、もっと強くなりたい、と思った。

強くなればなるだけ、そのぶん、誰かの悲しみを減らすことも、できるのではないかと──────────。







〔おまえは、ボヘミアンだな〕







いつのことだっただろう。

そんな、背伸びを続ける僕の心を見抜いて、師匠が僕に、そう言ったことがあった。


───────ボヘミアン?


〔絶対に見つかるはずのないものを、永遠に探し続ける、大バカ者のことだ〕


───────おかしいですよ


〔うん?〕


───────見つからないかどうか、それは、その探す本人にしかわからないんじゃないですか?


〔かもな〕


───────だったら………


それを愚かというのは、あまりに無情であろうと。

つい、むきになって、訊き返していた。


師匠の言い方が、いつもの豪胆な師匠らしからぬ、悲観的なものに思えたのだ。

師匠は、困ったような、寂しいような笑みを浮かべて、言った。




〔だからさ。話のキモは、探す本人も、、ってトコだよ…………〕




ま、オレはそういう大バカが好きだけどな。

師匠はそう笑って、それで、話を切り上げた。


……………………………………本当は、わかっている?


僕も、わかっている?


────────どれだけ強くなっても、世界の悲しみを、減らすことはできない、と?


そもそも……僕は、強くなれたのか。

それも、よくわからないが。


なにかを変えられたか、と問われれば、それは、言葉に詰まるしかない。

そんなにたやすく、なにかを変えることなど、できはしなかった。


人間であるとか、〈人外アーク〉であるとか、そういうことは、問題ではなく。


師匠と一緒に、世界を旅して回って………自分という存在の無力さを、思い知っただけだった。


だけど、旅するのをやめて、立ち止まることも、できなかった。

世界の悲しみを減らすことができなくても。

それでもきっと、なにかを成せるはずだと。


…………ああ─────────────確かに、師匠の言うとおり。







理想ねがいが叶わぬことを悟りながら、信じ続けている。







まるで、彼方かなたの星を目指すような、果てのない旅路いきかた

おろかさを通り越して、破綻くるってしまっている。




〔どうしても行くってんなら、オレはもう、おまえを、弟子とは思わねえ〕




そんな旅路いきかたの途中、師匠との、ちょっと切ない別れもあった。


しかし、それから、孤独ひとりになっても、旅路を変える理由は欠如したまま。


また、それを埋める気もなく───────かたくなに、自分の旅路いきかたを貫き続けた。


理想ねがいを諦めるのが、悔しいからではなく。

理想ねがいを裏切るのが、哀しいからでもない。







理想ねがいから目をらさずに、生きていたい。







ただ、それだけのこと。


それだけが、僕の中で、どうしようもなく在り続ける、純粋な真実きもちだった。


だから、その旅路いきかたの末に、得るものがなにもないとしても、構うことはない。

むくわれることが、理想ねがいではないのだから。


他人だれかから見れば道化のような、そんな旅路いきかたなら、誰の理解も、祝福もなくて当然。

ましてや世界は────────。







──────────人々せかいは、あまりにも残酷で、痛い。







しかし、だからこそ、他人だれかの悲しみを減らしたいと。


他人だれかの想い…………他人だれか希望あした────────他人だれか景色しあわせを、守りたいと願った。


誰も傷つかない。

そんな都合のいい幻想ゆめは、存在しない。


だとしても、理想ねがいを持つ僕は、現実いきている

現実いきているなら、可能性できることやりとげるだけ。


そうして生き続ければ、この理想ねがい真実きもちが、虚構みえないものにすぎなくても────────きっと、残せるものがあるだろう。


この手には、なにも残らなくてもいい。

僕の景色しあわせは、すでに失われてしまったけれど────────。


…………その残滓おもいでは、ずっと、僕の中に、り続けるから。


────────そして目に映るのは、あの黄昏。






落ちゆく陽の光に満ちた、黄金の園。

咲き誇る、黄水仙たち。


花々の狭間に立つ、女のひと。


飾り気のない、青いドレスを着て。

風になびくのは、長い、銀色の髪。

そして、黄昏の光を映す、青い瞳。


女のひとが、天使のように微笑んで────────。






────────────────その姿、その光景。


ありえない組み合わせに、胸を突かれる。


違う。

あのひとと契約を交わした場所は、暁の断崖。


……これは────────何故?


戸惑って、自問する。

残滓おもいでにない光景ならば────────それは、我知らず、思い描いた、心の輪郭かたち


………………………………………………………………………ああ、そうだったのか。

ようやく、気づいた。







僕は、姫様のことが────────────────。







胸の奥で、熱が生じる。


それは、炎。

だが、あの夜のような、怒りと憎しみに満ちた、暗い炎ではない。


────────この炎はきっと、誰かをただ一心に想うときに生まれる、祈りにも似た、純粋で、激しい衝動かんじょう


……………………目指す場所は、彼方より遠く。

いつ、どこで終わっても、未練おもいのこしのない旅路いきかた


けれど、自分の中の、もうひとつの真実きもちに、気づいてしまった。

それは、未練おもいのこしというには、あまりに大きな願望のぞみ


────────自分には、残滓おもいでしか、残っていない。

………そう思っていた僕にも────────そんな真実きもちが、あったのだ。


なら、もう、やるべきことは、決まっている。







現実いきているからこそ、紡がれるつながりを、守りに行かなくては。







ずっと、笑顔しあわせでいてほしい、誰か。

決して失うわけにはいかない、大切な、誰か。

その誰かのために戦うのなら───────────

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