7-3
肉を割り、骨を砕き、怪人の
衝撃と、形容不可能な激痛に、体がのけぞった。
心臓を、
「ニフシェぇぇえええええええええええええ───────────────!」
しいらさんの叫び声が聞こえた。
だが、それは、彼方からの呼び声のようだった。
─────女のひとに泣かれるのは、やっぱり、苦手だな。
頭の片隅で、そんな呑気な考えがちらついた。
けれど、すぐに、意識が薄れていく。
なにもかもが、空になっていく。
視界までも、霧がかって、ぼやけていった。
その代わりに、心を満たし、虚ろな目に映りだしたのは……。
──────────思い出の中にある、あの、黄金の景色。
*
生きてるんだから、怒るのは当然です
でも、人を憎んではダメ
誰かを憎めば、心の柔らかいところが、減っちゃうの
そこが減るとね、人は、人を許すことが下手になって
どんどん、どんどん、心が硬くなっていって
最後には、誰も許せない人間になってしまうの
そんなの、悲しいでしょう?
人を許せるのは、同じ、人だけなんだから
……神様?
そうねえ………神様は、人を───────────────
*
──────────僕が世間に〈
幼い頃の僕は、人間社会と隔絶するように、母さんと、神父の爺や、そしてその家族に育てられていた。
僕が生まれて、七年間。
街外れの教会で過ごす、ささやかな善意に守られた、穏やかな日々。
……その頃には、自分が、普通の人間とは違う、ということは、きちんと理解していた。
自分を取り巻く、世界のことも。
母さんたちの教えのおかげもあったが、子供ながらに、感じていたのだ。
普通の人間は、得体の知れないものを認めず、否定する──────────。
だから、隠さなくちゃいけない。
自分が〈違っている〉ことが、周りに知れたら、すべて、失ってしまう。
自分が大切に想っている、すべてを……………………。
だけど、秘密にしている限り、平和な日々は、続いていく。
幼い僕は、そう信じていた。
それは、危うい
その
人目を避けて生きる、と言っても、外界と完全に隔絶して生活するのは、不可能だ。
食糧や、日用品などは、定期的に、街へ買い出しに行かねばならなかった。
僕に、分別がつくようになった頃から、母さんは、その買い出しの際に、僕を連れ出すようになっていた。
街の様子を見せることで、人間社会の有り様を、学ばせたかったのだろう。
人の、街。
普通の子供なら、見るもの、触れるものに、心踊らせるものなのだろう。
しかし、その頃の僕は、街に行くことが、好きではなかった。
人々の喧噪は、賑わっていると言うには、乾いたものに聞こえ。
その街並みは、豊かと言うには、なにか、
そうして、いつもと変わりなく、買い出しに行った─────あの、春の日。
何事もなく買い物は終わり、母さんと、教会に帰る途中のことだった。
同年代の子と遊ぶことがまったくなかった僕は、それを少し
その、直後に。
〈
女の子達のボールが、大きく逸れて、道路側に跳ね飛んでいく音と。
ボールを追って、走っていく女の子の足音。
……そして、ボールが落ちた地点へと、勢いよく曲がり来る大型車輌の、駆動音を。
弾かれたように振り返ったその目に、大型車が、女の子へ激突する寸前の光景が、飛び込んできた。
─────けれど、僕の体は、即座に動いていた。
七歳の子供といえど、〈
女の子を抱きかかえ、間一髪で、向かい側の歩道へと、飛び移った。
女の子は、何が起こったのか理解できなかったようで、拾ったボールを手に持ったまま、呆然としていた。
……顔を見られちゃダメだ。
そう思った僕は、素早くその場から離れた。
母さんを置いて。
そうするしかなかった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう──────────!
混乱して、街を走り続ける僕は、ひどい胸騒ぎを覚えていた。
正しいことをした。
そのはずだった。
でも……………………本当に?
胸の中で、際限なく膨れ上がっていく、焦燥感。
実体のない何かに追われるように、僕は、走り続けた。
母さんは、どうしただろう?
事故が起こりそうになった場所で、僕を待っているのだろうか?
あの場所に、戻る?
それはダメだ。
ほんのわずかな間の出来事とはいえ、目撃者は、大勢いただろう。
そこへ戻るのは、自殺行為だ。
教会に──────────家に、帰る?
帰っても、大丈夫だろうか?
わからない。
どうすればいいのか、何処へ行けばいいのか、わからない。
走るのをやめても、足を動かすことは、止めることができず。
街の中を、往くあてもなく、ただ、
…………………………………………しかし、結局、何処へ行きようもなく。
時は、夕暮れ。
斜陽の光を浴びて輝く、八重咲きの黄水仙たち。
教会へ至る、その花畑の道を、僕は、歩いていた。
足取りは重く、胸は、不安で締め付けられるよう。
怖い。
このまま帰ってもいいか、わからないことが、怖い。
不安と恐怖を抱えながら歩く、その道の先に──────────。
母さんが、立っていた。
春の匂いが満ちる、黄昏の光景。
その景色と溶けこむように、母さんは、たたずんでいた。
いったい、いつから、僕を待っていたのだろう。
僕を信じて、ただ、ずっと、そこで………………。
──────────穏やかな風が吹いた。
母さんの長い髪が、ふわりと揺れる。
母さんが、僕に微笑んだ。
それから、母さんは、ゆっくり歩み寄ってくると、かがみこんで、僕を抱きしめた。
包みこむような、優しい抱擁。
その、母さんの温もりが、僕の不安と恐怖を消し去ってくれた。
…………………ああ、帰ってきて、よかったんだ。
幼い僕は、それだけで、安堵してしまった。
一時の感情はかき消えたとしても、僕が〈
……その夜。
しばらくの間、母さんと僕は、教会を出て、街から離れたほうがよい、という話になった。
話の原因たる僕は、皆に申し訳なく思っていたが、教会を出て行くことに、心残りはなかった。
母さんと一緒にいられるなら、不安も未練も、感じなかったからだ。
今にして思えば、なんと幼く、楽天的だったことか。
その時既に、街を離れる機は、
街を出る
……その時代には、すでに、〈
つまりは、そういうこと。
警官達は、荒々しく教会中を探ったあとで、僕を見つけたようだった。
大人しくしていれば、悪いようにはしないから。
警官達は、表面は穏やかに、そんなことを口にした。
その言葉に、子供ながら、嘘を感じた。
けれど、母さん達に危害が及ぶのが嫌だったから、じっとしていた。
警官の一人が、僕の両手に、手錠を掛けた。
子供の僕に、だ。
それは、我慢できた。
しかし。
警官達は、母さん達までも、乱暴に拘束しだした。
教会の住人を、次々に礼拝堂へ引き立てると、その場で尋問をはじめた。
奇しくもそこは、人が、神に祈りを捧げる場所。
おかしい、と思った。
突如として、いくつもの感情が、僕の心にわき起こっていた。
……最後に、礼拝堂に連れてこられたのは、爺やだった。
〔坊っちゃま……!〕
僕の身を、案じたのだろう。
僕の両手に手錠が掛かっているのを見た爺やが、低く叫んだ。
その動きが、唐突なものだったせいか。
警官の一人が、爺やの背中を、銃底で激しく叩きつけた。
その勢いで、爺やは、床に倒れこんでしまった。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
その時、わき起こっていた感情の数々が、ひとつの方向性を持って、爆発した。
思えばそれが。
生まれて初めて誰かに抱いた、怒り、だったのか。
僕は、手錠を引きちぎり、近くにいた警官の下腹部を、力任せに殴り飛ばしていた。
装甲服を着ていたらしいが、〈
突風に飛ばされた紙きれのように、警官の体は、宙を舞った。
他の警官達がそれに反応するより早く、僕は、傍にいた別の警官の足を、蹴りつけていた。
加減なしの蹴りは、警官の足を、ありえない方向にへし折っていた。
絶叫が上がり、警官の体は、傾き崩れた。
僕は、その腕を両手で掴んで、警官を、壁のほうへ投げ飛ばした。
簡単だ。
激情に突き動かされながらも、そんな感想を抱く、
これなら、こいつらみんな、やっつけてしまえば…………!
そう、光明を見いだした気になったとき。
銃声が、聞こえた。
わずかに遅れて、胸に、熱いものを覚えた。
気づけば、体は、大きくのけぞってしまっていた。
だが、撃たれたのだ、と自覚するのに、半瞬とかからなかった。
胸に生じた熱が、その半瞬のうちに、言語を絶する激痛へと変わった。
人間の子供なら、即死だっただろう。
けれど、僕には、〈
そして、それより、なにより。
幼さ故の純粋な怒りと……母さん達を助けなければ、と、想う使命感。
それらが、壮絶な痛苦を、上回っていた。
衝撃で揺らいだ体を、のけぞりざま、空中で身をひねり、一回転。
すぐに、動ける体勢を整えた。
しかし、その、眼前に。
僕を抱き取ろうとするように、母さんが飛びこんでくる姿が見えて──────────。
再び、銃声が聞こえた。
こちらに両手を差し伸べようとした姿勢のまま、母さんの体が、下へ沈んでいった。
〈
母さんの唇が、声を発すること叶わず、動くのが見えた。
ニフシェ、と。
そのまま──────────母さんの身体は、床の上に、倒れ伏した。
立て続けに、銃声が重なった。
弾丸が、次々に、僕の身体を撃ち抜いていった。
今度は、どうすることもできずに、僕の身体は、衝撃で後方へ吹き飛ばされた。
…………衝撃により吹き飛んだ先は、祭壇の前。
天を仰ぐように、背中から、床へと倒れこんだ。
──────────超回復能力を持っているとはいえ、即座には、指一本、動かすことができなかった。
撃ち抜かれた箇所の肉は弾け、抉られ、全身、死の苦痛に、まみれていた。
視界は混濁し、記憶は、瞬間的な混乱を繰り返した。
おびただしい血を流しながら、無力に横たわる僕の耳に入ってくるのは、怒声と、雑音。
負傷した痛みとは別に……それらが、心に障った。
許せなかった。
それらは、教会で聞こえてはいけない音。
大切な家に、在ってはならない音だった。
────────────────────胸が、異様に熱かった。
その熱は、銃で撃たれたことによるものではない。
魂の奥深い場所から生じる、負の感情。
純然たる憎悪、ただ■■の死を渇望する漆黒の炎。
それが、胸の中で荒れ狂っていた。
そして、その暗い炎の狂乱が、僕の身体の根源で眠っていたものに、火を入れてしまった。
■■てしまえ
……僕の意志とは無関係に、僕の体は、ゆらりと立ち上がっていた。
警官達が、祭壇を背に立った僕に、銃口と、恐怖の眼差しを向けてきた。
僕の目には、警官達の姿が
だが、見ていなかった。
すべてのものを、テレビのモニター越しに眺めているような視覚。
もはやこのとき、人間としての意識はなく。
また、おのれの身に宿る〈力〉に対する自覚など、ありはしない。
僕は、本能と、黒い
容赦なく、見境なく。
警官達から────を────し尽くした。
…………まるで、積み木崩し。
次の瞬間、喘ぎ、苦悶の表情を浮かべて、警官達は一斉に、倒れていった。
だが、その光景を見ても、僕の中の黒い衝動は、消えなかった。
獣の叫び声が聞こえた。
その声を発したのは、僕だった。
直後、雷が
理性のたがが
振り上げられた僕の拳は、床に倒れている警官の頭を狙っていた。
……その右腕に、一瞬、隕石でもぶつかったかと思うような衝撃が襲った。
衝撃と痛みがあったのは、本当に一瞬。
そのあと、濁流に流されるような勢いで、身体が、右腕から後ろへと、引っ張られた。
後ろから、何者かに腕を掴まれ、引き寄せられたのだった。
〔そこまで〕
背後で、そんな声が聞こえた。
僕は……いや、僕の本能が、掴まれた腕を振り払い、声の方向に身構え、振り向こうとした。
しかし、遅い。
腕を
風を、感じた。
野原に立っていて、突然吹きつけてきた────────そんな、風の感覚。
直後、僕は、眉間に軽い衝撃を覚えた。
そこで、僕の意識は、完全に途絶えた………………………………………………。
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