第7話:はざまの夢を越えて
7-1
──────────────────いつも思い出すのは、黄昏の花畑。
季節は、春。
咲いている花々は、
斜陽の光を浴びて、輝いていた。
教会に続く、花畑に囲まれた道。
その道にたたずむ、女性の姿。
清楚な、白い服を着ていて。
長い黒髪が、穏やかな風に、揺れている。
微笑んだ顔は、本当に綺麗で。
咲き誇る水仙に囲まれてなおかすまぬ、一輪の花のよう。
それは、黄金の景色。
小さな頃の僕にとって、世界の、すべてだった。
だけど、僕のせいで、そのすべては、失われてしまって──────────。
*
………………夢の輪郭が、ぼやけいく。
代わって目に染みこんでくるのは、暗い風景。
途中で夢を見ていることには気づいてたから、落胆はない。
いったい、どれくらいの間、気を失っていたのだろう。
気分のほうは、最悪だった。
体中氷漬けになって、海の底へと、引っ張られ続けているような、そんな感覚。
そして、身体的状況はといえば………。
両手に
後ろは壁で、前方には
旧時代的な牢屋だった。
鉄格子の外、部屋の中央には、拘束具のついた寝台が置かれている。
〈
「ベタな扱いされてるなあ……」
とりあえずぼやいて、体に異常がないか確認する。
僕の
ただ、凄まじく体力を消耗している。
……いや、消耗している、というより、
〈
───────〈
その威力は、〈
対象の身体に一切触れることなく、魂の力そのもの、〈
〈
ホテルで〈
〈
では、あの〈
心当たりが、たったひとつ。
………エゼキエル書、第二十六章十七節に
主より罪人を裁く権限を与えられた御使い……〈天使〉は、心悪しき者の魂を奪う〈力〉を
〈
それが、〈
〈
─────〈
だが、〈天使〉がこの世に存在するという事実は、
〈
まあ、ぶっちゃけ、知ってる当事者の僕でも、そんな馬鹿な、という感じだけど。
本当に〈天使〉そのものなのか、〈天使〉と人間の合いの子なのか、なんなのか。
この際、〈天使〉の定義は、さておく話。
超身体能力と〈
その体は、銀の〈
この世界に、稀にだが、確かに存在する、〈
それが、〈
〈
なにせ〈天使〉は、
しかも〈
喜んでホイホイ従ってるんだろうなあ…………。
その、〈
世界中の有名な〈
膨大な魔力を必要とする、大魔法……。
救済とかなんとか言っていたけれど、およそ、ろくでもないことに違いない。
……姫様を、そんなことの犠牲になんて、させてたまるものか──────!
〈
その
最悪でも、一時間くらいか。
しいらさんと、ベアーの安否も気になる。
特に、ベアー。
〈
二人とも、僕と同じように、どこかに捕まっているのか、それともあの場に放置されたか。
ともかく、急がないと。
─────あたりの様子をうかがい、気配をさぐる。
鉄格子の外に、見張りはいない。
監視カメラの類は……ないように見える。
超小型のものが、仕掛けられているのかもしれないが…………。
頭上の
円環状の分厚い手枷は、おそらくゲオルギウス合金製のもので、いかにも
鎖の環も、同様。
弱っている身の、
枷の中央部には、鍵穴があった。
手枷の形状から察するに、電子錠ではない。
手首から先は、ある程度動かすことができた。
これなら、手のうちようはある。
そう思ったとき、ふと─────。
〈
……確かに、〈
だが、非情さに欠けている気がする。
僕なら、少しでも邪魔になりそうな奴は、手足をへし折り、
世界をどうこうしようとしてる割には、手ぬるい感じだ。
もっとも、それをしなかったのは、僕など眼中にない、ということかもしれないけれど。
ともかく、こっちとしては好都合だ。
一分……いや、三十秒もあれば、カメラで別室から監視されていようと、なんとかなる。
もう一度周囲の気配を探り、安全を確認してから、上着の襟元に歯を立てる。
襟元の布を、あらんかぎりの力で、噛みちぎる。
なんてことない動作だったのに、いきなり、体全体が重くなった。
脱力感に耐えながら、なんとか腹に力をこめて、両脚を引き上げる。
胸元に引き寄せるように、膝を大きく曲げ、口にくわえた布きれを、両膝で挟みこむ。
一度脚を下ろし、重力の力を借りて、膝から
そして再び、両脚を、新体操さながらに上げて、右手のほうへと伸ばした。
ふらふらしつつも、
しっかりと右手で布きれを掴んで、両脚を下ろし、息を吐く。
一秒で呼吸を整えてから、〈気〉を
身体の生命力が低下している状態では、至難の業だった。
それでも、最小限必要な〈気〉を生み出して、右手に掴んだ布きれに、流しこむ。
それから、指と指で、こより状にねじり上げる。
そうすることで、〈気〉によって硬質化した布きれは、一本の針金のようになった。
それを適度に折り曲げ、手枷の鍵穴に通す。
一点集中。
昔、師匠から受けた拷問……じゃなかった、修行の一環を思い出す。
手錠拘束の上、滝壺に叩き落とされるという、奇術師も真っ青な、脱出生還訓練。
あれに比べれば、この程度は、楽勝、の、は、ず。
ガキン。
そんな金属音を立てて、右手の枷が、外れた。
自由になった右手で、左手の枷を外しにかかる。
今度は苦もなく錠は外れ、左手のほうも、枷から解き放たれた。
すると当然、吊り下げられていた僕の体は、下に落ちる。
綺麗に着地─────するつもりだったけど、不様な体勢のまま、自由落下。
受け身も取れず、床に激突してしまった。
手枷を外す作業で、残っていた力が、
痛みを無視し、立ち上がろうとするものの、途端に右膝を床に落としてしまう。
………体が、寒い、重い──────────。
魂の力、〈
それは、肉体的には問題なくても、存在として、
だが、逆説すれば、肉体だけは、正常なのだ。
……なら、動ける。
奥歯を噛みしめ、力をこめる。
両手両足が、ぜんまいの切れかけた玩具のように、震えた。
それから、ぎこちなく、落とした右膝を引き起こす。
どうしようもない
ふらり、ぐらり、とよろめきつつも、どうにか鉄格子まで近づいた。
────────監視されているとしたら、そろそろやばいかな。
鉄格子によりかかり、扉の錠前を見る。
電子錠でないことを確認して、安堵の息をもらした。
ここで科学的障害が来たら、体力的に、厄介だったからだ。
再び錠前外しに挑戦するため、鉄格子の扉に、手をかける。
──────────!?
手に伝わってきた感触を、思わず疑った。
力も入れずに、扉を、外側に押してみる。
すると鉄格子の扉は、耳障りな音を立てながら、簡単に開いた。
扉には、鍵が掛かっていなかったのだ。
…………幸運、というレベルではない。
〈
……とことん余裕、ということか。
なんだか、僕が逃げ出すのも、計算の内に入れられているような気がしてきた。
──────まあ、なんにしたって、前進あるのみ。
よろよろと鉄格子の扉をくぐり、外に出る。
鉄格子の外は、案外、広かった。
鉄格子の内側からは見えなかったのだが、壁には、拷問用の器具の数々が、芸術品でも飾るかのように立てかけられていた。
あれらが、僕に使われていた可能性もあったわけだ。
時間も無いし、こんな気分の悪い所に、長居は無用。
鉄格子をつたい、壁をつたい、ふらつきながら、部屋の出口と思しき扉を目指す。
それにしても、まずいなあ……今襲いかかられたら、ひとたまりもない。
なんとかなると思っていたが、現時点では、戦闘は無理な相談。
そのうえ、まったくの無策。
それで、姫様を助けようと息巻いているんだから、我ながら情けない限りだ。
そうひとり嘆いた時、魔法の護符のことを、思い出した。
はっとして、上着のポケットを探る。
〈
胸を撫で下ろし、姫様の護符を握りしめる。
姫様──────────!
目を閉じ、ひとつ、大きく深呼吸をする。
─────
姫様の護符をポケットに戻してから、目を開けた。
……ともかく、まずは、自分の身の安全を確保しなければ──────────。
出口の扉の前までたどりついて、室外の気配を読む。
…………扉の向こうには、なんの気配も感じない。
わずかに扉を開け、その隙間から様子をうかがう。
薄い灯りと、無機質な壁に、通路。
目に入ったのはそれだけで、他にはなにも見えない。
扉の脇に、背中からもたれかかかり、用心して、扉を大きく開け放った。
扉の軋む音以外、無音、反応なし。
そろりと頭を出して、外を覗き見る。
正面と左右に通路があり、正面の奥のほうには、上り階段が見えた。
─────いくらなんでも、手薄すぎる。
一向に警備の人員が駆けつける気配がないため、疑念が膨らんでいく一方なのだが、今の僕に、選択の余地はない。
……とりあえず、現在地を確かめる必要がある。
正面に見える階段のほうへ、通路の壁に寄りかかかりながら、体を動かした。
いくらか気を落ち着かせたせいか、先ほどより、体が軽く感じられた。
もちろんそれは感覚のことだけで、実際には、一歩進むのにも、ふらつく始末ではあるのだけど。
移動についての不安は、いくらか減った。
周囲の気配を探りつつ、よたよたと壁をつたいながら歩き、階段までたどりつく。
鈍重な動きでその階段を上ると、幅の広い通路が一直線にのびていた。
通路の先には、分厚そうな扉があった。
その扉の半分は、無防備に開け放たれている。
…………!
扉のほうから流れてきた邪悪な気配に、一瞬、体をこわばらせてしまう。
正直、まずい、と思った。
今の僕の状態では、その気配の主に対抗できないと、反射的に判断したからだ。
だが、気配と共に流れてきた匂いに、僕は、自分の体に
そうして、目に飛び込んできた光景に、足を止める。
──────────見張りすらいなかった理由が、わかってしまった。
扉の外は、一面、血の海。
血で染まった床の上に、幾人もの人が─────いや、人の死体が、散らばっていた。
頭部、手、足、胴体…………。
文字通り、ばらばら、だった。
そのすべてが、見るも無惨な肉塊と成り果て、地獄のような光景を作り出していた。
死の匂いに満ちた空間、その中心にいたのは──────────。
血まみれで地面に転がっているベアーと。
後ろ手に手錠をかけられ、ぐったりとしている、しいらさん。
そして、そのしいらさんを小脇に抱え、
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