第7話:はざまの夢を越えて

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──────────────────いつも思い出すのは、黄昏の花畑。


季節は、春。


咲いている花々は、八重やえ咲きの、黄水仙。

斜陽の光を浴びて、輝いていた。


教会に続く、花畑に囲まれた道。


その道にたたずむ、女性の姿。


清楚な、白い服を着ていて。

長い黒髪が、穏やかな風に、揺れている。


微笑んだ顔は、本当に綺麗で。

咲き誇る水仙に囲まれてなおかすまぬ、一輪の花のよう。







それは、黄金の景色。







小さな頃の僕にとって、世界の、すべてだった。

だけど、僕のせいで、そのすべては、失われてしまって──────────。





………………夢の輪郭が、ぼやけいく。


代わって目に染みこんでくるのは、暗い風景。

途中で夢を見ていることには気づいてたから、落胆はない。


いったい、どれくらいの間、気を失っていたのだろう。


気分のほうは、最悪だった。

体中氷漬けになって、海の底へと、引っ張られ続けているような、そんな感覚。


そして、身体的状況はといえば………。

両手に手枷てかせをされ、鎖で吊り上げられていた。


後ろは壁で、前方には鉄格子てつごうし

旧時代的な牢屋だった。


鉄格子の外、部屋の中央には、拘束具のついた寝台が置かれている。


無名ノウネイム〉が、怪人ベラヒィとつながっていることを考えると、〈七剣灯局カンデラブラ〉の監禁所かどこかだろうか。


「ベタな扱いされてるなあ……」


とりあえずぼやいて、体に異常がないか確認する。


僕の織布しょくふは見当たらず、服は着たまま、外傷無し。

ただ、凄まじく体力を消耗している。


……いや、消耗している、というより、消失しょうしつしている、と言ったほうが正しいか。


無名ノウネイム〉の、四枚の翼を広げた姿が、鮮明に思い出された。


───────〈輝源力吸収ジェネシス・ドレイン〉。


その威力は、〈吸血鬼ヴァンパイア〉特有の〈魔渉力ミストフィール〉、相手の活力を奪う〈生命力吸収エナジー・ドレイン〉を、遥かに凌駕りょうがする。


対象の身体に一切触れることなく、魂の力そのもの、〈輝源力ジェネシス〉を奪う、恐るべき〈魔渉力ミストフィール〉。


無名ノウネイム〉との戦闘中、急激な脱力状態におちいったのは、その異能攻撃を受けたからに違いなかった。


ホテルで〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉の面々が一様に倒れていたのも、〈無名ノウネイム〉の〈輝源力吸収ジェネシス・ドレイン〉によるものだろう。


吸血鬼ヴァンパイ〉ですら、対象との直接接触なしに、〈生命力吸収エナジー・ドレイン〉できる者は、存在しないと言われている。


では、あの〈無名ノウネイム〉は、何者なのか。


心当たりが、たったひとつ。


………エゼキエル書、第二十六章十七節にいわく。

主より罪人を裁く権限を与えられた御使い……〈天使〉は、心悪しき者の魂を奪う〈力〉をたまわったという。


顕現天使エヴァンジェル〉。


それが、〈無名ノウネイム〉の正体と見た。

吸血鬼ヴァンパイア〉と〈獣人セリアン〉以外の、もうひとつのたぐい、というわけだ。


─────〈人外アーク〉で総称されている〈吸血鬼ヴァンパイア〉や、〈獣人セリアン〉という存在は、人間たちに認知されている。


だが、〈天使〉がこの世に存在するという事実は、おおやけには、まったく知られていない。


人外アーク〉界でも、その存在を知っている者は、一握り。


まあ、ぶっちゃけ、知ってる当事者の僕でも、そんな馬鹿な、という感じだけど。


本当に〈天使〉そのものなのか、〈天使〉と人間の合いの子なのか、なんなのか。

この際、〈天使〉の定義は、さておく話。


超身体能力と〈魔渉力ミストフィール〉を持ちながらも、〈吸血鬼ヴァンパイア〉と〈獣人セリアン〉の相克そうこくことわりから外れた、更なる異人まれびと


その体は、銀の〈星霊因子アストラル・ファクター〉でも傷つかず、事実上の、完全なる不死不滅。


この世界に、稀にだが、確かに存在する、〈人外アーク〉の中の、〈人外アーク〉。


それが、〈顕現天使エヴァンジェル〉なのだ。


無名ノウネイム〉が〈顕現天使エヴァンジェル〉なら、あの怪人ベラヒィが駒として使われているのも、納得できる。

なにせ〈天使〉は、怪人ベラヒィが抱く妄想の、具現化なのだから。


しかも〈無名ノウネイム〉の目的が、人々の救済とくれば、完全服従、間違いなし。

喜んでホイホイ従ってるんだろうなあ…………。


その、〈無名ノウネイム〉の目的は、いったいなんなのか。


世界中の有名な〈人外アーク〉の面々を連れ去ったのは、〈無名ノウネイム〉の仕業であろう。

膨大な魔力を必要とする、大魔法……。

救済とかなんとか言っていたけれど、およそ、ろくでもないことに違いない。


……姫様を、そんなことの犠牲になんて、させてたまるものか──────!


無名ノウネイム〉は、僕を怪人ベラヒィに引き渡す、とか言っていた。

その怪人ベラヒィの姿が、僕の前にない、ということは、気絶してからそう時間は経っていないはず。


最悪でも、一時間くらいか。


呑気のんきに吊り下げられている場合じゃない。

しいらさんと、ベアーの安否も気になる。


特に、ベアー。

無名ノウネイム〉の〈魅了の魔眼チャーム・アイ〉で意識を失い、人身に戻っていたことを考えると、肩の負傷は、深刻に悪化してしまったはずだ。


二人とも、僕と同じように、どこかに捕まっているのか、それともあの場に放置されたか。


ともかく、急がないと。

─────あたりの様子をうかがい、気配をさぐる。


鉄格子の外に、見張りはいない。

監視カメラの類は……ないように見える。


超小型のものが、仕掛けられているのかもしれないが…………。

頭上の手枷てかせを見あげる。


円環状の分厚い手枷は、おそらくゲオルギウス合金製のもので、いかにも頑丈がんじょうそうだった。


鎖の環も、同様。

弱っている身の、力業ちからわざで引きちぎるのは、無理っぽい。


枷の中央部には、鍵穴があった。


手枷の形状から察するに、電子錠ではない。


手首から先は、ある程度動かすことができた。

これなら、手のうちようはある。


そう思ったとき、ふと─────。

無名ノウネイム〉に対して、違和感のようなものを覚えた。


……確かに、〈無名ノウネイム〉は、恐ろしく強かった。

だが、非情さに欠けている気がする。


僕なら、少しでも邪魔になりそうな奴は、手足をへし折り、つぶしてから、監禁しておく。


世界をどうこうしようとしてる割には、手ぬるい感じだ。

もっとも、それをしなかったのは、僕など眼中にない、ということかもしれないけれど。

ともかく、こっちとしては好都合だ。


一分……いや、三十秒もあれば、カメラで別室から監視されていようと、なんとかなる。


もう一度周囲の気配を探り、安全を確認してから、上着の襟元に歯を立てる。

襟元の布を、あらんかぎりの力で、噛みちぎる。


なんてことない動作だったのに、いきなり、体全体が重くなった。

脱力感に耐えながら、なんとか腹に力をこめて、両脚を引き上げる。


胸元に引き寄せるように、膝を大きく曲げ、口にくわえた布きれを、両膝で挟みこむ。

一度脚を下ろし、重力の力を借りて、膝から両爪先りょうつまさきへと、布きれを移動させる。


そして再び、両脚を、新体操さながらに上げて、右手のほうへと伸ばした。

ふらふらしつつも、爪先つまさきに挟んだ布きれが、右手に届いた。


しっかりと右手で布きれを掴んで、両脚を下ろし、息を吐く。

一秒で呼吸を整えてから、〈気〉をる。

身体の生命力が低下している状態では、至難の業だった。


それでも、最小限必要な〈気〉を生み出して、右手に掴んだ布きれに、流しこむ。

それから、指と指で、こより状にねじり上げる。


そうすることで、〈気〉によって硬質化した布きれは、一本の針金のようになった。

それを適度に折り曲げ、手枷の鍵穴に通す。


一点集中。


昔、師匠から受けた拷問……じゃなかった、修行の一環を思い出す。

手錠拘束の上、滝壺に叩き落とされるという、奇術師も真っ青な、脱出生還訓練。

あれに比べれば、この程度は、楽勝、の、は、ず。


ガキン。


そんな金属音を立てて、右手の枷が、外れた。

自由になった右手で、左手の枷を外しにかかる。

今度は苦もなく錠は外れ、左手のほうも、枷から解き放たれた。


すると当然、吊り下げられていた僕の体は、下に落ちる。


綺麗に着地─────するつもりだったけど、不様な体勢のまま、自由落下。

受け身も取れず、床に激突してしまった。


手枷を外す作業で、残っていた力が、枯渇こかつしてしまったか。

痛みを無視し、立ち上がろうとするものの、途端に右膝を床に落としてしまう。


………体が、寒い、重い──────────。


魂の力、〈輝源力ジェネシス〉を、失っている状態。


それは、肉体的には問題なくても、存在として、衰弱すいじゃくしていることに他ならない。

だが、逆説すれば、肉体だけは、正常なのだ。


……なら、動ける。


奥歯を噛みしめ、力をこめる。

両手両足が、ぜんまいの切れかけた玩具のように、震えた。


それから、ぎこちなく、落とした右膝を引き起こす。

どうしようもないにぶさだったが、まだまだ体は、動いてくれそうだった。


ふらり、ぐらり、とよろめきつつも、どうにか鉄格子まで近づいた。

────────監視されているとしたら、そろそろやばいかな。


鉄格子によりかかり、扉の錠前を見る。

電子錠でないことを確認して、安堵の息をもらした。


ここで科学的障害が来たら、体力的に、厄介だったからだ。

再び錠前外しに挑戦するため、鉄格子の扉に、手をかける。


──────────!?


手に伝わってきた感触を、思わず疑った。

力も入れずに、扉を、外側に押してみる。

すると鉄格子の扉は、耳障りな音を立てながら、簡単に開いた。


扉には、鍵が掛かっていなかったのだ。


…………幸運、というレベルではない。


無名ノウネイム〉の微笑が、頭に浮かんだ。

……とことん余裕、ということか。


なんだか、僕が逃げ出すのも、計算の内に入れられているような気がしてきた。

──────まあ、なんにしたって、前進あるのみ。


よろよろと鉄格子の扉をくぐり、外に出る。


鉄格子の外は、案外、広かった。

鉄格子の内側からは見えなかったのだが、壁には、拷問用の器具の数々が、芸術品でも飾るかのように立てかけられていた。


あれらが、僕に使われていた可能性もあったわけだ。


時間も無いし、こんな気分の悪い所に、長居は無用。

鉄格子をつたい、壁をつたい、ふらつきながら、部屋の出口と思しき扉を目指す。


それにしても、まずいなあ……今襲いかかられたら、ひとたまりもない。


なんとかなると思っていたが、現時点では、戦闘は無理な相談。

そのうえ、まったくの無策。

それで、姫様を助けようと息巻いているんだから、我ながら情けない限りだ。


そうひとり嘆いた時、魔法の護符のことを、思い出した。


はっとして、上着のポケットを探る。

無名ノウネイム〉から返された姫様の護符は、ポケットに入ったままだった。


胸を撫で下ろし、姫様の護符を握りしめる。

姫様──────────!


目を閉じ、ひとつ、大きく深呼吸をする。

─────あせるな、はやるな──────────。


姫様の護符をポケットに戻してから、目を開けた。


……ともかく、まずは、自分の身の安全を確保しなければ──────────。


出口の扉の前までたどりついて、室外の気配を読む。

…………扉の向こうには、なんの気配も感じない。


わずかに扉を開け、その隙間から様子をうかがう。

薄い灯りと、無機質な壁に、通路。


目に入ったのはそれだけで、他にはなにも見えない。

扉の脇に、背中からもたれかかかり、用心して、扉を大きく開け放った。


扉の軋む音以外、無音、反応なし。


そろりと頭を出して、外を覗き見る。

正面と左右に通路があり、正面の奥のほうには、上り階段が見えた。


─────いくらなんでも、手薄すぎる。


一向に警備の人員が駆けつける気配がないため、疑念が膨らんでいく一方なのだが、今の僕に、選択の余地はない。


……とりあえず、現在地を確かめる必要がある。

正面に見える階段のほうへ、通路の壁に寄りかかかりながら、体を動かした。


いくらか気を落ち着かせたせいか、先ほどより、体が軽く感じられた。


もちろんそれは感覚のことだけで、実際には、一歩進むのにも、ふらつく始末ではあるのだけど。

移動についての不安は、いくらか減った。


周囲の気配を探りつつ、よたよたと壁をつたいながら歩き、階段までたどりつく。

鈍重な動きでその階段を上ると、幅の広い通路が一直線にのびていた。


通路の先には、分厚そうな扉があった。

その扉の半分は、無防備に開け放たれている。


…………!


扉のほうから流れてきた邪悪な気配に、一瞬、体をこわばらせてしまう。


正直、まずい、と思った。

今の僕の状態では、その気配の主に対抗できないと、反射的に判断したからだ。


だが、気配と共に流れてきた匂いに、僕は、自分の体にむち打って、そちらへと急いでいた。


看過かんかすることができぬほどの、血の匂い。


そうして、目に飛び込んできた光景に、足を止める。


──────────見張りすらいなかった理由が、わかってしまった。


扉の外は、一面、血の海。

血で染まった床の上に、幾人もの人が─────いや、人の死体が、


頭部、手、足、胴体…………。


文字通り、ばらばら、だった。


そのすべてが、見るも無惨な肉塊と成り果て、地獄のような光景を作り出していた。


死の匂いに満ちた空間、その中心にいたのは──────────。


血まみれで地面に転がっているベアーと。

後ろ手に手錠をかけられ、ぐったりとしている、しいらさん。


そして、そのしいらさんを小脇に抱え、あけに笑う、〈無慈悲マーシレス〉ベラヒィ………!

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