第6話:〈聖者〉あらわる
6-1
日付も替わり、夜の闇の、ただ中。
街をひたすら走り続け、ビルからビルへと、跳び続ける。
包囲網は、ザルだった。
と、いうより、そんなものは、最初から存在していなかった。
鉄橋周辺を封鎖していた警察はいたものの、他に〈
鉄橋に現れた〈
そう推測してしまうほどだった。
なら、万事楽勝、あとは姫様の無事を確認するだけ、と現状を楽観したいところなのだけど。
世の中、そう甘くなかった。
しいらさんの携帯端末で(僕のは相も変わらず要充電状態)、〈
いや、携帯端末による通信自体が、正常に機能しないのだ。
やむをえず、探して見つけた公衆電話を使ってみたが、これまた駄目。
どうなっているのか?
答は簡単、おそらく、この街の通信網が、全部落とされているのだろう。
たぶん、僕らが鉄橋の〈
機能しなければ、すべての電話器は、ただの飾りだ。
残念ながら、僕らは、無線機器は常備していない。
また、持っていたとしても、そういった機器による電波も、妨害されている可能性がある。
ここまでの手で、いきなり連絡手段を断たれるとは、ちょっと、想定外だった。
〔機械は便利だがな、あんま、慣れすぎんなよ?〕
とは、僕の師匠の言葉だが、まさしく今、その言葉が身に染みる。
手近な、あって当然の物が、正常に作用しなくなる。
それだけで、あっけなく、人の動きというものは、変調をきたしてしまうものなのだ。
……だが、深夜であるためか、街中に、大きな混乱の様子は見受けられない。
けれど、人々の困惑が、静かに、波紋のように広がっているのを感じる。
医療や保安関係、深夜勤務の方々は、大騒ぎのはずだ。
ともかく、都市内外の干渉に関わらず、通信網の完全復旧は、容易なことではないだろう。
随分と、なりふり構わないやり口だが………。
あとのことなど何も考えなくてもよい、としたら、どんな方法だってアリだろう。
─────敵は、僕ら〈
単純なことのようで、これは、兵法的にはかなり痛い。
障害になるであろう、僕らの戦力を、集中させまいとしているのだ。
敵の目的は、〈
いや、違う。
可能性としてゼロではないが、
〔今宵、神に愛されし者たチはすべて、救いを
……
神に愛されし者たち、すべての生者に救いがもたらされる。
都市通信網の遮断は、そのための、時間稼ぎ………。
僕らにも、敵にも、時間制限がある、というわけだ。
その先にあるものは……〈
とにかく、情報が欲しい。
そこで途中、担いできた〈
しいらさんの〈
〈
〈
この両眼の魔力に心を捕らわれたら、その人間はもう、何も抵抗することはできない。
意志の強い者には、この〈
この兵士は、たちまち、しいらさんの〈
けれど、この兵士は、なにも知らなかった。
この街の通信網がすべて沈黙していることも、はては従っていた怪人の行動目的すら知らされていなかったのだ。
末端の人間とは、こういうものか。
収穫はゼロ。
兵士をそのへんに放置して、僕らは先を急いだ。
こうなると怪人を海に捨てずに、拷問なりなんなりで、事のあらましを
……でも絶対に喋らなかっただろうしなあ、あの狂信者。
なんにせよ、時が移れば移るほど、姫様の身が危うくなるのは間違いない。
もちろん、さっそく例の魔法の護符で、姫様の所在を把握しようとしたのだが────────。
姫様の居場所……というより、存在が、まったく感じられないのだ。
ここで問題、そこから考えられる状況は、次のうち、どれか。
①姫様が、うっかり魔法の護符をはずしてしまっている。
②なんらかの理由で、護符の力が働かなくなっている。
③姫様が、何者かに殺害された。
④それら以外。
……①は有り得ないし、③はもっと有り得ない、と思いたい。
②あたりであってほしいのだが………………。
世界中の有力〈
─────もし、姫様に、万が一のことがあったら──────────。
………………………その時は、事件の首謀者に。
事件の首謀者に、生まれてきたことを後悔させてやる。
「……シェ。ニフシェ! このバカ! ちょっと待ちなさい!」
あっと。
物騒なことを考えていたせいか、ひとり、全速力で飛ばしすぎていた。
キリのいいところで、ビルの屋上に着地。
後続の二人、ベアーとしいらさんが、それに遅れて到着する。
「
息を切らせながら、しいらさんが言った。
走りどおしの、跳びどおしなのだ。
反省。
他人のペースも考えないと。
「ごめん、ベアー。急ぎすぎたね。……傷は大丈夫?」
ベアーは、獣身のままだった。
長時間、獣身状態を維持するのは、体力を消耗する。
が、人身に戻れば、〈
そうなると、先ほどゲオルギウス合金で負傷した箇所の悪化が、早くなってしまうのだ。
だから、あえて獣身のまま移動しているのである。
『心配無用です。この程度、怪我のうちには入りません』
と、言っている言葉は
途中で応急処置をして、包帯を巻いたものの、傷口からの出血は止まっていないのだ。
手持ちの医療キットでは、焼け石に水といったところ。
今、僕らが向かっている場所には、より効果的な治療剤が揃っている。
とはいえ、そのために無理をして移動し、傷に
「……ねえ、集合場所も〈
しいらさんが、不安げに顔を曇らせた。
集合場所とは、今、僕らの向かっている先。
〈
しいらさんの
怪人が、ピンポイントに僕らを狙ってきたことを考えると、こちらの活動拠点等は、ある程度知られている可能性がある。
「みんなとも連絡がつかないし……」
しいらさんの声は、
───────そう、それも問題だ。
〈
最悪の状況は、敵に時間を稼がれたうえ、他のチームが各個撃破されることだ。
だが、街の平穏な様子からして、それだけの戦力は、動いていないと見た。
他のメンバーが無事なら、僕らと同じく、集合場所に向かうはずだ。
この都市における〈
いざとなれば、動ける〈
けれど、本当に、敵は〈
姫様や、ギャノビーさんの所在は?
有力〈
……疑問だらけの、
だからこそ、現状確認のため、集合場所へ急がなければならないのだが………。
そこに、敵が罠を仕掛けて、待ち構えてないとも限らない。
しかし、闇雲に街を駆けずり回っても、事態が進展しないのは明白だ。
「先に、他の人たちを探したほうが、よくない?」
それも、ひとつの選択肢ではある。
だけど、僕はかぶりを振ってみせた。
「時間がありません。どのみち、他の人たちも集合場所へ向かうはずです。それに───────」
それに、集合場所に向かわなければならない理由が、もうひとつあった。
「それに?」
言葉を切った僕の顔を、しいらさんが覗きこんでくる。
「……それに、罠があるならあったで、僕らだけでも、それを排除しとかないと」
僕が口にしたのは、別のことだった。
しいらさんとベアーには、魔法の護符のことは、まだ話していない。
それらのことを話せば、心配事を増やしてしまうだけだ。
「そっか、そうよね」
しいらさんは、それで納得した顔をして、うなずいた。
なんだか
僕らは再び、集合場所への道を急ぎだした。
ビルからビルへと、夜の街を、跳び続ける。
下弦の月は傾きつつも、夜明けはまだ遠く、夜闇はなお、暗い。
虚飾めいた街の灯りは、今やまばら。
はたして眼下の光景は、浮き上がった影で造られた、迷路のよう。
……僕らが目指す集合場所は、その出口となりうるか、否か。
集合場所には、常駐している〈
この状況でなんの対応もしてない、というのは、考えられない。
異常があれば、そちらで察知してくれる、とは思うのだが……。
───────跳躍行を再開してから、十数分。
僕らは、目当ての場所近くまで、たどり着いた。
三者三様で、眼前の建物を見つめる。
会合場所と同じく、超高級高層マンションのフロアを丸々借り切って、非常時用に当てこんでいるのだ。
マンションの高さは、隣接する高層ビル群より、遥かに抜きん出ていた。
敷地の広さも、会合場所だったホテル・パンテオンに負けず劣らず。
闇の中に浮かぶそのシルエットにも、並々ならぬ、風格めいたものが漂っていた。
夜も遅いため、その格式高い外観からもれてくる灯りは、ほとんどない。
正面玄関付近に、控えめな灯りが点されているだけだった。
……マンションの周囲に、伏兵は、いないように見える。
「一気に登りましょう。……ベアー、行けそう?」
『大丈夫です』
言葉短く、ベアーはうなずいた。
……心情的にはじっと待っていてもらいたいが、現状はそうもいかない。
戦力の低いしいらさんと一緒に待機してもらっても、あまりメリットがない。
我ながら酷な判断だけれど、僕と行動を共にしたほうが、生存率は高くなるだろう。
しいらさんを見る。
「あたしもオッケーよ。ベアーのフォローは、まかせて」
その言葉にうなずいて、僕は地上へと身を躍らせた。
そのあとに、ベアー、しいらさんの順で続いてくる。
高速で移動し、マンションの地下駐車場を抜けて、建物内部へ。
セキュリティの甘い部分は、事前に知らされている。
監視装置のある通路をかいくぐり、非常階段へ向かい、一気に駆け上がっていく。
途中、なにか罠が設置されてるかな、と思っていたが、今のところ、その影も無し。
延々と階段を跳び、駆け上がり、〈
最上階──────────。
階段口から、廊下を覗き見る。
……静かだ。
大きな廊下は、黄昏色の常夜灯で照らされていた。
人の姿は見えないし、不審な物も見えない。
一層自体、広大な面積なので、部屋に入るドアは、いくつも設置されている。
どの方向からでも、部屋から出入りできる造りなのだ。
当然、非常時のことを想定して、階段口近くにも、ドアがひとつ。
目と鼻の先に、そのドアがあった。
上着の内ポケットから、部屋の鍵を取り出す。
この街で行動する時から、事前に渡されていたものだ。
ベアーとしいらさんに、手振りで待つように示し、〈
そして、ドアに、頭を張りつかせた。
──────この向こう側に、人の〈気〉の動きはない。
鍵で扉を開けてから、あとの二人を呼び込む。
その間も、部屋の中の〈気〉を探っていた。
部屋の中は暗く、しんとしていた。
クローゼット・ルームなどに挟まれた通路を、息を殺して、進む。
拍子抜けするほど、警戒すべきものは、見当たらない。
なのに、心の中で、なにかがざわつき続けている。
こういう時は、正直、回れ右して、逃げ出したいのだけど。
でもまあ、感覚優先にできないのが、世の中である。
……長い通路の先から、灯りがこぼれてきていた。
確かそちらあたりは、フロア中央に位置する、広いラウンジがあるはずだった。
いくつかの気配が、向こうから流れてくる。
何者かが、いる。
ただそれらは、まったく動いていない。
嫌な予感が、加速した。
それに押されるように、ラウンジへと駆け込む。
「……!」
目にした光景に、一瞬、息を呑んだ。
〈
「これって……?」
しいらさんが驚愕に声を震わせ、ベアーもわずかに唸り声をもらした。
数は─────八人。
素早く室内に目を走らせて、気配を読む。
敵影なし、殺気もなし。
安全と見てから、倒れているメンバーの一人に駆け寄った。
外傷は、まったく見受けられなかった。
かがみこんで、脈を確かめる。
生きてる。
だけど、この症状は……。
一人ずつ調べるまでもなく、全員同じ状態で倒れているのは、間違いないだろう。
「ニフシェ……!」
しいらさんが、悲鳴じみた声を出した。
しいらさんの視線の先に、よく知っている人物の姿を、見つけた。
街の景観を一望できる、壁面がガラスばりになったフロア。
ラウンジから、そのフロアへと続く階段に、その人物は、力なく腰を下ろしていた。
この人物の居場所を、魔法の護符で知ったからこそ、僕はこの集合場所に来なければならなかったのだが……………。
雰囲気が、いつもと違いすぎていた。
その人物とは、常に姫様の傍らで、威風堂々と〈
─────我らが司令塔、アウスト・ミッツ・ズィルバーンリッターだった。
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