5-2

「この状況ゥ」


言いつつ怪人ベラヒィは、ばばっ、と舞台役者のように両腕を広げた。


「この状況……ン? わかりますね? わかりますね? そォうっ! まさしく! 絶ッ! 体! 絶! 命ィっ!」


自分の言葉に酔いしれたような、うっとりとした顔つき。


─────銃をこちらに構えている、〈七剣灯局カンデラブラ〉のみなさんに、ちょっとだけ同情した。


こんな電波な怪人ベラヒィの命令に従わなければならないんだから、気の毒としか言いようがない。


「ニフシェ・舞禅! アナタには、ふたつの選択肢しかありませン! ……ワタシと戦って死ぬか! それとも、主に許しを請い、主の下僕しもべとなって天に召されルか!」


……どっちも同じじゃないか。


そう思いかけたけど、すぐに、怪人ベラヒィの、病的な心理を把握できた。

呪われた〈人外アーク〉であるところの貴様らは、神の使徒である自分に殺されるしかない。

しかし、自分は慈悲ブカイので、降伏するならば、神に従属し、天国へ行く権利を与えてから、殺してやらんでもない──────。


だけど、そもそもこの鉄橋に僕らを封じ込めたのは、この男の仕業以外に、ありえない。

殺すだけのほうが容易だったはずなのに、それをしなかった。


つまり、この怪人ベラヒィはなにがなんでも、僕らを自分の神に服従させてから、亡き者にしたいのだ。

恐ろしいことに、自分のためではない。

それこそが僕らの救いになると、心から信じ切っているのである。


………うーん、ゆがんでるなあ。


「サぁ、さぁ、さぁ、選びなさイ! 呪われた魂のまま散華すルか! 天国の門を叩くか! さァっ!」


怪人ベラヒィ、有頂天。


どっちも嫌、と、僕がそのウッカリ高ノリっぷりに水を差そうとしたところ。

ベアーが、一歩、前に出た。

そして、厳然と言い放った。


「我が若主人ヤング・マスターは、貴様ごとき下郎と話す舌は持たぬ」


ゴキリ、とベアーは指の骨を鳴らす。


「─────交える拳にいたっては、論外。ゆえに、私が貴様の相手をしよう」


その言葉に、怪人ベラヒィは初めて目に入った、というような目つきでベアーを見た。

かと思えば、突拍子もなく、その眉を異様なまでに吊り上げる。


「しィぃぃッかくッ! 失格失格失格失格! 大・失・格ッ! 三下下僕風情さんしたげぼくふぜいがッ! 身の程を知りナさいっ!」


激発して、怪人ベラヒィは、両腕を大きく振るった。

瞬間、その両手には、淡い燐光を放つ武器が握られていた。


その刀身は、柄の上で三つ叉に分かれ、中央部は巨大な針のごとく長く、両端部は短く、かぎ状になっている。

さいと呼ばれる、二本一組の武器だった。


七剣灯局カンデラブラ〉の人間が持つ以上、ただの武器ではない。


おそらく、ゲオルギウス合金で作られたさいだろう。

ゲオルギウス合金。

七剣灯局カンデラブラ〉の秘法により錬成された、銀の〈星霊因子アストラル・ファクター〉を持ちながら、鋼の高度を持つという、インチキ合金。


言うまでもなく、〈吸血鬼ヴァンパイア〉と〈獣人セリアン〉を殺す為の産物である。


怪人ベラヒィの存在自体は冗談のようでも、この合金製の武器で襲いかかってくるとなれば、シャレにならない。


「今宵、神に愛されし者たチはすべて、救いをマす」


またもや怪人ベラヒィは、電波なことをのたまいだした。


チャキン、チャキン。

さい同士で金属音を鳴らして、にじりじり、と、ゆっくりこちらへ間合いを詰めてくる。


「……でスが、神の国へ行く資格のナい者は、救われまセぇん。地獄へ行キなさァい。地獄へ行きナさァーい」


なんで二回言うんだ。

怪人ベラヒィは、その言葉のあと、こちらに歩み寄る足を、ふと止めた。


それから、くひっふひぎひひひひひひふひっ、と異様な笑い声をもらす。


「〈人外アーク〉はミんな、地獄行きッ!」


くっははぐふは。

ノリまくりで、踊るように両手の釵を振り回す怪人ベラヒィ

感情の起伏が、随分アレである。


……これは、あれかな、薬物投与の弊害なのかな?


「地獄行キッ! 地獄行きぃィ~っ! ……ン? ああ、そうそウ」


ピタリと止まって、怪人ベラヒィ哄笑こうしょうする。


「……安心なさァーい。〈青の姫ブルー・プリンセス〉と呼ばれルあの〈人外アーク〉も、今頃は、アのお方の手で、とうとき最後の犠牲となっテいるでしょウ」


───────────────


この期に及んで、呑気のんきに構えていた自分を、全力で呪う。


「ニフシェ様!」


ベアーが叫んだ。

それと同時に、僕は歯を食いしばり、腹に力を籠めた。

そして、横に立っているしいらさんを、すくうようにして、一気に抱きあげる。


「ちょっ…!?」


しいらさんが抗議の声をあげそうになった。

が、失礼無礼しつれいぶれいを問うている暇はない。

それに、すぐに、そんな声を出す余裕もなくなる。


ベアーは叫んだその瞬間に、


着ているTシャツは千切れ飛び、元より逞しいその体躯が、さらに大きく膨れ上がる。

紫がかった獣毛がその身を覆い、頭部は、豪獣たる熊のそれへと変貌していた。


名前そのまま。

ベアーは、〈熊人ウェア・ベア〉なのだ。


瞬時に現れ出でた、熊の獣身が、夜闇に、高く躍り上がった。

七剣灯局カンデラブラ〉の面々は、空中の標的めがけ、銃の引き金を絞ろうとした。


が、遅い。

それらよりも早く、ベアーの咆吼ほうこうが、夜の闇を震わせていた。




GOOOOOHHHHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!




ただでさえ戦慄せざるをえない、獣の咆吼ほうこう

加えてベアーの咆吼ほうこうは、〈人外アーク〉の〈魔渉力ミストフィール〉─────。


人の心を直に打つ、魔力を乗せた咆吼ほうこうだった。


これを無防備に聞いてしまった人間は、精神が、一時的に麻痺してしまうのだ。

それに構えていた〈半人外ハーフ〉の僕ですら、グラリと目眩めまいを覚える。


人間でも、強靱な精神の持ち主には、この魔力を帯びた咆吼ほうこうは通用しないのだが──────。

僕らを取り囲んでいた〈七剣灯局カンデラブラ〉の兵士達は、未熟者揃いだったようだ。


バタバタと、糸の切れた操り人形のように、倒れていく。

銃の引き金を引くことが出来た者もいたようだが、その銃口は明後日の方向を向いていた。

銃声がわずかに上がったが、ベアーの咆吼ほうこうの前に、虚しくかき消されただけだった。


ベアーは、悠然と着地し、こちらに大事ないか、と、視線を向けてきた。


「こっちは大丈夫。……まあ、しいらさんも、大丈夫だよ」


抱きあげたしいらさんは、あっさり意識を失っていた。

半人外ハーフ〉であるとはいえ、戦闘に不向きな、家庭的お姉さんであれば、無理もない。


……そんな魔の咆吼ほうこうが過ぎ去ったあと、倒れずにいる人間が、唯一人ただひとり


「──────────ッ! ぐうううゥゥグふふフぅっっ! ひヒひひひ卑劣卑劣卑劣! 卑劣なリ! 姑息なリぃッ! どこまでモ邪悪な、地獄に堕ちルべき虫ケラ奴! 虫ケラ奴っ! 虫ケラ奴ぇッ!」


それは、残念なことにというべきか、呆れたことにというべきか、〈無慈悲マーシレス〉ベラヒィ、その人だった。

ベアーの咆吼ほうこうに顔を歪ませながらも、しっかりと、二本の足で立っている。


嗚呼ああいびつな信仰心は、余計なまでに、人を強くしているらしかった。


「最早、一秒たりと長く生かシてはおけませンっ! 弾丸より速ク! 機関車よリも強く! 可及的かきゅうてきすみやかナ死を! アナタに!」


ちぇっはりャぁぁァぁぁぁぁァァァァぁぁッ!


そんな奇怪な雄叫びを上げて、怪人ベラヒィが地面を蹴った。


ごうっ!


ベアーもえて、跳んだ。


宙で、獣と人が、激突する。


怪人ベラヒィは、真っ向から斬りかかっていた。

怪人ベラヒィの得物は、ゲオルギウス合金製。

ひとたびこの武器で傷を負わされれば、それは致命傷につながりかねない。


初太刀しょだち、右手のさいが、高速で繰り出された。


しかしベアーは、あえてそのさいを、左肩に受けた。

そして、さいを貫き抜かせる前に─────岩塊がんかいすら砕き飛ばす豪撃を、怪人ベラヒィの胸部へ叩きこむ。


……相手が常人なら、これで幕だ。


ベアーの拳が胸を突き破り、相手を死に至らしめる。


──────────だが。

イロイロと病んではいても、怪人ベラヒィはやはり、恐るべき戦士だった。


右のさいが突き通らぬと瞬時に悟るや、ベアーの体へ渾身こんしんの蹴りを放ったのだ。


その右足が、

おそらく、機械化している右足の機能だろう。

必殺の一撃を胸に受けつつも、怪人ベラヒィはその反動で、自身に受ける衝撃を軽減させたのである。


怪人ベラヒィの体は、大きく後方へと、逃れ飛んでいた。


怪人ベラヒィは空中で体勢を立て直し、着地したが、ぐらりと片膝を着いた。


「……ククぅゥぅいヒひひひいいいイイイいィィい痛いッ! 痛イ痛い痛い痛イ痛い痛いッ! グウッ、だがコれも神ノ試練っ! 痛くなイっ! 痛くナーイッ!」


怪人ベラヒィさいを振り回しながら立ち上がり、大絶叫。


今度は別の意味で、目眩がした。

戦意を喪失させるという点では、怪人ベラヒィの奇矯ぶりは、〈人外アーク〉の〈魔渉力ミストフィール〉並かもしれない。


即死を免れたとはいえ、相当な深傷ふかでだろうに、元気なことだ。


『ニフシェ様は、早く姫君のもとへ』


ベアーがこちらを振り向かずに、そう言った。


「……ベアー、傷は?」


『深くはありません』


だからって、問題ないはずはない。

怪人ベラヒィの右足が噴出した炎による火傷は、すぐに治癒するだろう。


しかし、左肩に受けた傷は別だ。


普通の刀傷ならともかく、アルティウス合金の武器で、傷を負ったのだ。


─────────判断を見誤った。

最初から、僕が始末をつけておくべきだったのに。

……けれど、後悔していても、しょうがない。


「よし」


そっと、だが素早く、しいらさんを地面に下ろす。


「さっさと、あの奇人変人を、ぶちのめそうか」


『……ニフシェ様』


ベアーはやはりこちらを見ずに、声だけで、僕の意見に難色を示した。

どうも、本気で、僕に怪人ベラヒィの相手はしてほしくない様子である。

気持ちはありがたいけど。


二人ふたりがかりなら、わけないでしょ。時間も押してるし、サクッといこう」


ベアーの〈魔渉力ミストフィール〉で行動不能に陥っている兵士達も、意識を取り戻すと厄介だ。


上空のヘリ二機は、空中停止したまま、攻撃してこない。

多分、 怪人ベラヒィの命令だろう。

僕らを自分の手で、自分の神に服従させて殺すまでは、手を出すな、とか、そんなところか。


こちらとしては、願ったりである。


「馬鹿馬鹿馬鹿奴ッ! まッたくおろカっ! 骨頂こっちょうゥっ! ワタシに勝テる、ハズがなイぃぃィっ!」


話が聞こえたのか、苦痛に喚き叫ぶのを止め、ふたつのさいを構え直す怪人ベラヒィ


「何故ならワタシは、神の使徒ッ! これまでワタシの…」


怪人ベラヒィの妄言が終わる前に、僕は


怪人ベラヒィの両眼が、驚愕に、大きく見開かれた。

僕が一気に、ありえない距離の縮め方をしたからだろう。


何度か僕と戦ったことのある怪人ベラヒィでも、想定外な技は、咄嗟とっさに理解できなかったらしい。


……これは、僕の〈魔渉力ミストフィール〉ではない。


─────────〈気〉を全身から放出。

移動距離に必要な運動エネルギー。

運動速度から生じる必要な移動時間。

そのふたつをまかなうだけの〈気〉を、一瞬のうちに費やしての、跳躍。


名を、〈廻地法かいちほう〉という。


武術では、一息ひといきで敵との間合いを詰める〈縮地しゅくち〉と呼ばれる歩法がある。

廻地法かいちほう〉は、それを、生命の力、〈気〉を使うことで超えた移動術だ。


それはもはや、跳躍というより、直線的な瞬間移動に近い。


いかに強化されているとはいえ、初見でその瞬間移動を、意識にとらえることはできまい。


動画で言えば、遠くにいた被写体が、コマ送りで飛ばした次のコマに、画面いっぱいまで接近しているようなもの。


この移動術を、仙術の域にまで極めれば、一瞬のうちに大陸横断することさえ可能になるという。

僕には、そこまでやるのは無理だけど………。

遠い間合いを一瞬で詰めるくらいは、たやすい。


さんざんっぱら鍛えてくれた師匠に感謝するのは、こんなときだ。


「ひぅエ…っ!」


奇声を発して、怪人ベラヒィは両のさいを振るおうとした。


が、それよりも早く、僕の右拳が怪人ベラヒィの腹部にめり込んでいた。

続けてさらに踏み込み、左拳で怪人ベラヒィ鳩尾みぞおちを強打。


くがはっ。


そんな苦鳴とともに、怪人ベラヒィの身体がくの字に折れ、衝撃で地面から浮き上がった。

そこへ、右掌底を撃ちこむ。

着撃するその瞬間に、掌底から、体内で練り上げた〈気〉を解き放つ。


〈気〉の力の集中による衝撃が、怪人ベラヒィの身体を、派手に後ろへ弾き飛ばした。


その両脚を─────高速で回り込んでいたベアーが、宙で引き掴んだ。

熊人ウェア・ベア〉の超剛力で、そのまま怪人ベラヒィの身体を振り回す。

全身全霊、超高速の二回転半。


そして漆黒の闇めがけて、ベアーは怪人ベラヒィを放り投げた。


怪人ベラヒィの身体は、鉄橋を離れ、夜闇へと、まっしぐらに落ちていく。


「けはれはあおえあえェェぇぇぇええええエエぇぇぇェェェェ~~~~~~~~~~~~!?」


怪人ベラヒィの奇声が、風と波音に溶けていく。


一向に心地よい響きではないけれど、あるしゅ爽快そうかいなのは、確かだった。


さて、一息つくのはまだ早い。


廻地法かいちほう〉で、僕らの車の進行を阻んだ鉄棒の列へ、はしる。


ずらり並んだ鉄棒。

そのひとつに手を掛け、地面から引き抜く。


地面に刺さっていたほうの、鉄棒の先端は、棘状に鋭く尖っていた。

うん、都合が良い。


掴んだ鉄棒を、空中停止しているヘリへ、全力で投擲とうてきする。

止まらずに第二射、命中を確認しつつ連射。


幸い、鉄棒はたくさんある。


いつでも僕らを攻撃できるようにと、ヘリは低空でとどまっていた。

そのことと、自分達が撃ちこんだ鉄棒の数々が、あだとなったわけだ。


ベアーも僕と同じように、もう一機のヘリへと、次々に鉄棒を射ちこんでいた。


破砕音はさいおんを夜の空に響かせながら、僕らの投げる鉄棒が、ヘリの機体を穿うがっていく。


そのうちのひとつが、旋回して回避しようとしたヘリの、機尾ローター付近を貫いた。

軍事用だろうがなんだろうが、この部分は、ヘリコプターの急所のひとつ。

そこが損壊すれば、その機構上、ヘリはまともな飛行はできなくなる。


機尾ローターは、機体の昇降しょうこう旋回せんかいきもだからだ。

少なくとも、機尾ローターが破壊された状態では、戦闘なんて無理な相談だ。


案の定、その一機は急にバランスを崩して、海へとまっさかさま。

すぐに、豪快な水しぶきの音がした。

とりあえず、心の中で合掌。


ベアーから、鉄棒を撃ちこまれたもう一機のヘリは、二の舞は御免とばかりに、逃げていった。


上官が海に落ちたからといって、命がけで戦闘を続行する義理はない、というところだろう。

賢明な判断である。


────────フウ、と、ここでようやく一息。


「ベアー、逃げるよ」


橋の上で寝転がっている〈七剣灯局カンデラブラ〉のみなさんを見渡しながら、ベアーにそう声をかける。


『心得ました』


応えて、ベアーは、地面に横たわっているしいらさんを抱え上げた。


『しかし、逃げるという言葉は、適切ではありません、ニフシェ様。我々は別に、敗北したわけではないのですから』


「負けムードだよ。どっちかって言えばね」


姫様に危険が及んでるかもしれない、という時点で、僕の心の中は、既に敗北感満点だ。

自然、自分に腹が立ってくる。


『ですが、まだ敗北したわけではありません』


いやに頑迷がんめいに、食いさがるベアー。

……ひょっとしたら、僕を励ましてくれてるのかもしれない。


『このまま敗北するつもりも、ないのでしょう?』


「そりゃ、ね」


……それは、もちろん。

絶対に、負けるわけにはいかない──────────。


ベアーにうなずいてみせて、僕らの車へと急いだ。


車から、常備してある〈人外アーク〉専用の医療キットを取り出す。


もったいないが、車は捨てていくしかない。

鉄橋周辺に包囲網が敷かれていれば、生身のほうが突破しやすいだろう。


それからついでに、僕は、気を失ってる〈七剣灯局カンデラブラ〉の一人を引きり上げた。

いろいろと、かなきゃならないことが、いっぱいある。


そして、僕らは、走り出した。


そのさなか、ふと──────下弦の月が、目に入った。


……吉兆じゃあ、なかったか。


もっとも、本気で願いこんでたわけじゃないけれど。

─────いいさ、ここは自力で、一発逆転。


そう、不安と焦りにペテンをかけて。

姫様のいる街のほうへと、一路、走り続けた。

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