第5話:怪人、襲来

5-1

「……たの?」


隣に座る、しいらさんの声で我に返る。

ベアーの運転する車の中、その後部座席。

外を眺めながら、いつの間にか、ぼんやりと考え事をしてしまっていたらしい。


「え? なんです?」


少し慌てて聞き返した。

ちょっしたことでご立腹されるからなあ、このお姉さん。


「だから、さっきの。ギャノビーさんに呼ばれたでしょ。あれ、なんの用だったの?」


案の定、言葉には、すぐさま苛々感がにじみ出ていた。

くわばらくわばら。


「ああ、えっと。……秘密の話をされました」


不意に訊かれたからとはいえ、我ながら、ストレートな返答である。

もうちょっと、うまい言い訳をするべきだったか。


僕が姫様と、直に自由騎士契約を結んでいることは、おおっぴらにはなっていない。

別段話しても構わない気もするのだが、姫様とその他数名から、内緒事と言いつけられている。


客観的に考えれば、新入りが姫様に特別扱いされてる形なのだから、当然なのかもしれないけれど。


姫様から渡された護符のことや、ニネ=ヴィア・マッハー様のことで、姫様から相談を受けたことなどは、しいらさんには、一応伏せておいたほうがよいだろう。

が、しいらさんはそんな都合は知らないから、ずずいと僕に詰め寄ってくる。


「……教えなさい?」


「駄目です」


「蹴るわよ」


うーん、バイオレンス。


「蹴ってもいいですけど、本当に話せな」


言い終わる前に、右足を蹴られた。


「痛いですよっ!」


「当たり前でしょっ!?」


フンッ、とばかりにしいらさんはそっぽを向いた。

お姉さん、それは逆ギレです。


ベアーは車を運転しながら、そんな僕らのやりとりに、笑いをかみ殺しているようだった。


……ベアーには、集会の内容は伝えてある。


何人もの有力〈人外アーク〉が行方不明になっていること。

姫様が一連の事件の犯人に狙われているらしいこと。


ベアーの感想は、きっぱりと断言形だった。


「なんにせよ、ニフシェ様が解決されます。心配には及びません」


いや、ベアーが自信満々で言ってもさ……。

僕を神様かなんかだと思ってるのかしら。


─────しばらく、車内では静寂が続いた。

聞こえてくるのは、車の走る音だけだ。


車は、もと来た道を戻っている。

もう少し走れば、神楽市名物の鉄橋、ウインド・テイルだ。


「ねえ」


不意に、しいらさんがぽつりと言った。

声の調子が、違う。

ついさっきまでとはうって変わった、しんみりとしたものだった。


「………………今度の件が片付いたら─────」


力なく、しいらさんは、一度言葉を切る。


「─────今度の件が片付いたら、〈偽人外フェイク〉たちが、あらかたおとなしくなって、人間が襲われなくなるとか、そんなこと……ないかしら」


ないでしょうね。

頭では、そう即断していた。

けれど今のしいらさんに、そんな風に即答するのは、ためらわれた。


「……それは難しいでしょうけど、いくらかは、落ち着くかもしれませんね」


限りなく、嘘に近い気休め。

今回の事件の黒幕が〈不死王〉本人であるにせよ、その名を騙る何者かにせよ、増殖した〈偽人外フェイク〉すべてを統率している、というわけはない。


そんなことは、しいらさんも承知しているだろう。

──────それでもなぜ、しいらさんが、突然そんなことを言いだしたのかは、わかる。


……いつまでも戦い続ける日々。

家庭的お姉さんなら、それは、うんざりするのが普通だ。


「そう……そうよね。そのあたりよね………」


しいらさんはそう言ったきり、黙ってしまった。


そしてまたしばらく、沈黙が続く車内。

車体ごしに伝わってくる、風の感覚が変わった。

海が近くなったのだ。


「あんたは……」


また、しいらさんがぽつりと言った。

僕の顔は、見ていない。


「……あんたは、いつまで〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉に居るつもりなの?」


それもまた、返答の難しい質問だった。

姫様との契約では、僕の気分次第で、いつ姫様のもとを去っても、一向に構わないはずである。

では、僕が姫様にお暇をもらう瞬間とは、いつだろう。


「─────わかりません」


そんなことしか、言えなかった。


銀星車輪団アリアン・ロッド〉を離れるとき。

姫様と……姫様たちと、別れるとき。


正直なところ、想像したことがなかった。


「じゃあ、もし、〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉を抜けたら、どうする? ……どこか、行くところとか、あるの?」


「そうですね……」


何か特別、やるべき目的はないが、行く先には、あてがないこともない。

ふりだしに戻ってみるのだ。


「もしフリーになったら、まず、崑崙コンロンに戻ってみようと思ってます」


「……そっか、あんた、そこから来たんだっけ」


「ええ、まあ」


厳密には違うが、僕の出発点と言ったら、そこだ。


崑崙コンロン

人の身でありながら、修行により人間の限界を超えた存在、仙人。

その仙人達が住まう、異境の郷である。


俗世との関わりを一切絶っている、その割に、俗世の有り様を眺め、楽しんでいるという、よくわからない場所だった。


僕は、その仙境・崑崙で、師匠にさんざん鍛えられたのだ。

運動能力と、戦闘能力を高める修行の日々。

……武術、と呼べるほど繊細なものだったかは、疑わしい。

僕の師匠は、雑な人だったから。


その修行が苦しくなかった、と言えば嘘になるが、崑崙コンロンでの生活は、楽しかった。

そう懐かしめるのだから、それは大切な思い出で、そこは──────────。


故郷ふるさとね」


ぽん、と言われた。

しいらさんは、やはり、僕の顔は見ていない。


故郷。

それは、心のある場所だ、とは、どこで聞いた言葉だったか………。


「………………………あたしには、そういうの、ないんだな──────────」


そんなしいらさんの声音は、初めて聞くたぐいのものだった。


とっさには、応える言葉がない。

いや、とっさどころか、情けないことに、まるで言葉が出てこなかった。

何か言うべきである気もしたし、うかつに言葉を返してはいけない気もした。


……結果、再び訪れる静寂。


しいらさんの出自は、誰からも聞いたことがない。

銀星車輪団アリアン・ロッド〉自体、過去に訳アリの連中がほとんどだ。


そして、しいらさんは、〈半吸血鬼ヴァンパイア・ハーフ〉。

人間側からも、旧時代的な〈人外アーク〉側からも、迫害対象になる〈半人外ハーフ〉…………。


昔話として語るには、辛いことだって、あるだろう。

僕だって、そうだ。


─────僕らの乗った車は、ちょっと気まずい空気のまま、大型鉄橋ウインド・テイルにさしかかった。

鉄橋には充分すぎるほど照明が設置されており、走路は、煌々と照らされていた。

けれど、通る車は一台もなく、その光景には、寒々しさを覚えてしまった。

…………車が、一台も通っていない……?


「それなら─────」


わき起こった疑念はひとまず横に置き、おもむろに、口を開く。


「それなら、もし、しいらさんが〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉を離れるときが来たら、一緒に、崑崙に行ってみませんか?」


「い、一緒に? あたしが?」


僕から、そんな提案を受けるとは思っていなかったのだろう。

よほど意外だったのか、しいらさんには、驚いたような、うわずった声を出された。


「……そういえば、崑崙コンロンの仙人達は、行き場に迷った〈人外アーク〉を受け入れているとか」


ベアーが、僕の話に同調してきてくれた。

崑崙の話は、いつだったか、僕がベアーにしたことがある。

当の僕が、行き場を失って、師匠に拾われたクチだと。


「……しいら殿。いつか巡る、旅路の先のひとつにでも、考えておけばいいのでは? 故郷がなければ─────」


作ればよいのだから。


その、ベアーの言葉の最後は、咳を払うような声だった。

少し、照れが入った模様。


とはいえ、さすがは年長者。

車内の空気を、和らげようとしてくれたのだろう。

しいらさんは、はは、と、乾いた、しかし元気を取り戻したような笑い声を出した。


「─────うん。そうね。……いつか行けたら、いいかもね………」


ええ、行きましょう。

そう言いたかったけれど、それは蛇足になるに違いなかった。


もう少し、年を取れば。

年を取れば、もっと気の利いたことを、言えるだろうか。

たとえば、ギャノビーさんみたいに。


──────さて、それはそれとして。


「……ところで、ベアー」


「ええ」


僕とベアーは、車のミラー越しに視線を交わす。


え、どうしたの、としいらさんが身を起こした。

……やはりこのお姉さんは、根本的に、戦闘には向いていない。


「─────橋に入る前から、後ろに車が来てません。対向車も、まるで見えない」


僕の短い説明に、あ、としいらさんは周囲に目を配った。


そう、おかしい。

時刻は日付の変わる一歩手前。


深夜とはいえ、この都市の規模で、車が他に一台も通らないというのは、ありえない。

…………しくじったかな。

どこからどうけられて、められていたか。


「狙い撃ちは、まずいな」


人外アーク〉である僕らでも、重火力兵器で車ごと爆撃されては、ただではすまない。


消し炭になっても甦る〈人外アーク〉もいるらしいけど、僕らは違う。

不死性が高い、と言ったって、物事には限度があるのだ。

その限度を、自分の身で試してみる気にはならない。


とりあえず、前方と後方を確認。

敵影はなし、と、すると─────。

そう思ったとき、頭上の方で、嫌な〈気〉が接近してくるのを感じ取った。


車の窓を下ろし、そこから身を乗り出す。


「……そう来たか」


上を見れば、消音仕様と思しきヘリが二機、低空で飛んでいた。

すでに狙撃されていても、おかしくない距離だ。


「なにか、企みがあると見えます」


「らしいね」


ベアーの言葉に応えるうちに、先行している方のヘリが速度を上げた。

僕らの車の進行方向、その上空を抑えるように飛ぶ。


そして突然、破裂音が夜の闇をつんざいた。

やられたかな、と一瞬思ったが、違った。


数十メートル先の前方に、歪な鉄柵が出現していた。

無数の金属棒が、地面に撃ちこまれたのだ。

後方も同様。


二機のヘリは、いとも簡単に、僕らの、車による逃げ口を断ってきた。


うーん、無茶やるなあ。

って、感心してる場合じゃないか。


「ニフシェ様。どういたしましょう」


ベアーは車を止め、前方から目をそらさずに、言った。


……どうするかなあ。

どうも向こうは、僕らを生け捕りにしたいようだ。

でなければ、こんなまわりくどい方法は取るまい。

僕らに生け捕る価値があるのか、それが疑問ではあるけれど。


『─────ニフシェ・舞禅! 速やかニ車から降りなさァい!』


耳障りな、スピーカーによる通告が響き渡った。

イヤなことに、名指しである。


「人気あるじゃない」


さっきまでのしんみりモードは、どこへやら。

しいらさんが、冷ややかな目で僕を見てきた。


「自分では、控えめなタイプのつもりなんですけどね」


言いながら、懐から織布を取り出し、首に巻き付ける。

それを見たしいらさんは、呆れ顔になった。


「ヘンなこだわり持ってる奴が、控えめなもんですか」


……うう、ヘンなこだわり、とか言われてしまった。


「やりますか、ニフシェ様」


ベアーが、静かな声で、危険な気配を発した。


「まあ、あとは流れで」


軽く肩をすくめて、車のドアを開ける。

同じく、ベアーとしいらさんも車からから降りた。


海からの強い風が、吹きつけてきた。

かなり寒い。


そんな強風吹く中、二機のヘリから、幾本ものロープが垂らされてきた。

それらロープをつたって、勢いよく、物騒な方々が降下してくる。

連中は皆、黒ずくめの装甲服を着ており、銃火器を装備していた。


低空って言ったって、常人には相当な高さだろうに、ご苦労さまなことだ。


「……やばそうね」


僕の傍らに寄ってきたしいらさんが、緊張した声で、そう囁いた。


橋の上に着地した一行は、前後あわせて……二十二名、一個小隊近く。

兵隊さん達は、訓練された動きで陣形を組み、銃を構えている。


その装甲服の腕には、ある紋章が、等しくつけられていた。

七枝の燭台に、剣を重ねた紋章。

異端狩りの総本山─────〈七剣灯局カンデラブラ〉の紋章だ。

と、なれば当然、目の前の兵士達は、対〈吸血鬼ヴァンパイア〉・〈獣人セリアン〉専用のものを、フル装備しているに違いなかった。


……僕とベアーはなんとかなるけど、しいらさんが、ちょっとまずい。


今のところ、問答無用で撃ってくる気配はないようだけれど……。

さて、どうしたものか。

と、様子をうかがっていたところ。


「けっひぇぇぇぇぇぇええええええええぇぇぇえぇええぇえいぃぃぃいえぇぃっ!」


上空から、そんな怪音が響き渡ってきた。

声の主は、空中停止しているヘリから、であった。

他の兵士達とは違っていたのは、降下用のロープなどを、一切手にしていないことだ。


「ちぇちぇちぇちぇちぇちぇちぇありゃぁぁあああぁぁっっぁぁっハっハっハっハぁぁぁああっ!」


異様な叫び声を撒き散らしながら、鉄橋の鉄線に飛びつき張りつき、降下してくる。

の者は、〈人外アーク〉じみた運動能力で、瞬く間に高度を下げきるや、ひとつ大きく跳躍。

ぎゅぎゅんと空中で三回転し、ズダン!、と僕らの前方に着地した。


「フっ、ふっ、ふぅぅぅぅううううぅぅぅうううぅぅぅんンンンンン──────────」


男は、怖気おぞけの立つ息の吐き方で呼吸を整え、直立静止した。


髪は茶がかった金髪で、チリチリとした巻き毛。

病的なまでにやせ細った顔。

その両眼には、狂気めいたなにかが、ギラギラと光っていた。

ベアー並の長身で、体格は、細い顔とは反対に、異様に盛り上がっている。

胸には、大きめの十字架。

装甲服ではなく、黒い、神父を思わせる衣装を身にまとっていた。


思わせる、というのは、目の前の人物が神父などではありえないことを、残念ながら、うんざりするくらい知っているからだ。

過去に、何度か戦ったことがある。

……いや、戦ったというか、まともに相手をしたくなかったので、適当に殴り飛ばしたあと、毎回、僕のほうが一目散に逃げていたというか。


ンンンフフフフフぅぅぅぅぅー。


僕が思い出したくない過去を回想していると、男はそう怪笑して、こちらを見つめてきた。


………ぎへー、嫌すぎる。


しいらさんをチラリと見やると、男のあまりの頓狂さに、硬直しきっていた。

初遭遇だろうから、無理もない。


「よぉゥうやく会えましたねェェェ~。ニフシェ・舞禅ンンンん~」


……僕のほうは、一ミリグラムも会いたい気持ちはなかったんだけどな──────。


心底そう思ったけれど、なんだか声に出して応える気力も湧かない。

が、眼前の怪人は、僕の心中なんかお構いなしに、ぐひぎひきっき、と満面の笑顔だ。


─────〈人外アーク〉界の噂にいわく。

七剣灯局カンデラブラ〉に、忌避したき三者あり。


ひとり、〈地獄の番犬ケルベロス〉ジェガス・ジェガ。

ふたり、〈最強災厄カラミティ・ハザード〉カントワン・シホウズ。


そして、三人目─────〈無慈悲マーシレス〉ベラヒィ。


それが、眼前にいる怪人の、通称だった。


前者二名は、純粋に、恐るべき戦闘力を持つ人間である、ということで畏怖されている。

だが、この、目の前の怪人は、それ以上に、嫌悪感を以て避けられていた。


……相手が女子供であろうが、老人であろうが、問答無用。

人外アーク〉ならば、そのことごとくを神の名の下、容赦なく斬り捨てる。

何故なら、そのすべては、生まれながらにして邪悪、呪われた存在であるからだ、と。


人間がおちいりがちな精神、かたよった正義の、典型である。


問題なのは、それだけではなかった。

人外アーク〉を討ち取る為なら、どんな犠牲も厭わない。

その犠牲が、たとえ無関係な一般市民であっても。

神のため、正義のための犠牲者は、残らず天国へ行けるのだから、幸福である、という論理らしい。


この男の〈人外〉狩りの巻き添えで、ひとつの村が、血の海になったこともあると聞く。


無慈悲マーシレス〉。


そんな言葉すら生ぬるい、大量虐殺者ジェノサイダー


その肉体には、狂った正義を押し通せるだけの〈力〉が備えられていた。

薬物投与、法術刻印、機械化手術……。

およそ人の手で強化できる極限の果てまで、自分の肉体を改造しているらしいのだ。


その成果は、先ほどの空中ダイブが物語っている。

戦闘能力にいたっては、言わずもがな。


崑崙コンロンの仙人達とはまた違った種類の、人間の中の、〈人外アーク〉。

実にまったく、どちらが化け物なのだか。

悪名高き怪人は、なおも、きひひひふはひ、と不気味な笑い声をもらしていた。

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