第47話

「荒木先生。次の患者さんをご案内していいですか?」


 新たな感染症の襲来もないのに、小児科では朝から患者さんで溢れていた。診察が終わった前の患者さんの電子カルテを確認しているナミは、モニターから顔も上げず答えた。


「どうぞ」


 看護師がドアを開けるとともに、聞きなれた声で女の子が、ナミの膝にしがみついてきた。

「あら、ユカちゃん。久しぶりー。元気そうだけど、またお熱でも出たの?」


 ナミはユカを抱き上げて、額を触った。熱もなさそうだ。やがて石嶋が姿を現したが、ドアのそばで立ち止まっている。雷の夜に石嶋の家でエキサイトした自分が恥ずかしいナミは、彼にまともな挨拶も出来ないでいた。

 一方石嶋は、一向に自分に声を掛けてくれないナミに焦れて、仕方なく自らナミと対面する診察用のいすに座った。


「あの…」

「へんね、ユカちゃんお熱もないし…。おなかが痛いのかな?」


 おなかを触診するナミに、ユカはくすぐられているかのように、身体をよじって笑う。


「あの…」

「ユカちゃん、そんなに暴れたら診察できないですよー」

「ナミ先生。今日の患者は、ユカじゃありません。僕なんですよ」


 思いつめたような声に、ようやくナミが石嶋に目を向けた。


「今日のユカは、自分の付き添いです…」


 ナミはじっと石嶋を見つめた。石嶋はそんな視線に押されて伏し目がちに言葉を続ける。


「先日は、家まで来て頂いてありがとうございました。ちゃんとお礼も言えなくて…。あの日先生に怒られて…、自分ではどうしいいかわからないし…」


 意を決したように石嶋は、姿勢を正し、ナミを正視した。


「ナミ先生、どうか自分達を見捨てないでください」


 石嶋の訴えに、ユカを膝に抱いてしばらく黙っていたナミであったが、やがて口元をゆるませた。


「わたしがいつユカちゃんを見捨てるって言いました?」

「いや、あの時本当に怒っていらしたから…」

「だいたい医師法の第19条に応招義務というのがあって、医師は診察治療のもとめがあった場合には、正当な事由がなければ拒んではいけないのですよ。そんなことしたら、義務違反で医師資格をはく奪されてしまいます」

「そうなんでしょうけど…」

「あの日以来、わたしもユカちゃんとヒロパパにとって、何が最善な方向なのかをずっと考えてました」

「もう怒っていないんですか?」

「確かにあの時はちょっとエキサイトしましたが、自分も反省してます」

「そうですか。よかった…」

「ご両親を失ったことで、ユカちゃんはこころに大きな傷を負ったことは確かです。今でもきっと無意識に、居るはずもないお父さんとお母さんを探し求めているのではないでしょうか」

「そうでしょうか…」

「しかしユカちゃんはどんなになついてくれても、決して私のことをママとは呼びません。私がママでないことがちゃんとわかっているんですね。でもヒロパパはちがいます。ヒロパパが父親と同じ香りと感触である実の弟だからこそ、ユカちゃんはヒロパパのことを本当の父親として感じているのではないですか」


 石嶋は黙ってナミの言葉に耳を傾けていた。


「どんな子供でも2回も父親を失いたくないはずです。失いそうな気配を感じるとそれが大きなストレスとなって、きっと高体温になるのだと思います」


 石島はユカを見つめた。


「どうでしょう、ユカちゃんを仲間はずれにしないで、ヒロパパのデートに連れて行ってあげたら…。将来どうなるかは別として、ユカちゃんもヒロパパとお付き合いしている方と仲良くなれたら、ストレスも軽減できると思います。お相手が嫌がるかどうかわかりませんが、ユカちゃんのようなおとなしくて可愛い女の子なら、きっと仲好くしてくれますよ」


 ナミはそう言ってユカの髪を優しく撫ぜた。


「わかりました。ナミ先生のお話をよく考えてみます。でもよかった…、ナミ先生が怒っていないことがわかって、胸のもやもやが解消しました」


 石嶋は顔を明るくして礼を言うと、ユカの手を取っていすから立ち上がった。


「あっ、それから…。ユカにまたなにかあったら、ナミ先生にご連絡してもかまいませんか?」

「もちろんですよ。私はユカちゃんのホームドクターですし、ユカちゃんとヒロパパの味方ですから」


 笑いながら手を振って診察室を出るユカと石嶋を見送ると、ナミは小さくため息をついた。所詮、患者と医師の関係では恋愛などできるはずない。医師は医師としての役目を全うするしかないのだ。

 看護師が次の患者さんを案内していいかどうかナミに聞きにきた。しかし、肩を落として考え込んでいるナミを見て、声を掛けていいかしばらく悩んでいた。

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