第27話
「泰佑、会議資料の準備できた?」
「ああ、20部だったよな」
「ちょっと、あたしが指示したページネーションになってないじゃない!」
「こっちページ立ての方が明らかに論理的でわかりやすい」
「なんで、あたしの言うとおりにやらないのよ!」
「言われたままの仕事を望むなら、アシストにバイトでも付けろ!」
「ほんとにもう…。時間ないからいいわ。いくわよ、泰佑」
「オキク、半分資料持てよ!」
オフィスを飛び出す希久美と泰佑。今や、田島ルームと斉藤ルームの離れた席で怒鳴り合うふたりのやり取りはオフィスフロアの名物となっていた。
仕事の話はいつも語気がきつくて、穏やかに話しているところを見たことがない。時には取っ組み合いを始めそうな勢いで口論するふたりだが、それでいてお互いを下の名前で呼び合うのは妙だと、みんなが感じていた。田島ルーム長ですら、長い付き合いなのに希久美を名前で呼んだ経験がない。実際のところ、セクハラ騒動で話題となった当人同士だから、両ルーム長ともふたりのやり取りをハラハラしながら見守っていた。
希久美にしてみれば、復讐が進行している安心感か、泰佑を見る目が落ち着いてきた。比較的冷静に彼に接することができることが嬉しかった。
過去に遠目でしか見たことのない希久美にとっては、身近に感じての泰佑との共同作業は興味が尽きない。あらためて接してみると、言うことを聞かない泰佑のがんこな気質に驚いたが、彼の仕事には満足していた。社内でどんなに口論しても、客の前では余計な発言は一切しない。リーダーの希久美を立てて見事な副官ぶりを務めている。
クライアント先での会議でこんなことがあった。昼食後で腹が膨れたクライアント達が、地方公務員にありがちなだれきった態で、企画を説明する希久美を前にしながらも、居眠りを始めたことがある。希久美は不快感を覚えながらも仕方なく説明を続けていると、突然泰佑が席から弾けるように立ちあがったのだ。
「あっ、すみません!」
泰佑が自分のグラスを倒し、氷とアイスコーヒーをテーブルの上にぶちまけてしまったのだ。
「自分不器用なので…。ほんとうにすみません」
と言いながら慌ててコーヒーを拭く泰佑に、クライアント達が失笑する。
「失礼しました。では、気を取り直してご説明を続けさせていただきます」
希久美が説明を再開すると、今まで舟を漕いでいた連中が、見事に目を覚まし希久美の説明に聞き入るようになっていた。泰佑の失態が実は意図的なものであったことは、もちろん希久美も察っすることができた。
もちろん公のプロジェクトとともに、私のプロジェクトの進行も重要だ。プチ・パレスのチイママのアドバイスを軸にしながら、泰佑の気持ちをこちらに向ける努力も怠ることが出来ない。
週明け提出の事業収支計画を作成するため、出勤を余儀なくされたある土曜日。希久美は、長い髪に軽いウェーブをかけて、少女っぽい花柄のワンピースを着てオフィスへ向かった。オフィスにふたりだけになる土曜出勤に、普段会社には着てこないような服で出社し、自分に見せるために特別におしゃれしてきたと、泰佑に淡い勘違いをさせるのが目的だ。
オフィスに行くと、泰佑はもう先に来て作業を進めていた。泰佑もカジュアルな私服姿だった。椅子に浅く腰かけ、素足にデッキシューズを履いた長い足をテーブルの上に組んで、予算資料を読んでいた。
しばしその姿を眺めていると、10年前渋谷で待ち合わせた彼の姿が蘇ってきた。今日の私服姿は、あの頃もまして肩幅の広さと足の長さを強調する。あの事さえ考えなければ、彼は希久美の関心の持てる男性リストのトップに名前を連ねられるクオリティを保持している。
しかしだからこそ、余計に彼が許せない。また怒りが、希久美の血を沸騰させる。
ここはひとまず自分を落ち着かせて、買ってきたスタバのコーヒーをポットからコップに移し、泰佑のデスクに持って言った。
「土曜出勤なのに早いのね」
「貴重な休日だから、早く終わらせたい」
泰佑は希久美を見ても朝の挨拶すらせずに、ぶっきらぼうに答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます