第28話
「コーヒーどう?」
希久美はカップを泰佑の前に置いた。泰佑は、じっとカップを見つめ手を出そうとしない。
「なによ。公私の公では、コーヒーに悪戯はしないわよ。安心しなさい」
「ああ…。ありがとう」
泰佑は恐る恐るカップを手に取った。希久美は席に戻る背中に、泰佑の視線を感じた。どんな想いの視線なのかはわからないが、とりあえず服を変えてきた作戦は成功したかもしれない。
作業は予算項目を分担してそれぞれが作成することから始め、統合する作業を残して昼になった。外で昼食をとる時間も惜しかったのでオフィスでランチボックスを食べることにした。希久美の好みを聞いて今度は泰佑が買ってきた。よもや作成中の予算書が載っている自分のデスクで食事をするわけにはいかないので、作業デスクに移ってふたりで弁当をほうばる。
黙々と箸を動かす泰佑を見ながら呆れたように希久美が言った。
「ほんとに無口ね、泰佑は。ふたりで食事している時くらいなんか話しなさいよ」
「同席を泣いて嫌がってた人のセリフか…。無理して話しをても、オキクが関心を持つような話題は持ってない」
「それなら、食後の暇つぶしに私の質問に答えなさい」
「嫌だね」
希久美は泰佑の拒否の言葉もお構いなく質問を投げかける。
「泰佑は同性愛者なの?」
泰佑は、あまりにも直球の質問に驚き咳き込んで、口の中のご飯粒を飛ばした。
「汚いわねぇ、口に入れたもの飛ばさないでよ…」
「いきなり何だ!」
「だって派遣社員の女子が嘆いてたわよ」
「水飲むか?」
「ちょっと、待ちなさいよ。まだ話してるんだから」
希久美が立ちあがる泰佑の袖をつかんだ。
「女の子だと、話し掛けようと寄って行くと離れていくし、やっと話しかけられても返事しないし、それでもがんばって誘っても断るばっかりだし。男ではそうでもないのに…」
「男が好きなわけじゃない」
逃亡を諦めて、泰佑が希久美の前に腰掛けて言った。
「オキクがゲロを吐きまくっていた夜…」
「なんで今その話しなの?」
「言ったはずだ。自分は女が苦手だ」
「そのクールなところが派遣社員の女の子にウケルのかしら…」
「もっとはっきり言おうか。自分は正真正銘の男尊女卑イストなんだ」
「ふーん。でも…、その割には…」
希久美が悪戯っぽい笑みを顔に浮かべながら、言葉を続けた。
「…私と昼食したがったり、私の飲みの誘いは断らなかったじゃない」
希久美の言葉に返事もせず、泰佑は怒ったように席を立ち、ランチボックスの空きがらを持って給湯室へ消えていってしまった。
彼の反応を見た希久美は、作戦が成功しているのかどうか自信が持てなかった。しかし、こんな会話が気安くできるようになったのも、自分と泰佑が少しづつ親しい仲になりつつある証拠だろうと自分を納得させた。この先、より「親しい友達」になり、さらに「特別な友達」になるなんて、なんて先の長い話なんだろうか。
午後の作業に入り、事業収支計画を完成させる頃にはすっかり夜となってしまった。一応泰佑に夕食を誘ったが、今度はあっさりと断られた。昼の会話の内容をまだ引きずっているようだった。
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