第9話
数日後のオフィス、得意先の東京事務所から戻る廊下で歩きながら、希久美は田島ルーム長に食ってかかっていた。
「ルーム長、今さらスタッフを外注できないなんて言わないでくださいよ」
「仕方ないだろう。県の商工観光課が補正予算が取れなかったって言うんだから。他に扱いがあれば原価を回せるが、単発だしな」
「どうするんですか。私一人じゃこなせないですよ!」
希久美の抗議に、田島ルーム長しばらく考えて代替え案を思いつく。
「お前のアシストにうちの社員をつけるのはどうだ?」
「えーっ、みんなそれなりに、忙しいのに」
「金が無いんだから、仕方が無い。なっ、そうしよう」
「でも…」
「いいって、俺が室長に頼んでやるからさ。誰がいいか人選しろ」
「人選て言ったって、周りはおじさんばっかりじゃ…」
ルーム長との話に夢中になっていた希久美は、足元にある増設中のランケーブル端子に気付かなかった。足を引っ掛けて体のバランスを崩した希久美の腕を、田島ルーム長が取ろうと腕を伸ばしたが、時はすでに遅く、虚しく空をつかんだ。
希久美がフロアに叩きつけられそうになった瞬間、プリンセスを救う白馬の騎士が現れた。そばにいた同僚が希久美に逞しい腕を差し伸べたのだ。
突然の出来事にもかかわらず、学生時代から身体を鍛えていた白馬の騎士は、しなやかに反応して軽々と希久美の身体を受け止めた。希久美は、寸前のところで床に這いつくばらずに済んだ。
「どうもすみません。ありがとうございます」
希久美は、詫びと感謝を繰り返し、わが身を受け止めてくれた白馬の騎士を見やった。騎士は石津先輩だった。今自分を抱きかかえている相手がわかったとたん、希久美は釣りあげられた深海魚よろしく、身体中の血液が沸騰し、見開いた目から眼球が飛び出した。
「私の身体に触らないで!」
慌てて自分の態勢を戻して身を離した希久美は、石津先輩の頬にいきなり平手打ちをした。それは周りの社員の注意を引くには十分な音だった。
「おい!青沼。お前なんてことを…」
田島ルーム長の驚きも構わず、希久美は大きな足音を立てながらその場を立ち去る。石津先輩は黙って、希久美の後ろ姿を見送った。
この事件は、後日『石津がセクハラをして、希久美に殴られた。』というニュースになって、全社員に伝わったのだった。
希久美を追いかけるようにして戻った田島ルーム長が、すでにデスクで平然と仕事を始めている彼女に、小声で話しかけた。
「おい青沼。さっきのはまずいよ。石津に謝ったほうがいいぞ」
希久美は、モニターから顔も上げず答える。
「なんで謝るんですか?」
「なんでって…」
希久美の反応にあきれながら田島ルーム長は言葉を続けた。
「誰を嫌おうがお前の勝手だが、ちょっと露骨すぎないか。この前も全体会議でコーヒー頼んだら、石津の分だけないし。みんなを誘って社食へ昼飯にいく時も、石津が入ると必ず抜けてひとりでどっか行ってしまうし…」
「ああ、おなかすいた。もうこんな時間か…。社食に行ってきます」
「お前…。どうして最後まで俺の話を聞けないんだ」
「つきあい長いから、聞かなくとも何が言いたいのかわかっちゃうんですよ」
田島ルーム長は苦笑いしながら、デスクを離れる希久美の背に声をかける。
「じゃ、人選急げと言いたいのも、当然わかっちゃうよな。青沼!」
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