Ⅷ-197 神様の紛い物



 ヒュウ……ゴオオォ……


 ひんやりとした音が、僕の耳を揺さぶる。


「うぅ…ん…?」


 ゆらゆらと立ち上がりつつ思い出す。

 僕にはやるべきことがある。


 そう、鬼ごっこだ。


「起き、なきゃ…」


 体を起こそうともがくけど、手足がしびれて動けない。


 もうすぐイヅナが来る筈だから、早く逃げる準備を……



 ……って、そうじゃない。



「もっと、気になる事が…」


 少しは頭が冴えてきた。

 寝惚けている場合じゃない、この状況は明らかに不自然。


 まず、真っ先に確かめるべきことは一つ。


 ここは、どこだろう?


 僕は、目を開けた。


「うっ、眩しい…」

 

 差し込む光に瞼を細め、慣れて来てからもう一度。

 そうして、ようやく世界が見える。


 天井から滴る鍾乳石。

 奥深くに広がる深淵、真っ暗な地中への道。

 逆側を向けば遠くに見える、外に繋がる希望の光。


 まあ、簡単に言えば。


 冷たい岩に寝そべって、僕は洞窟の中に寝そべっていた。


「あれ、動ける…?」


 気が付けば引いていた体の痺れ。

 僕はおもむろに立ち上がる。


「どうしてこんなところに……うっ!?」


 後頭部を突如襲ってきた、殴られたような痛み。


 ドクドク。

 頭が脈を打つ。


 血がたくさん集まってきて、今にも弾けて溢れてきそうだ。


「や、やめよっか…」


 頭痛がひどくて集中が散る。

 気を失う前のことは、もうしばらく思い出せそうにない。


 今は、周囲の情報を探ることに注力しよう。



「……何も、ない」



 そりゃそっか。


 洞窟なんかに大したものなんて無いよね、RPGじゃあるまいし。


 眺める限り普通の洞窟。

 幾ら見渡しても、自然の神秘にただただ感銘を受けるだけ。


「…出よう」


 この洞窟の場所がどこか――きっと山の辺りだけど――今すぐには行動できなくても、早めに知っておいた方が良いはず。


 岩壁に手をつきながら立ち上がる。


 足場が悪い。

 一歩ずつ、転ばないよう、ゆっくりと。


「あと少し……あっ!?」

「やれやれ、もう目を覚ましちゃったんですね」


 僕のそんな確かな歩みは、一瞬のうちに打って崩される。


 服の襟を後ろから掴まれて、僕は硬い床に尻もちをついてしまった。


「いてて……だ、誰…?」

「誰と聞かれると……ふむ、困ってしまいます」


 この声には聞き覚えがある。

 気を失う前、微かに聞こえていたような気がする。


 振り返った。


 声の主を視界に収めるために。



「―――え」



 そして、絶句した。



「…うふふ、すっかり言葉を失くしてしまって。もしかしてワタシ、そんなに綺麗な見た目してます?」

「お……?」


 そう。光に照らされた彼女の顔は他の誰でもない、オイナリサマの顔を象っていた。


 さっきにも増して混乱する僕の頭。


 しかし、鬱陶し気な表情をして首を振り、吐き捨てるように彼女は言う。


「別にワタシ、オイナリサマじゃありません。それにワタシ、が大嫌いですし」

「…そ、そうなの?」


 ああ、でも、落ち着いてきた。

 改めて冷静になって見てみると……色々違う。


「確かに、なんか黒い…」

「そうではなくてっ!」

「えっ!?」


 おかえり混乱。

 前触れの無い怒鳴り声。


 一体どの言葉が逆鱗に触れたのかは分からないけど、彼女は怒り出した。


 壁の岩を殴りつけ、手からサンドスターが巻き散るのも厭わず、半狂乱の状態で大きな独り言を叫ぶ。


「ワタシは断じてあんな……忌まわしい奴に、ワタシのを奪ったアイツなんぞの姿に………あぁ、出来ることならやり直したいっ!!」


 僕は若干縮こまりながら、その声に耳を傾ける。


 正直とても怖かったけど、情報も搔き集めねばならなかった。


「…ど、どうなってるんだろう」


 聞いた感想を率直に言えば…”よくわからない”。


 でも理由はどうあれ、彼女が本物のオイナリサマを敵視していることは間違いないだろう。


 僕を気絶させてここに連れてきた犯人も、恐らくは彼女。

 出来ればその理由を尋ねたいし、早く落ち着いてくれないかな。


「ふぅ、ふぅ……失礼、取り乱してしまって」


 そんなことを思っている間に、段々と癇癪も収まってきた様子。

 この分なら、話にも応じてくれそうな気がする。


「ねぇ、少し質問してもいい?」

「ええ…答えるかどうかは内容によりますが」

「それでいいよ」


 どうであれ答えてくれるのなら、僕としては願った通り。


 …とはいえ、いきなり核心に迫ろうとするのは早急かも。


 話を始める意味合いも兼ねて、さっきからずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。

 

「じゃあ早速。あなたって…セルリアン?」


 ピクリ。


 狐耳らしき黒い何かが、頭の上で揺れる。


「…まあ、そうですね」


 やっぱりそっか。

 予想通りでよかった、この黒さでセルリアンじゃなかったらどうしようかと。


 でも、セルリアンということは……


「じゃあ貴女は、オイナリサマの輝きをコピーして?」

「…ワタシはオイナリサマなんかじゃない、絶対に」


 今度の否定は強めの口調。


 だけど姿が姿だけに、オイナリサマと無関係と主張するには苦しい。

 どうであれ関わりはある筈だ。


 少なくとも、その形を取るようになった切っ掛けぐらいは。


「それでも、関係はあるんだよね」

「……別に、何も」

「だったら貴女は違う姿のはず。まさか、好き好んでオイナリサマを模した訳もないんでしょ…?」


 僕は、いつまた彼女の逆鱗に触れてしまわないかとヒヤヒヤ。


 言葉を選んで、強い口調にならないよう気を配って、僕は彼女に探りを入れる。


「…わからない」

「本当に? 何も、覚えてないの……?」

「はぁ……別に良いでしょう、ワタシのことなんて」


 深いため息。呆れの色。

 でもそれは、深入りされたくない想いの裏返し。 


「それより、他に質問は無いんですか? 出来るなら、もっと質問が欲しいのですが」


 そう言って、この件への追及を逃れようとする


 ご想像の通り、オイナリサマを模しているからイナリアン。

 頭の中だけで、僕は彼女のことをそう呼ぶことにした。


 間違って声に出して呼んでしまった日には……あぁ、想像するだけで恐ろしい。


 まあいいや。


 とにかく…ええと、そう。

 質問だよね。


「楽しい質問かあ……じゃあ一つだけ」


 核心に迫る質問に、多少のおどけをコーティングして、彼女に投げつけた。


「あと少しでさ、鬼ごっこが始まる予定だったんだよね。……どうして、邪魔なんてしてくれたのかな?」


 軽い調子で口にしてるけど、僕はかなり怒っている。

 

 だって、僕たちの全力の遊びを邪魔されたんだよ。

 どんな理由だって許す気はないけど、それでも知る必要はある。


 聞かなければ腹の虫が治まらない。


「仲間に入れて欲しかった……とかじゃ、ダメですか?」

「あはは、そっかそっか。面白い冗談だね」


 だと言うのに、イナリアンから返って来た答えは


 言葉にした通り、本当に面白いと僕は思うよ。

 よくもまあ抜け抜けと、こんな嘘が吐けるものだよね。


「ですが、効果はあったと思いますよ」

「え?」


 意味の解らない一言。


 直後、そんな僕に思い知らせるかのように事態は急変する。



 風を切る音、そして―――



「…ノリくん、怪我はない!?」

「イヅナ…!?」


 不意に聞こえたイヅナの声。頭が反射的にそっちを向く。

 

 僕の目は、すぐにイヅナらしき影を見つけた。

 向こうも…僕を見つけたみたいだ。


「…あ、ノリくん!」


 僕の所からは逆光になって、彼女の影が色濃く見える。


 隣からクスクスと聞こえたイナリアンの笑い声。


 そちらを見ると、彼女は見せつけるように腕を広げ、お返しと言わんばかりのお道化た調子で僕に告げる。

 


「……ほらね。現にこうして、が来てくれたでしょう?」



 その姿はまるで、渾身のイタズラに成功した幼子のようであった。




―――――――――




「…これ、どういう状況?」

「え、えっと…」


 洞窟の中に、僕とイナリアンが二人だけ。

 ついさっきまで鬼ごっこをしていた筈のイヅナから見たら、あまりに奇妙な状況だろう。


 僕も、どう説明すればいいのかまだ悩んでいる。


「ノリくん、はセルリアンなの?」

「あ、うん。見ての通り、そうみたい」

「そっか、なるほどね…」


 イナリアンと僕の間。

 庇うようにイヅナは割り込んできて、イナリアンと相対する。


 背中越しにも感じる殺気に身の毛がよだつ。


 威圧の視線を向けられている筈のイナリアンは、恨めしいほどケロッとした様子で微笑を浮かべていた。


「大体分かった。貴女がノリくんを誘拐したんだね」

「まあ、誘拐とは人聞きの悪い…」

「人聞きね…あはは、そんなの気にしてる余裕あるの?」


 光を跳ね返して銀。

 握られた柄から伸びる長い刃。

 イヅナが刀をイナリアンの喉元目がけて突き出す。


「……貴女はここで、誰にも知られることなく消えるというのに」


 しかしイナリアンの反応も早い。

 すんでのところで体を横に滑らせ、彼女は凶刃を回避する。


「っ……物騒なモノを出しますね。残念です、もっと平和な解決が出来ないものでしょうか…」


 そしてまた、揶揄う様な口調で無い心から言葉を言う。

 

「そうだね、貴女がここで今すぐ消滅してくれれば、一番平和なんじゃないかな?」

「うっふふふ……冗談がお上手で…」

「冗談じゃない。早く消えなよ、セルリアン」


 イナリアンは身体を自在に滑らせ、イヅナは虚空に刀を舞わせる。

 

 息つく暇もない攻撃と回避の応酬。

 傍から見る限りでは互角、だけど僕には強い不安があった。


 それは未だ、イナリアンが攻撃に転じていないこと。


 もし仮に――イヅナの刀筋を完璧に捌けるような体術で――彼女がイヅナに攻撃を仕掛けたとしたら……


「…やるしかない」


 イヅナに守られてばかりじゃない、僕も戦わなきゃ。

 

 作戦は一つ。


 最善のタイミングを見極めて援護をする。

 この芸術のような攻防に裂け目を入れることなく、イナリアンだけを打ち倒せるように。


「ふぅ、そろそろでしょうかね…」

「……何をする気?」


 一瞬、洞窟を流れる風向きの変わり目に。

 イナリアンは後ろ向きのステップを踏んで、イヅナから大きく距離を取った。


 イヅナは距離を詰め返さない。


 刀を構えたまま、向こうの動きを警戒している。

 闇雲に突っ込んではいけないと、本能的に察知していた。


 張り詰めた沈黙。

 

 空気しか動かない暗がりの中。


 イナリアンは嗤った。


「……いえ、大したことではありませんよ」


 目が合った。


 セルリアンの目は昏い。

 未来も希望も過去もない黒。


 闇を迸らせ、イナリアンは踏み出す。


を、果たすだけです―――!」

「っ……ノリくんッ!」


 イヅナの横を光のようにすり抜け、僕の数歩先まで迫るイナリアン。


 そうか、最初から、目的は僕。


 逃げなきゃ。

 僕が人質に取られたら、イヅナが自由に動けなくなる。

 

 まさか最初から、それが目的で……!


「……うふふ」


 嗤う顔。

 勝利を確信し吊り上がる口角。

 

 だけど、違う。


 何がって?


 それは、


「え」


 イナリアンが勝利。


 僕たちは見誤っていた。


「嘘、どうして――!?」



 イナリアンの、本当の目的を。



 …事実を知る時。



 冷たい岩に落ちる、イヅナの身体。



「と、言う訳で……?」

「う、あ……!」


 攻撃はたったの一度、お腹へ沈めた強烈な拳。

 一撃のうちにイヅナを倒し、イナリアンはイヅナを肩に抱える。


 そして僕には目もくれず、洞窟を立ち去ろうと踵を返す。


「……そんな」


 ダメだ。

 行かせるものか。


「待て、イヅナを――――ぐぅっ!?」

「やかましいですね。どうせ用済みなんですから静かにしていて下さい」


 イヅナと同じ、一撃での決着。


 強すぎる。


 互角に見えたさっきの戦いは、ただ遊んでいただけ…?


 無理だよ。 

 こんな奴に、敵う訳がない。



「…でも、お礼くらいは言っておかないといけないでしょうか。うふふ……ありがとうございました、祝明さん」



 去っていく。

 


「あなたは、最高のでしたよ」



 そんな台詞と、絶望だけを残して。

 

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