Ⅶ-179 神棲まう山


「あ、あの、あんまり近づきすぎたら危ないんじゃ…?」


 思わずそんな声が出る。

 当然でしょう、アイネさんが火口に向かって歩き始めたのですから。


 しばらく呆然と虹の柱を眺めていたわたしは、彼女の足音に意識を引き戻されました。


 そして、まるで催眠術にでも掛けられたかのような緩慢な足取りで向こうへと進んでいく彼女を目にしたのです。


「…き、聞こえてますか?」


 呼びかけに返事は無い。

 ただ、無感情な足音が響き渡るのみ。


「あ、アイネさんっ!」


 意を決して大声で叫ぶ。


 すると、ようやく彼女は動きを止めた。


「……ふぅ」


 やっと得られた反応にわたしは一瞬安堵し、すぐにぬか喜びだと知る。


 なぜなら、もう火口の間際まで行き付いていたから。


 わたしが何を言うまでもなく、彼女は立ち止まらねばならなかったのだから。


 それでもまさか、飛び込んでしまうようなことは無いでしょう。


 …無い、ですよね?


「アイネさん、どうしたんですかー…?」


 やっぱりどうにも不安です。

 彼女の元まで駆け寄って、一緒に火口を覗いてみることにしました。


 見下ろせば、一面に広がる虹の海。


 自然とは形容しがたいその極彩色が、直視できなくて堪りません。


 けれど、視線を惹かれてしまう。

 目を逸らしたいはずなのに、吸い寄せられて虹の中。


 ……怖い。


 どうしてアイネさんは、ずっと眺めていられるんでしょう…?


「……っ」


 そんな疑問を持って横を向いたわたしは、更なる後悔に苛まれることとなりました。


 見たものはアイネさんの瞳。


 何よりも明るい『輝きの源』に相対しながら昏く…その輝きを吸わんと深淵を覗く妄執の目。


 このまま堕ちて仕舞いたいとさえ願っているような、ごちゃ混ぜの狂気。


 わたしが彼女を覗いた時、彼女もまた、わたしを覗き込みました。


「…ホッキョクギツネさん、何か?」


 無色、無感情、無関心。


 何も無いことが、どうしてここまでの圧力をもたらすのでしょうか。

 

 威圧されないよう心を強く持ち、率直に疑問をぶつけます。


「質問なんですけど……ここでの調査は何をする予定だったんですか?」

「……あぁ、それですか」


 …奇妙ですね。


 この素っ気なさ。

 まるで、火山の調査に何も関心が無いみたい。


「別に、環境の変化とか、セルリアンの数とか…その辺を調べるだけです」

「セルリアン…じゃあ、危ないのでは…?」

「勿論細心の注意は払わせていますし、可能ならフレンズさんの力も借りるように言っておきました。そうそう、何か起きるはずはありませんよ」


 面倒くさそうに答えて、アイネさんはまた視線を火口に戻す。


 一応、尋ねておきましょうか。


……ここに、何をしに?」

「……火山の調査です」

「なら、調査をしましょう? 火口をボーっと眺めていたって、何か分かるとは思えませんよ」

「…代わりに、お願いできませんか?」

「……えっ?」


 アイネさんは、ずっと脇に携えていたファイルをわたしに預けた。


 中を見ると…読めないですね。


「わたくしの役目は、四神を模したオブジェクトの状態の確認です。ちゃんと置かれているか見るだけで十分ですよ」

「…はぁ」


 正直意味が分かりませんが…まあ、それだけで良いなら。

 

「アイネさんも、気が済んだら来てくださいね?」

「善処します」

「……そうですか」


 例によって投げやりな返答。

 この様子では来ないでしょうね。


 わたしはこれ見よがしにため息をついた後、諦めて調査を始めるべく火口から離れれてゆきます。


 振り返ってみると、アイネさんは動かずに火口を見下ろしたまま。



 ……イヅナさんだったら今頃、苛立ちのあまり突き落としてそうですね。



 そんな想像をし、自分の心の広さを褒めてあげて、わたしは一人で調査を始めるのでした。




―――――――――




「四神…これで間違いなさそうですね」


 アイネさんに手渡されたファイル。

 その中で唯一わたしの役に立った山頂の地図。


 それに示されていたのと同じ場所に、『スザク』らしき四神を模した石板はありました。


 なるほど。

 確かに周囲と比べれば異質で、見つけやすいオブジェクトです。


 何やら線に沿って虹色の光を放っている『それ』は、見るからに尋常でないオーラを放ちながら…唯そこに在りました。


「…うふふ、暖かいですね」


 そっと手を触れれば、ほんのりと伝わって来る柔らかい熱。

 石板だけれど、確かに生きているような心地がしました。


 何はともあれ…四つあるうちの一つ、これで確認が取れました。


 残りの三つも、ちゃちゃっと確かめてきちゃいましょう…!



「――さて、と」



 ファイルに挟んだ地図。

 最後の『セイリュウ』を丸で囲み、これでミッションコンプリートです。


「お仕事も終わりましたし、これからどうしましょうか…?」


 しばし勘案したのですが…ああ、そうでした。


 アイネさんを元に戻すのが先決ですね。


 あんな様子じゃ、探れる事実も探れませんから。


「でも、ただ戻ってもになりそうですよねー…」


 時間が勝手に解決してくれれば都合良いんですけど、そう気楽に思える雰囲気ではありませんでした。


 何かしら、興味を引くための材料は用意しておくのが吉というものでしょう。


「なら…もう少し歩き回ってみましょうか」


 地図を見れば、近くにある物は大体分かります。


 カミサマ、どうかわたしに幸運が訪れますように。


 …わたしの祈るカミサマは、こんな山にはいませんけれど。




 山を下って約二分。

 思ったよりも簡単に、一つ目の手掛かりまでやって来ることが出来ました。


「これは……飛行機?」


 手元の地図に視線を落として、ペンで指すのはその飛行機漢字

 上に書かれたひらがなで、わたしは辛うじて読みを理解できます。


 言ってしまえば…試しに来てみた近場ですね。


 さて、何か見つかると良いのですが。


「…冷たい」


 コンコン。


 地面に刺さった機体を叩いて、若干鈍い音を立てる。


 …飛行機は確か、”金属”で出来ていると聞きました。


 ”金属”と聞けば『硬い』というイメージをわたしは持ちますが、この飛行機はそうでもないようです。


 その証拠に、叩いた部分が凹んでしまっています。

 こんな状態でまともに飛べるのでしょうか?


 いえ…壊れているんですけどね。


「放置されて古いから、脆くなったと考えられるネ」

「…ボスさん。アイネさんは置いてきて良かったんですか?」

「……返事が無かったかラ」

「ああ、そうでしたか」


 探る時間はまだまだ取れそうですね。

 ゆっくりじっくり、丁寧にやりましょう。


「ですが、何を探せばいいんでしょう…」


 何とも今更な疑問ですが、本当にそれが問題です。


 アイネさんの秘密を探るには切欠を作って話をするのが一番。

 ですが上手く話に引き込むには、その秘密の核心を突いた材料が必要なのです。


 ああ、最近キタキツネさんが嘆いていましたね。



『そんな……ダイヤモンドを手に入れるのに、ダイヤモンドが必要だなんて…』

『…あ、出てきた。もう四つ目だね』

『なんでイヅナちゃんばっかり…』



 …まあ、まさにそんな状況。


 これはイヅナさんみたく、偶然の牡丹餅を狙えばいいのですかね?


 でも失敗は出来ない。

 時間の制限だってある。


 直近のタイムリミットはアイネさんが正気を取り戻すまで。


 この辺りで、使えそうなものを見つけないと…


「……おや、これは」


 地面を掘ったらありました。

 役に立ちそうな何か、小さな箱の中に入れられて。


「ふむ…中に何か入っているんでしょうか」


 軽く振って見ると、中からカラカラと物が当たる音がする。


 わたしは飛行機の残骸から離れて、この箱の中身を確かめることに決めました。


「…綺麗な入れ物ですね」

 

 周りのそこかしこに付いた土を払うと、落ち着いた紺色の外装が姿を見せた。

 

 上品な色使い、まるで特別な誰かへの贈り物のようで。


 そう思うと土に埋められていたつい先程までの運命が、わたしには不憫に思えて仕方ありません。


「まあ、大事なのは中身ですよね」


 外側も重要ですが、本命は中にある贈り物。


 ええ…さぞ素敵なものなのでしょう。


 胸に抱いたそんな期待は…箱を開けると同時に、穴の開いた風船の如く虚しくしぼんでいく。



 空っぽでした。



「……ふぅ」


 そして、頭も冷めました。


 ダメですね。

 物で気を引く作戦は、どうせ上手く行かないことでしょう。


 少なくともわたしには無理そうな話です。


 自覚しましょう、自分の武器を。


 そう、わたしは警戒されていない。だから、無知を装ってそれとなく情報を引き出せばいいのです。


 イヅナさんにも散々言われたことではないですか。


「暇つぶしには…丁度良かったですけどね」


 小さな箱はポケットの中。

 何となく気に入ってしまいました。


 今度ノリアキ様に贈り物をするときは、これを参考にいたしましょう。


「さあ、ボスさんも…戻りましょう?」

「分かっタ。行こうカ」


 アイネさん、元に戻ってるんですかね?


 まあ…行けば、分かることです。




―――――――――




「四神の確認、ありがとうございました。それとごめんなさい…やっぱり、は消えないみたいで」


 わたしとボスが火口近くまで戻ってきた時、アイネさんは中くらいの岩に腰を下ろして休んでいました。


 こちらを見た瞳は至って正気。

 ようやく、普段の彼女に戻ってくれたようです。


 尤も…ともすれば直前までの調が彼女の素である可能性も、否定はできませんが。


「頑張りましたけど…一応、自分の目で確かめてみてはどうでしょう?」


 ファイルを返して、そう添える。

 彼女は中身を一通り眺めた後、わたしの提案に首を振った。


「…いえ、ホッキョクギツネさんを信じます」


 ニコリと微笑み告げられて、普通なら喜ぶべき場面なのでしょう。


 わたしも一応は愛想笑いをしました。


 けれど、彼女がまともに私の文章――頑張ってひらがなでいっぱい書きました――を読んでいないことは明白。


「それより行きたい場所があるんです。いいでしょうか?」


 つまり、その『行きたい場所』とやらが本命なのですね。


「はい、わたしは構いません」


 うふふ、当然ついて行きますよ。

 彼女自ら、秘密への手掛かりを差し出してくれているのですから。


「それで…どこなんですか?」

「火山からは降りてしまうんですけどね。…ほら、あの方角でしょうか」


 アイネさんが指差した方向。

 向こうに見える丘に立つ、赤い目印がよく目立つ建物。


 のことはよく知っています。


「もしかして、あの神社ですか…?」


 …むむ、神社を探られるのは都合が悪いです。


 わたし達への直接の不利益はゼロですが、オイナリサマが居ることを知られるのは避けておきたいところなので。


「……ん? ああ、神社なんてあったんですね。そうじゃなくて、もっと下です」


 でも、アイネさんが言っていたのは別のものでした。


「…森?」

「そう、その中にあるロッジ。そこに興味があるんです」


 なるほど、神社ではないのですね。


 でも納得です。

 ロッジなら、十年前にも確かにあったに違いありません。


 そこなら、彼女の過去に関わる出来事もあることでしょう。


 それに、神社を探られないことは幸運ですね。



 安堵の息と手で胸を撫で下ろした…その時、心の中を見透かしたようにアイネさんは呟いたのです。


「でもそうですね…折角ですし、日を改めて神社にも行きましょうか」

「…そう、ですか」


 なんと不運なことでしょう、墓穴を掘ってしまったようです。


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