Ⅶ-177 秘密は誰でも持っている
雪山へと戻ってきた私は真っ先にノリくんの元へ。
ノリくんは、こんこんと眠るキタちゃんの隣で座りながらうたた寝をしていた。
「…ぇ、イヅナ?」
優しく肩を叩いて目を覚ます。
ボーっとした目で私を見つめるノリくんの手に、小さな箱を握らせた。
「はい、頼まれてた風邪薬」
「あぁ……ありがとう。でも、思ったより掛かっちゃったね?」
「うん、色々あってね~」
「……あはは、そっか」
言葉や声とは裏腹に、気になるような目をしたノリくん。
だけど、改めて私に深く尋ねるようなことはしなかった。
分かってるんだ。
こういう風に答える時の私には、話したくない隠し事がある…ってことを。
「じゃあ、キタキツネに飲ませてくるね?」
渡した薬の外箱を見つめ、そう呟くノリくん。
その言葉通り、彼はすぐに向こうへ行ってしまった。
心なしか、その足取りは後ろ髪を引かれているかのよう。
「……やっぱり怪しいかぁ」
今更ながら、あの外箱の見た目は些かポップだった。
まるで外で売られているような――研究所には似つかわしくない――デザイン。
恐らく本当に市販薬だから私には言い訳も出来ないんだけど…それでも、ノリくんは咎めずに受け取ってくれた。
「優しい……それか、臆病?」
ノリくんには恐れがあった。
ううん…ある。
どんな時でも。
今のこの生活が跡形もなく壊れてしまわないか…いつだって、道の側溝のように付いて回る不安に怯えている。
ホッキョクちゃんの一件から、まずまずその傾向は強くなっているみたい。
「大切にしてくれてるのは嬉しいんだけど…」
想いが強くなればなるほど、相手を失う恐怖は膨れ上がる。
それは他でもない私が一番よく知っている。
何か、安心させてあげる方法があると良いんだけど……
「…イヅナさん」
「わ、ホッキョクちゃん? びっくりした、急に話しかけないでよ」
「ごめんなさい…でも、そろそろ船に戻った方が良いのではと…」
「あー、そうね。居ないのバレたら仕方ないし」
誰よりも安全圏に居ながら、一歩踏み間違えれば一瞬で”側溝に落ちる”ホッキョクちゃん。
一番のキーパーソンほど毎回難しい立場になるのは、一体どういう巡り合わせか。
それとも、キーパーソンとはそういう人物なのだろうか?
「危ないのは戻る時だから、本当に気を付けてね?」
「ご安心ください、お手洗いに飛んでから部屋に戻るつもりですから」
「……おお、考えるじゃん」
知識は無いけど閃きは随一。
だから絶対、この子に余計な知識を与えちゃダメだね。
「それでは、行って参ります」
「うん、行ってらっしゃい」
魔法陣シートを広げて、次の瞬間には跡形もなく姿を消したホッキョクちゃん。
「……はぁ」
一人きりになった冷たい廊下で、私は白い吐息をばら撒く。
……課題が多すぎるんだよ。
まず直近の調査隊。
それにノリくんの抱えた不安。
ホッキョクちゃんというダークホース的不安分子。
頭がくらくらする。
こんな時こそノリくんに思いっきり抱き付いて、両の肺が一杯になるほどノリくんを吸って、全部忘れてしまいたい。
忘れたい。
「今日は、キタちゃんに付きっきりだよね…」
流石の私にも、あの子を隣にしてで気兼ねなくノリくんに甘えられる胆力は無い。
「……最悪」
穴の開いた風船から抜ける空気のように漏れたこの言葉が、私の嘘偽りなき今の本心。
割れちゃう。潰れちゃう。
だから、嘘つかないと。
そう…案ずることは無い。
それぞれにちゃんと対処していけば、いつか必ず光明は差す。
未来を見つめ、そんな風に自分を鼓舞したとしても。
今の空は、曇りなんだ。
―――――――――
船のお手洗いを後に、例の部屋へと戻ったわたし。
ドアを開けた瞬間、それはそれは暑苦しい抱擁に襲われました。
「ホッキョクギツネさん、ホッキョクギツネさんですよねっ! 今までどこ行ってたんですかっ!?」
「ご、ごめんなさい。少しお手洗いに行ってまして…」
ミライさんの腕を振りほどきながら、用意した言い訳をつらつらと述べてゆきました。
すると少しの間時間が止まって、気の緩んだため息が部屋に響くのです。
「……なんだ、そうだったんですね」
「ご心配をおかけして、どうもすみません」
「いえ、あなたが無事で良かったですよ」
そっと胸を撫で下ろし、椅子に座ったミライさん。
わたしも向かいのソファに座りつつ、数秒前に付けられた彼女の匂いが気になって堪らないのです。
勿論わたしが嗅ぎ分けられぬ道理は無いのですが、折角体に付けたノリアキ様の香りが薄れてしまいました。
一人になれたら、またじっくり擦り込まなければいけません。
楽しい作業なので全然大丈夫ですけどね。
「それで、傷の方はどうですか?」
「おかげさまで、結構よくなりました」
とりあえず”健康”をアピールするため、気ままに腕を振ってみる。
わたしは自分を見られませんが、面白い光景だったのでしょうか。
ミライさんはクスクスと微笑んで言いました。
「その様子なら、確かに大丈夫そうですね」
「…でも、お願いがあるんです」
ガタッ。
焦って立ち上がった――ように見せかけた――わたしは、脚でテーブルを揺らして鳴らす。
そしてなるべく切実に、危機感が伝わるように、深刻な声で願いを告げるのです。
「……怖いんです。外に出たら、またセルリアンにやられちゃうような気がして…とっても」
「あっ…」
息詰まった呟きで見開かれる瞳。
気付きの色に染まった瞳孔は、嘘つきの姿をしっかりと跳ね返していました。
けれど、彼女に自分の目を見ることは出来ない。
だから、こんなにも慈悲深い同情をわたしに与えてくれるのですね。
「それは、辛いでしょうね」
「そ、そうなんですッ! …だから、あと少しだけ、この怖さが薄れるまでで良いんです。あの…一緒に居てもいいですか…?」
「…それはもちろん。大歓迎ですよ!」
明るく、努めるように発した声の後、わたしの体を彼女の腕が包み込んだ。
それはさっきの抱きつき方とは違う。
こちらを確かに思いやった、とても柔らかい抱擁。
暴走気味な部分はあるけどやっぱり、ミライさんは優しい人です。
えへへ、騙してるのが申し訳ないですね♪
「…ありがとうございます」
こぼれた涙は安心の証。
最初から怖がってなんていなかったのに。
あはは。
もしかして。
わたしって…嘘吐きに向いてる?
―――――――――
「…ねぇ、ホッキョクギツネさん」
「はい、どうかしました?」
ゆったりと済ませた食事の後。
ミライさんの唐突な問いかけにわたしは少し身構えます。
けど、窓から外を懐かしそうに眺める彼女の姿を見て……そっと緊張を解きました。
「いえ、大したことじゃないんですけど…ホッキョクギツネさんは、いつからこの島に?」
投げかけられた質問に、心も体ももっと緩みます。
よかった、ただの世間話で終わりそうですね。
「結構最近ですよ、雪山でお世話になってます」
「…ふふ、確かにそうですよね。ホッキョクギツネさんと言えば”寒い場所”、ですから!」
いつもの調子で元気よく身を躍らせるミライさん。
そして、わたし自身も知らない『ホッキョクギツネ』の生態や様々な知識をひとしきり語り尽くして……ふと、素に戻った。
「……でも、なるほど。最近生まれた子なら、昔のお話も知りませんよね」
「昔の…?」
突然話題に挙げられた物騒な言葉に、わたしの頭の中のスイッチが入れられる。
瞬時に判断しました。
これは聞くべきですね。
さて、こちらの方から踏み込むべきでしょうか。
わたしが言葉にあぐねていると、幸いにも向こうから語り始めてくれました。
「ええ。私たちが、キョウシュウを離れる切っ掛けの一つになった事件です。実は、アイネさんも関わっているんですけど……」
何と、あのリーダーさんも関係しているとは。
ますますしっかり聞かなくてはなりません。
わたしが次の言葉に深く耳を傾けた。
その瞬間。
「……っ」
それはどちらの声だったか。
「ミライさん、勝手にそのようなことを話されては困ります」
”噂をすれば”とはよく言ったもので。
全ての出来事の渦中に立つ調査隊のリーダー、アイネ・スティグミ。
わたしが最も探るべき人物が、部屋の入り口を塞いでいた。
「あ、アイネさん、これは…!」
「噂話はお控えください。わたくし共は、そういう詮索を抜きにして協力しなくてはならないのですから」
「…はい、すみません」
「まあ…今回は良いですよ」
一応のお咎めなしの言質を貰い、安堵の息を吐くミライさん。
扉の枠に預けていた背を離し、わたしの方へと歩み寄って来るアイネさん。
「な、なんでしょうか…?」
無言で放たれる威圧感に、わたしは思わず後ずさりをしてしまいます。
「ホッキョクギツネさん。一つ、貴女を思っての忠告です」
「は、はい…?」
忠告?
もしかして、ミライさんが言い掛けていた事件の話?
「…深入りは好くありません。適度に身を引いてください。長生きしたいなら……危険に、身を投げないで下さい」
期待していたわたしに投げかけられたのは、更に理解を難しくする抽象的な言葉でした。
きっと、随分と戸惑っていたのでしょう。
アイネさんはわたしの目を見て首を横に振り……今度は優しい目をして、そっと髪の毛を梳いてくれました。
「…いいえ、気にしなくて結構です。それより、明日からの予定が決まったので、報告しに来ました」
「そうですよ、研究所。どうするんですか?」
ミライさんの質問にまた目を鋭く光らせたアイネさん。
その変貌ぶりに感心している間に、彼女は淡々と要旨を告げる。
「研究所の再起動ですが…新型セルリアンの脅威が未知数であるため、一時中断とします」
…おお、中々好都合ですね。
イヅナさんは足止めだけでも出来ればと言っていましたが、まさか延期にまで持って行ってしまうとは。
それほどまでのセルリアンへの強い恐れが、ヒトの心に棲み付いている。
きっとそういうことなのでしょう。
「了解しました。ですが、そうすると…?」
「代わりに、火山の短期調査を行います。サンドスター・ロウのフィルターの状態も併せて、周囲の実地調査も兼ねる予定です」
「…火山、ですか」
その
「余計なお世話かもしれませんが……アイネさん。あなたもしかして、焦って…」
「研究所の調査が行えない以上、それが妥当です。既に会議でも決定しました。…明日は、火山に登ります」
有無を言わせず、ただ結論だけを告げるアイネさん。
「…わかりました。決定には、従います」
悔しさと、悲しさと…諦め?
そんな負の感情がぐちゃぐちゃに混ざったような顔をしながら、辛うじてミライさんは頷いた。
わたしには…状況が理解できない。
「それでは、また明日。ホッキョクギツネさんも、ゆっくり休んでくださいね」
何も理解が進まないまま、アイネさんは部屋を出ていってしまった。
残されたミライさんとわたし。
ミライさんは困ったように笑って、わたしに謝罪をするのです。
「ごめんなさいね、難しい話は苦手でしょう?」
「…いえ、大丈夫です」
もう、事件について聞ける空気じゃない。
カギを握るのがの事件なことは、火を見るよりも明らかなのに。
「おやすみなさい…ミライさん」
「おやすみなさい、ゆっくり休んでくださいね」
寝室のベッドで、こじんまりと縮こまって横になったわたし。
でも寝付けない。
頭の中を、大きな疑問がずっと駆け巡っている。
このままじゃ、とてもじゃないけど眠れそうにない。
「こんな時のための…ですよね」
うん、きっと対処は早い方が良い。
イヅナさんに相談しよう。
暗闇の中でシートを広げて、念じて遥かな宿の中。
「十年前…この島で、何があったのでしょうか?」
はらりと零れた呟きも、夜に溶けてほら無くなった。
―――――――――
「あのキツネさんは…誰だったんでしょう…?」
―――――――――
「もう少しで、きっと見つかる。……だよね、パパ?」
―――――――――
夜闇の中に黒は蠢き。
白の中にこそ病みはある。
誰もが秘めたる想いを抱え、しとしとと夜は更けていく。
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