Ⅵ-160 無力なヒトよ

 今日の天気は曇り。


 見渡す限りに広がる灰色の空は決して気分の良くなる眺めではない。

 だが、高すぎない気温は作業をするのに丁度良いことだろう。


 遠くを見れば濃い霧が山頂を覆い、その一部が流れ出してきたのだろうか、辺りの森も薄っすらと霧が掛かっているように見える。


 フレンズたちの方がよっぽどそういう感覚は鋭いだろうが、俺が感じた限り雨が降る気配はない。今日は過ごしやすい一日だ。



 ――しかし、何故そんなものばかり気にしてしまうのだろう?



 ああ、答えは簡単だ。俺は暇を持て余していた。


 目の前には沢山のフレンズたちが行き交っている。


 ある者は木材を持ち、またある者は石を運び、もしくは協力して木を倒したりしている。


 そんな中、俺はオイナリサマに与えられた”現場監督”という立場に甘んじ、何をするでもなく無為な時間を貪り続けていたのだ。


「カムイさん、そろそろ材料が四分の一くらい揃うっス」


 俺はビーバーの報告に頷き、採取を止めて建材を運搬するようにお願いする。

 

 俺に出来る仕事はこれだけだ。


 作業をするフレンズたちを見守り、時にその報告を受け、オイナリサマに用意された通りの受け答えをして作業を更に進めさせる。


 まるでロボットにでもされたような気持ちだ。そう思った直後、ロボットに気持ちなんて無いと気づき、乾いた笑いが出た。


 いっそ雨でも降らないものかな。


 じっとり体を濡らしてくれれば、もっと心の籠った笑顔が出来るかもしれないのに。


「見たところは順調だな…」


 わっせわっせと声を上げ、丸太を運ぶフレンズたち。


 俺としては、見た目の可憐な少女たちに力仕事を任せてしまうのは非常に心苦しい限りだ。


 ただそれを理由に手を貸してしまえば最後、俺はオイナリサマから恐ろしいお叱りを受けることになる。…色んな意味で。


『神依さんに野蛮な仕事は似合いません! 所詮はただの労働力なんですから、顎でこき使うくらいがピッタリですよ』


 どうもオイナリサマの目線では、フレンズたちには彼女曰く”野蛮な仕事”がらしい。


 神様故の価値観か。俺には分かりっこないな。


「…暇だ」


 そう、オイナリサマへの文句など実はどうでもいい。問題が深刻なのは俺が手持ち無沙汰であること。

 その昔、キルケゴールという人物が『死に至る病』と言う名で絶望を形容した。今の俺が思うに、退屈も『それ』の一種である。


 一秒、また一秒と時間が流れ去り、何度目かも忘れてしまった溜め息が喉を鳴らした頃…転機はやって来た。



「た、大変であります! 向こうに、セルリアンが…!」

「セルリアン…!?」


 

 思わず立ち上がった。とうとう現れたか。


 助太刀に向かおうと一歩踏み出し、そこで俺は躊躇した。


 俺は碌に戦える力を持っていない。


 確実性を取るならば、オイナリサマを呼んで討伐に向かった方が良いと思ったのだ。


「…か、カムイ殿?」

「…ああ、すぐ行こう」

「では、案内するでありますっ!」


 俺は、騒動の中に身を投じることで退屈を紛らわそうとしたのか。


 いや…きっと、渦中にいるフレンズたちのことを案じての行動だろう。


 ただ一つ確実なのは、考えるよりも足を動かす方が大事であることだった。




―――――――――




 プレーリードッグと一緒に走って約数分、若干霧が濃くなってきた林の奥に、騒がしい一団が集まっていた。


 彼女らの姿を視界に収めるなり、横を走るプレーリーはそちらを指差して叫んだ。


「――あそこであります! やはり、セルリアンが多いでありますね…」

「確かに、倒すのは骨が折れそうだな…」


 骨の一本や二本で済めば良い。最悪の事態になれば、その身に宿した輝きを全て吸いつくされてしまう。


 …そんな結末は御免だ。


「だがそうだな…アイツら、倒せると思うか?」

「ぐぐ…難しいと、思うであります」


 歯切れの悪い返答で察した、倒して乗り切るのは到底不可能だ。


 セルリアンに囲まれているフレンズも大体四人程度に見えるが、この数の差をひっくり返す戦力を期待するのは筋違いだろう。

 だからこそ、プレーリーもその場で戦うのではなく助けを呼ぶ選択を無意識のうちに行ったに違いない。


「それで、どうするでありますか…?」

「全員で何とか逃げられればいいが…っと!」


 話しながら、俺は霧の中から飛んできた攻撃をすんでのところで避けた。


「カムイ殿!?」

「さっきの声に反応して出てきたセルリアンだ。…多くて三体だな、これくらいなら倒せるか?」

「任せるであります! …あ、大声はマズいでありますね」


 キュッと口を結んでセルリアンを一蹴したプレーリー。


 俺たちは更なる襲撃を警戒して少し移動し、軽く救出の手筈を整えることにした。


「必要なのはスピードだ、もたもたしてたら俺たちも取り囲まれることになる。バッと出て、蹴散らして、広い場所へ逃げる」


 簡単に説明してやれば、納得したようにプレーリーも頷いた。


「他のフレンズ殿が多い場所へ行けば、一緒に戦えるでありますからね! 巻き込んでしまうのは申し訳ないでありますが…」

「緊急事態だ、仕方ない」


 オイナリサマが居れば文字通り蹴散らしてもらって終わりだったんだが…いや、越して考えている時間が勿体ない、さっさと終わらせてしまおう。


「合図をしたら飛び出す……行くぞッ!」

「了解、突撃でありまーす!」


 俺たちは同時に芝生を踏み抜き、霧の中へ飛び込んでいった。



―――――――――



「うぅ…セルリアンが多すぎるっス…」


 ビーバーの嘆く声が聞こえる。


 こちらからも声を上げて励まそうかと思ったが、その前にビーバーが明るく声を張り上げた。


「みんな、いつかチャンスはやって来るはずっス。絶対に、皆で逃げ切るっスよ…!」


 分かり切った空元気。だが、彼女の言葉に駆り立てられた闘志をここからでも感じる。


 俺は並んで走るプレーリーと目を合わせ、共に頷いた。


「蹴散らすであります…!」


 霧の向こうへ、セルリアンの壁へ、プレーリーが先導して突き進んでいく。


「助太刀に来たであります、逃げるでありますよッ!」

「あ…みんな、助けが来てくれたっス!」

「一応俺もいる。戦力になるかは微妙だが…こっちだ!」


 俺たちがやって来て、状況は一変した。


 フレンズ達を囲っていたセルリアンの塀は見る影もなく崩れ去り、みんながその隙間を通ってどんどん逃げて行く。


 俺が先頭を行き、プレーリーとビーバーが殿しんがりを務める。


 セルリアンたちは急襲に対応しきれていない、この調子ならば数分としない内に脱出できることだろう。


「付け焼刃の作戦だが、なんとか上手く行きそうだな…」


 進めば進むほど霧も薄く、見通しも良くなってくる。文字通り差してきた光明に俺はそっと胸を撫で下ろした。


 その光に…大きな影が掛かる。


「ん…何か、揺れてる…?」


 ふとグラついた地面。自然に止まった歩み。


 足を止めるべきではなかったと、思い知らされたのはその直後。


「あ、セルリアン…!?」


 一緒に歩いていたフレンズの一人が絶望の声を上げる。目を前に向ければ、彼女が指差した方向に奴はいた。


「げ、でっけぇ…うおっ!?」


 再び揺れた地面。


 頭が霧に隠されるほどの巨体で、木を根元から張り倒すゾウ型のセルリアン。

 鼻の部分は重機のショベルのようにも見え、溢れる武骨さは日常からの乖離と禍々しい殺意を感じさせる。


 一目見て分かる力の差に絶望し、俺は縋るように後ろを振り返った。


 そこにはフレンズがいる、そしてプレーリーとビーバーがいる。


「た、大変であります…!?」

「オレっち達、逃げ切れるんスかね…」


 …ダメだ、あの二人にも頼れない。


 フレンズたちも戸惑うように辺りを見回し、二進も三進も行かない様子だ。


 俺が…どうにかするしかないのか?


「あぁ…やってやるさ」


 俺は真っ先に、十分すぎるほどに絶望した。


 けどよく考えてみろ、本当に絶体絶命の状況ならオイナリサマが出てくるはずだ。


 そこだけは嫌と言うほど実感したし信用している。あの神様は、俺のピンチを放っておかない。

 つまりはまだ挽回の目があると――本当にこの様子を見ているのなら――思われている筈だ。


 精々ピンチを待っていろ、俺は自分で何とかしてやる。


 まず俺は、悲しみに暮れているフレンズたちを鼓舞することに決めた。


「みんな、諦めるのは早い。あの図体だ、動きはそう早くないはずさ。逃げ切れる…きっと行けるさ」

「そ、そうっスね…!」

「カムイ殿の言う通り、諦めるには早すぎるであります!」


 二人が声を張り上げれば、どん底に沈んでいた士気が戻って来る。


 何事もまずは気持ちだ、希望さえ持っていれば状況を打開する手段は必ずある。


 一旦進路を外れ、近くの物陰で作戦を練ることにした。



「戦法は簡潔に行く。脚を狙って動きを止めて、その隙に逃げよう」


 内容を告げれば全員が頷く。やはりあのデカブツに真正面から戦いを挑むのは避けたいらしい、当然だな。


「それで、後ろ向きな考えでありますが…もし、失敗したら…?」


 後ろめたそうなプレーリー。確かに、場合によっては雰囲気を損ねる発言になりかねない。

 でも、俺は必要な確認だと思う。それに、そうなった時の対処法も用意してある。


「失敗したらそうだな…俺が囮になるから置いて逃げてくれ」

「そ、そんなッ!? 無理っスよ!」

「そうであります! カムイ殿を見捨てるなんて…」

「どうどう、少し聞いてくれ?」


 途端に抗議しだすフレンズたちを制す。どうしてこうなるんだ、優しすぎか?


 かと言って、俺の対処法が変わる訳ではない。


「俺がピンチになったら黙ってない神様がいるんだ、何も問題ないさ」

 

 何と言うか、オイナリサマが俺を矢鱈と大事にしていることは彼女たちも勘付いていたらしく、案外簡単に説得は出来た。


 怖いし本当は使いたい手じゃないが…ま、本当に愛してるっているなら、精々利用されてくれよな?


「じゃあ、さっさとちょっかい出してずらかるとしようぜ」


 攻撃の合図をする。


 それに合わせてフレンズたちが陰から飛び出し、色んな方向から蹴りやら殴りやらを仕掛けセルリアンの体勢を崩した。


 俺はタイミングを見計らい、撤収の号令を掛ける。


「逃げるぞ、急げっ!」


 全員で一方向に走り出す。


 斯くして、無力なヒトが主導した戦略的撤退は、巨大なゾウ型セルリアンに対して多大なる勝利を収めたのだった。



 …そう。


 ゾウ型セルリアンに対して



「あっ…!?」

「っ、ビーバー殿!?」


 セルリアンがビーバの足を掬った。


 最初に蹴散らしたセルリアンの大群が、今になって再び姿を現した。


「くっ…狙ってやがったのか? 狡猾な奴らめ…!」

 

 悪態を突くが現実は変わらない。刻一刻と魔の手はビーバーに迫る。


 ここが…切り札ジョーカーの使い時だ。


「頼むから、ババであってくれるなよ…!」


 咄嗟に駆け付けた俺は、ビーバーを起こし先に進ませる。

 

 なけなしの力で小さなセルリアンを足止めし、少しでも時間を稼ぐ。


「カムイさんっ!?」

「行け! …俺には神様が付いてるからな、すぐに合流できるさ」


 悲痛な顔をしながらビーバーは走り去る。

 ああ、これから死ぬ奴の台詞だったかな、さっきのは。


 まあいい。


 死ぬならば死んでしまえ。

 元々一度潰えた命なのだ、惜しむような希望も奪われたのだ。


 だけど…アンタは違うだろ?


「出て来いよ、俺を死なせたくないならな…!」


 迫りくるゾウ型セルリアン。


 山のような姿が視界を影に染め、俺は逃れようのない死を想像する。


 目を瞑り、もう全てを委ねるのみ。



 一秒…二秒…三秒…目を、開ける。



 俺は笑い、腕を伸ばし、降り注ぐ大量のサンドスターをその手に掴む。


 へへ…やっぱり、見捨てられなかったな。


「神依さんったら…神様遣いが荒いですね?」

「呼んだ覚えはないぞ、勝手にオイナリサマが来ただけだ」


 軽口を返し、怒られるかと思って一瞬身構えたが、彼女から返ってきたのは更なる微笑みだった。


「でも、神依さんは私を頼ってくれたんですよね…嬉しいです」


 ”あふふ”と笑ったその声は、甘くも恐ろしい悪魔のようで。


「そうだ、ついでに神依さん」

「…ん?」


 身震いする程邪悪な誘いを、神はヒトへと語り掛ける。



「守るための力とか…欲しくないですか?」

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