Ⅴ-155 ぐるぐる悩んで、刻はすぐ
「――と、これで私から話すことは全部です。ご理解いただけましたか?」
「…うん」
数時間に渡る独白。いや、数十分だったかな?
時計が無いから分からない。けれど、それだけ長く感じる時間だった。
彼女の発する一音一音が僕の気を遠くし、果たして何度耳を塞ごうと手が動いたのか…数え切ることはおろか、数える気すら起こせない。
「それで、コカムイさんはどうします? この話を聞いて、まだ彼女をホートクに帰すつもりですか?」
「あはは…まるでお説教だね」
僕は皮肉めいた声色で言葉を返した。オイナリサマはそれを気にも留めず、ケラケラと笑って手を翻す。
「…まあ、結局はあなたたちの問題ですね。あの子はもう私の元には居ませんから」
白々しい言い分に僕らも乾いた笑いで返し、用も済んだから神社は後にした。
帰り際見えた虹の空。今の気分の所為だと分かっていたけど、その色が毒々しく思えて仕方が無かった。
「どうしよっか、ノリくん」
「うん…」
「とんでもない
「そうだね…」
「…ノリくん!」
進行方向を塞ぐように腕を広げ、イヅナは僕の前に立ちはだかる。
彼女の中にも、もどかしさが渦巻いているのだろうか。難しい顔をして、僕に真っ直ぐ問いを投げる。
「ノリくんは、あの子が記憶を取り戻すことが”良いこと”だと思うの?」
「…良いことって?」
「だから、それはつまり…そう、なったとして…大団円で終われると思ってる?」
違うと思い、しかし声は出ず、僕はそっと首を横に振った。
オイナリサマがホッキョクギツネに何をしたのかを聞いた以上、忘れてしまった『記憶』が碌な物じゃないことは殆ど明らかだ。
そして極めつけに面倒なのは、僕自身が『記憶が戻ったら帰してあげる』とホッキョクギツネに直接話していること。
「今更、思い出してなくても帰ってくれ…なんて言えないよね」
雁字搦めになってしまった現状を嘆くと、イヅナはクスリと微笑んで僕に囁く。
「確かに、あの子に取ってみればとんでもないことだね。だけど…私たちのことだけを考えるなら、それが一番簡単だよ?」
「そんな、無責任な…!」
「あはは、一番無責任なのはオイナリサマでしょ?」
責任を転嫁して、”何も問題なんて無いんだよ”と語り掛けるそれはまるで悪魔の囁きで…何処までも甘く優しい言葉だからこそ僕は素直に受け入れられなかった。
「程度の問題じゃなくて、だって…一度引き取ったのに…」
ギンギツネが聞けばまた、”気にしすぎ”だと言われてしまいそうな考えだ。だけど、僕はまだそれを大事に抱えていたかった。
対するイヅナはそんな僕の様子を見て何かを思い出したのか、空を見上げながら懐かしむ声を出す。
「私だったら多分…まだノリくんと結ばれてない頃、もしあの子がノリくんと仲良くしてるのを見たら…今のオイナリサマと同じことをしてたかも」
「…イヅナ」
話を聞いている時、何度も頭に浮かんだ考えだった。
もしやイヅナも…キタキツネもギンギツネも、噛み合う歯車が違って同じような状況になっていたら、ホッキョクギツネに牙を剥いていたのではないかと。
でも、本人の口から肯定されると…身を震わす思いだ。
「私からはもう一度…あの子はもう見捨てよう? 何でもかんでも抱えたら、真っ先に壊れちゃうのはノリくんだよ」
イヅナの言葉に悪意はない。ただ純粋に僕の身を案じて言葉を掛けてくれている。何処までも純粋すぎて、そのまま受け入れるには刺激が強すぎるけど。
「…じゃ、帰ろっか」
僕の手を引いてイヅナは歩き出す。そして、ふと何かを思い出したように立ち止まった。
「あ、最後にもう一つだけ…私の見立てでは、記憶が戻る日も遠くないよ。その時が来たら選べないから、ちゃんと覚えておいて」
「……分かった、覚えておくよ」
その後、宿までの道の途中…イヅナは他愛のない話を何度も僕に持ち掛けて来た。
どうにも…応じる気にはなれなかった。
―――――――――
――ホッキョクギツネの問題は厄介だ。
イヅナの言う通り、あの子が記憶を思い出してしまったら素直にホートクに帰ってくれるとは思えない。
あんな凄惨な目に遭わされたら、一人で生き延びることが出来なくなる程に『自分』を破壊されてしまっても仕方がない。
もし彼女が縋ってきたとしたら、僕に見捨てることは出来ないだろう。
僕が特段彼女に対して情を抱いているとは言えないけど、自分の今までの行動を論理的に分析すれば、それは間違いないと思う。
「かと言って、今すぐ帰らせるのもなぁ…」
今だって、ホッキョクギツネは大きな不安を抱えている。
記憶を失くし、これまでの自分の足跡を全て見失っているのだ。若干置かれた状況は異なっていたけど、その不安について僕にも理解できる部分は大きい。
そんなホッキョクギツネを見捨てることなんて、僕には――
「いなくなれば、解決…?」
天井を眺めて一人呟く。難しい問題に頭を抱える。
でも答えは簡単で…僕達の視点に立つならそれは正しい。
問題そのものが消え去って、全部まるっと元の形に戻ってしまうのだ。それを解決と呼ばずして何と呼ぼうか。
そう、問題は…ホッキョクギツネの視点で解決しないことだけ。
初めからこれは、僕がホッキョクギツネを見捨てるかどうかの話だったんだ。
一番厄介なのは、僕の
だけどそもそも、その『性』って一体何なんだろう? なぜ僕は今になって、到底再現され様の無い悲劇の記憶に振り回されているのだろう?
これは…本当に僕の望みなの?
「……」
頭が痛い。
幾ら考えても答えの出ない問題なんて最早うんざりだ。
僕は書きかけの解答用紙をくしゃくしゃに丸めて投げ捨てて、ポケットからジャパリフォンを取り出した。
「ゲームでもしよ…」
僕は最近、一人でも出来るパズルゲームをインストールしてよく遊んでいる。
出所は研究所のデータベース。何処かの遊び好きな研究者さんがこっそり忍ばせていたのだろうか、とてもありがたいことだ。
「はぁ…どっちが良いかな…」
盤面に見える有効そうな手は二つ。
どちらを選ぶかで今後の盤面は大きく姿を変えることになるだろう。
僕が好ましいと思っているのは最初に見つけた動かし方。指をそっちに動かして、動かして……動かない。
「なんでさ、関係なんて無いじゃん…!」
分からない、どうして僕は重ねているの?
こんな…全然違うそれぞれに同じ感情を抱いているの?
知らない。
解りたくない。
そうだ。
僕は。
――選びたくない。
「そう…だよ…別に、どっちでも良いじゃん…」
ジャパリフォンを乱雑に投げ捨てる。
思えば僕は、今まで何か大きなことを決断したことがあっただろうか。
僕がこの島に来たのだって、イヅナの決断だ。
僕はイヅナもキタキツネも選べなくて、両方に繋がれることになった。
ギンギツネが本心を見せた時も僕に出来ることは残されていなくて、全部が手遅れだった。
「初めて…なの?」
ホッキョクギツネを見つけて、関われば面倒なことに巻き込まれると直感的に理解して、その上で僕が彼女を連れて来た。
これが…初めて自分で決めたこと?
だから、今になって選択を迫られているの?
自分で引き寄せたから、自分で始末を付けろと言っているの?
…だったら、関わらなきゃよかったな。
今からでも…関わらないことって、出来るかな。
「あはは…ほっといたっていいよね…ゲームじゃあるまいし」
パズルは自分で手を打たないと何も進まないけど、現実はそうじゃない。
僕が何もしなくても風は移ろい、太陽も月も昇って沈んで、真っ白な雪はいつの間にか別の結晶に挿げ替わっている。
僕が手放したサイコロは、誰かが代わりに振ってくれる。
「…ソレデ、イイノ?」
「…赤ボス」
気が付かぬ間に来ていたようだ、赤ボスが僕の横に座っている。
「どうしたの、何か不満?」
「ノリアキハ、チャント選ブベキダヨ」
あーあ、鬱陶しいなぁ、説教なんて。
「イツマデモ、任セッキリデハイラレナイヨ?」
そりゃまあ…そうだろうね。普通は、いつか自立とやらをして生きていかなきゃいけないって、神依君の記憶の中の誰かが言っていた。
「ボクハ、責任ヲト…ア、アワワワワ…」
「あはは、本気で言ってるの?」
そうだよ…普通はそうだ。
「僕にはイヅナがいる、ギンギツネもそうかな? その気になれば、二人は何時だって甘やかしてくれる。キタキツネも、一緒にダラダラする分には文句なんて言わない」
赤ボスは震えている。
「デ、デモ…」
「どうして甘えるのが悪いのさっ!?」
成長できないから? いつまでも甘えてなんていられないから? 人として可笑しいから?
イヅナたちはいなくならない、ずっと一緒にいてくれる、終わりの日なんて来やしない。
…そもそもなんで、他人を可笑しいだなんて簡単に断じられるんだよ。
頭の中に浮かぶ、僕を責め立てる幾つもの言葉。全部神依君の記憶の中の産物だ、僕に向けられた言葉じゃない。
どうして君の記憶はいつも、僕を傷つけるの…?
ああ、知らなきゃよかった。
「イツカ、手遅レニナルヨ。ホッキョクギツネノコトナラ、今スグニデモ」
「…だったらなれば良いよ…そっちの方が楽だもん…」
良いんだ、良いんだ、それで良いんだ。
手遅れになれば何も出来ない、責任なんて何処にもない…!
もう、何が起ころうと関係ない。
「あ、はは…早く、忘れないと…」
重い足を引き摺って歩き出す。目指すのはイヅナの部屋。
足が重いのはこの足枷の所為だ。全部投げ出して早く解放されてしまおう。
もう少しだ、もう嫌だ。
「イヅナ…」
「…ノリくん? どうしたの、顔色悪いよ?」
早く、これを、手放さないと。
「ねぇ、ホッキョクギツネのこと…任せてもいい?」
「…え?」
「嫌なんだ、選びたくない、全部イヅナたちが終わらせてよ。ね、良いでしょ…?」
イヅナに抱き付いて、どちらかと言えば掴みかかっているようで。
強すぎて痛いかもしれない、だけどイヅナはいつものように微笑み掛けてくれた。
「…うふふ、分かったよ。ノリくんがそう言うなら」
「あ…!」
やっぱりイヅナは、僕の味方だ。
「さ、楽にして? 今のノリくん、辛そうで見てられないから」
「…うん」
布団に一緒に横たわって、顔を埋めて夢の中。
嫌なことを全て押し付けてしまった心は、何処かへ飛んでしまわないか不安になるほどに軽かった。
でも空っぽなんかじゃない。虹色で満たされている。
ほら、幸せだ――
―――――――――
――幸せだ。私は幸せ者だ。
ノリくんは責任を投げ出して、全てを私に押し付けてくれた。
嬉しい。ノリくんがこんなにも私を頼って、依存してくれているんだから。
「うふふ…じゃあ、さっさと始末しちゃわないとね」
ノリくんの気が変わってしまわないうちに、あの子に危険を悟られてしまう前に。
私が…ソレに気づいてしまう前に。
「前から嫌いだったんだよね…あの子」
ポッと出の癖にノリくんの気を一丁前に引いて、しなくてもいい心配をノリくんにさせて。
ノリくんに話したのはもしもの可能性の話だったけど、今の私の紛れもない本心でもあった。
あははっ、どう痛めつけてやろうかな。
「ホッキョクギツネちゃーん、お話しに来たよー……って、あれ?」
姿が見えない、お出掛け中かな…?
「ちぇっ…戻って来るまでお預け…?」
私は高く昇った気持ちを少し地に落とし、床に腰を下ろして彼女の帰りを待つことにした。
この間に、ノリくんに会いに行こうとは思わなかった。
彼女の惨たらしい姿を想像して、口角が醜く吊り上がったこの表情を、ノリくんだけには見せたくなかったから。
「――失礼します。少し、お話できませんか…ノリアキ様?」
「…ホッキョク、ギツネ?」
だから…これが運命だったというのなら、私は神様を恨むだろう。
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