Ⅰ-101 手錠も心を繋ぎます。
「……あのさ、これ…何?」
「これ? 手錠だよ」
硬い感触に目を覚ますと、左の手首に手錠が掛かっていた。
もう片方はキタキツネの右手首に掛かっている。
「それは分かるけど…なんで?」
「…え?」
そんなに可愛らしく首を傾げられても困るから。
いや、本当に大変だからさ。
「なんで…手錠を掛けたの?」
「んー? …ダメ?」
「だ、ダメとかそういう事じゃなくてさ…」
「じゃあ大丈夫だね、えへへ♪」
…ダメだ、取り付く島もない。
キタキツネ含め、彼女たちはしばしばこういうことをする。
今回もその内終わるだろうし、誰か死ぬわけでもないしまあいいけども。
「でも、不便じゃないかな?」
「問題ないよ、ノリアキと一緒なら」
その”
キタキツネが楽しいならそれで良しとしよう。
しかし、ふと手錠の出所が気になってしまった。
「これ、何処から持ってきたの?」
「えーと、研究所だよ」
「な、なるほどね…!」
おのれ研究所、今思い返せばかつて事件を起こした眠り薬も出所はあそこだった気がする。
他にも色々イケないものが隠されているに違いない。
そうだ、この手錠が外れたら探しに行ってみよう。
「朝ご飯できたわよー!」
ギンギツネの呼ぶ声が聞こえる。
イヅナは隣で眠っている。
今まで黙ってたけど、イヅナは僕に抱きついたまま眠っている。
つまり手錠にイヅナと、2つの枷が僕を縛り付けている。
…片方は本物の枷だ。
「イヅナ、そろそろ起きて?」
またギンギツネに叱られてしまう、彼女の怒った声はもうこりごりだ。
「んぇ、もう朝ぁ…? ……あ!」
イヅナが突然飛び退いた。
「ど、どうしたの…?」
「私のセリフだよ…! 何この手錠!?」
手錠を指さして怒りだすイヅナ。
当然だ、手錠なんて受け入れられるわけもない。
イヅナは僕の肩を揺さぶる。
「ズルい、私にも掛けて!」
…知ってた。
一瞬でもイヅナが手錠そのものについて怒ってくれるなどと期待したことはない。
そんなことを考えたとすれば僕は愚かだ。
僕は…愚かだ。
「ボクが掛けたんだよ!」
「他には…もっと手錠はないの?」
「これだけ…えへへ、残念だったね?」
柔らかな笑みで、蕩けそうなほど甘い声でキタキツネがイヅナを挑発する。
当然の如くイヅナは挑発に乗る。
何をしても落っこちようがないほどにしっかりと乗る。
「ふふふふふ……喜ぶのはまだ早いよ?」
不敵な笑みを浮かべるイヅナ。
この先にあるもの、それはきっと。
キタキツネにとっては望まない結果で、
イヅナにとっては素晴らしい結果で、
僕にとっては…頭を抱えたくなるような現実なのだろう。
「神様の使いを舐めないでよね…!」
…そういえば、神様の使いだったっけ。
そんな威厳も雰囲気もないから忘れていた。
それがイヅナらしいと言えばそうなのだけど。
「ちゃんと見ててね…?」
手錠の周りにサンドスターのキラキラが舞う。
しばらくの後、イヅナの手に新しい手錠が現れた。
輪っかが僕の右手首を捕らえ、もう片方はイヅナの左手。
そう、両手に手錠を掛けられてしまった。
なんということだろう、僕は頭を抱えることが出来なくなったのだ。
…いや、よくよく考えたら手錠は両手に掛けるものだった。
それにしても、この使い方は随分と奇抜だ。
「ど、どうして…?」
「残念だったねキタちゃん、サンドスターで物を作ることくらい朝飯前なんだよ?」
サラっとセルリアンめいたことをやってくれるこのかわいい白狐。
今は本当に朝飯前で、そろそろ何か食べたい頃だ。
「なんか最近、力が強くなってるよね…?」
「えへへ、段々調子が出てきたし…ノリくんのことを思うほどに、私は強くなれるんだ!」
それは恐ろしい、1か月後にはパークを滅ぼせるようになるのではなかろうか。
イヅナは何としても僕が繋ぎ止めておかなくちゃ。
…まあ、手錠でも使ってさ。
「ボクだって、ノリアキのためなら強くなれるよ!」
キタキツネがここぞとばかりに張り合ってくる。
今2人にケンカされたら、僕は物理的に大変なことになってしまう。
よし、止めよう。
「ねぇ、朝ご飯…食べない?」
「…そうだね、ギンちゃんも呼んでるし」
「この続きは…後でだね」
つ、続き…?
止めさせなきゃ…適度に痛がればやめてくれるかな?
まずはご飯を楽しんで、その後のことは後で考えよう。
なんか…まだ眠い。
「おはよう…って、今日は何?」
「えへへ、手錠掛けちゃった」
僕たちの様子を見るなりギンギツネが眉をひそめる。
僕はもう特に感じないけど、多分ギンギツネの反応が正常なんだろう。
「何に使うかと思ったら…そういうことだったのね」
ギンギツネは手錠のことを知っていたらしい。
キタキツネから手錠を取り上げなかった彼女を恨もうとは思えない。
むしろこの状況がちょっと楽しい。
しかしここで、致命的なことに気が付いた。
「…あ、そういえば、どうやって食べればいいんだろう」
「うふふ…そんなの」
「…決まってるでしょ?」
2人の笑顔は雪より明るい。
なるほど、それも計算の内だったなら、僕はもう何も考えずに全て2人に任せて生きてしまえるのかも。
…両手の自由を奪われると、ヒトは変なことを考えてしまうものらしい。
まあ、僕はもうヒトじゃないんだけど。
「食べづらいでしょうけど……何も言わないわ」
この1か月近く、実はギンギツネも結構頑張ってくれている。
イヅナが雪山に住むと言いだして、この宿は本当に騒がしくなった。
それまでは僕が屋敷と雪山を行き来していたんだけど、とうとう僕が1日でもいないことに我慢ならなくなったらしい。
まあそれにはキタキツネの起こしたある事件も関わってるんだけど…多分話すことはないだろう。
要は一線を越えまくっただけだから。
「はい、あーん♪」
「あーん…もぐもぐ…」
「ノリアキ、今度はこっち…」
「うん…もぐもぐ…」
ギンギツネの料理は美味しい。
何というか、安心して食べられる。
2人が作る料理は時々変なものが入ってるから、普段食べるにはちょっと怖い。
イヅナはサンドスターとかを入れるし、キタキツネは髪の毛なんて入れてきた。
あの時は流石に怒った、髪の毛なんて入れたら食べにくくってかなわないもの。
ギンギツネが料理を習得してくれてすごく助かっている。
ちなみにあの後はキタキツネも学習して、髪の毛は適切な長さにカットし、のどに詰まらないようちょっぴりだけ入れるようになった。
…よく考えたら、髪の毛は入ったままだった。
「ごちそうさま」
今日は不思議な食事ができた。
途中からは口移しばっかりで、歯ごたえのあるものが食べたくなってしまったけど。
「……ん?」
なんか、変な感じ。
あ、これって…いや、どうしよう。
「ノリくん、どうしたの?」
「え、いや、なんでも…」
大変だ、トイレに行きたくなってしまった。
なら事情を話して手錠を外してもらえばいい…と思ったデリカシーの無いそこの神依君、それは違うんだ。
「くしゅんっ! なんだ、一体…?」
イヅナとキタキツネのことだから、そんなことを言えば何が何でも一緒に来ようとするに違いない。
間違いない、手錠を掛けていないときも覗こうと画策しているんだもの。
現行犯逮捕したことだってある。
それに、トイレだ。
お風呂とかそういうこととかとは全く以て事情が違う。
見られるのは絶対に恥ずかしい。
彼女たちはそのちょっと違う感覚が良いというけれど…
「…ねぇ、いいかな?」
…背に腹は代えられない。
この先今日の出来事をダシにされそうで怖いけど、そこは”手錠”を上手いこと言い訳にして頑張ろう。
「うふふ、なぁに?」
「その…トイレ、行きたいんだ」
「そうだよね、行こ!」
キタキツネに引っ張られてトイレへと一直線。
本当にトイレに行きたいのは果たして誰なのか、深く考えさせられる瞬間だった。
というか、多分察してたんだよね。
その上で、僕が言いだすのを待ってたんだね。
…いじわるだ。
「匂いで分かるよ?」
「…すごい」
イヅナはまたテレパシー使ったんだね。
まあいいや…もういいや。
「スッキリしたけど…なんかスッキリしないな」
別に用を足しただけだし、他のことは一切していない。
だけど、こうも堂々と見られているだけで全然違う。
「もっとスッキリしたい?」
「あはは…後でね」
外を見ると太陽が昇っている。
遅すぎて本当にそうなのか分かんないけど、まだお昼ご飯を食べていないから多分昇っている。
とりあえず今日いっぱいはこのままとして、明日以降もこの状態が続くのだろうか。
それは…ちょっと困るな。
そのうち服は脱がなきゃいけないし、ずっとこのままはありえないと思うけども…ね。
「ねぇノリくん、何かしたいことある?」
「そう聞かれても、こんな感じだからね…」
「じゃあ…ぎゅってしよ?」
有言実行、キタキツネはそれを言い出す前から僕にぎゅっと抱きついていた。
「あ、ズルいよ!」
本日2回目の”ズルい”、頂きました。
もふもふ…もふもふ…
キツネは僕をダメにする。
もしくは元々ダメだったのかもしれない。
「うふふ…」
「……?」
ガチャンッ!
「えっ…?」
突如響いた金属音が僕の意識を冴えさせた。
ふと気が付くと、左手が自由に動かせる。
「逃げるよ、ノリくん!」
お姫様抱っこで連れ去られる僕。
どうやらイヅナが手錠の鎖を壊したみたいだ。
「ああっ!? ノリアキ…イヅナちゃん!?」
地上からキタキツネの怒号が聞こえる。
逃げようにもイヅナに抑えられてるし、僕とイヅナを繋ぐ手錠も外せそうにない。
「でも逃げるったって、何処に?」
「この際どこでもいいじゃん!」
ああ、なんて無鉄砲なイヅナ。
彼女は鉄砲よりも恐ろしい力を持っている。
空をひとっ飛びに通り抜け、僕たちはロッジまでやって来た。
流石にこの距離だ、キタキツネも時間が掛かってしまうだろう。
「いらっしゃ…え?」
「ああ、気にしないで…」
入るなりアリツさんの困惑の声。
仕方ない、事情を知ってても訳が分からないのだ。
「あ、師匠! …って、どうしたんですか?」
「色々あって、外せないんだ」
嘘はついていない、外せるわけがない。
イヅナが、こんなにウキウキしているんだもの。
「おやおや、今日は過激だねぇ…?」
「あはは、どうも」
「ふむ…これは描いてみてもよさそうだ、いいネタになるよ」
「あはは…どうも…」
オオカミは絶対に僕たちを見て楽しんでいる。
そこそこ彼女たちに対して理解がありそうなのが…ちょっと不安だ。
「あれ、師匠…これは?」
キリンが千切れた方の手錠に気が付いた。
流石探偵と言いたいんだけど、まだ師匠呼びは止めないらしい。
師匠と口にするたびに、イヅナの力が強くなる。
「えっと…壊れてるね」
「ふふふ、なるほど…!」
口ぶりからして、オオカミは
目ざとい漫画家だ、尊敬してしまう。
「先生、何に気づいたんですか!?」
「簡単だよ、もう1つ手錠がついていたんだ」
「それって…変ですね」
キリンは何かを想像して混乱している。
多分、キリンの中ではこの壊れた手錠もイヅナに繋がっているのだと思う。
2つの手錠で、輪っかになる僕たち…
そりゃ変だ。
「こっちはキタキツネに繋がってたんだよ」
「なるほど!」
探偵もようやく気付いたみたい、想像しろって言う方が酷なシチュエーションなんだけども…ね。
「まあ、ここでしばらく…」
ガチャンッ!
「…えぇ?」
背後に響いたドアの音。
勿論いるのはキタキツネ。
「はぁ…はぁ…ノリアキぃ…」
嘘だ、いくら何でも速すぎる。
野生開放は前提として、どうしてこんなスピードが?
「ノリアキのためなら…はぁ、いくらでも速くなれるよ?ねぇ…ボクを見捨てないで…?」
息を切らしながら縋りつく彼女を見て、抱き返さずにはいられなかった。
やっぱり、僕はキタキツネのことも…
ガチャンッ!
「…え?」
その音を聞くのは、今日は2回目だった。
手錠の鎖が壊れる音。
壊れられる手錠なんて、もう1つしかない。
「えへへ…これで一緒」
「あー! き、キタちゃん…!?」
同じ策略に引っ掛かったイヅナは、悔しそうに地団駄を踏んだ。
「じゃあ帰ろ? 早く帰らないとゲームできないよ」
「あはは…イヅナは、どうする?」
「私も帰るよ、はぁ…」
折角の時間を奪われてイヅナは落ち込んでいる。
後でちゃんとフォローしておかないと。
「イヅナ…手錠、もう2つ作ってくれない?」
1つ思い付きがあったから、こっそりイヅナに耳打ちする。
”耳打ち”だけでイヅナは恍惚としている。
「ノリくんのためなら…!」
ちょっとの罪悪感が、心の中に生まれた。
「ただいまー…」
「おかえり、また騒がしくなるわね」
「あはは…」
イヅナから手錠を受け取った僕は早速行動に移る。
ギンギツネのいる部屋で、2人と一緒に座った。
なるべく、ギンギツネに近づいて。
「…?」
普段と違う距離感にギンギツネは戸惑っているみたい。
でも大丈夫、すぐに終わるから。
「ねぇ…もう1回掛けてみない?」
「掛ける!」
「もう、がっついちゃって…」
手錠の存在を知っていたイヅナは大人ぶっている。
だけど僕は知っている。
ノリノリのイヅナがものの数秒で手錠を沢山作ったことを。
作りすぎて、沢山の手錠が塵となって消えたことを。
「…はぁ」
ギンギツネは呆れ気味。
この後に起こることをまだ知らない。
「じゃ、キタキツネから掛けてあげるね」
「えへへ…!」
キタキツネの左手に手錠を掛ける。
「そしてイヅナも…」
「ノリくんに掛けてもらえるなんて…!」
イヅナの右手にもう1つの手錠を掛ける。
――そして、2つの手錠をギンギツネの両手に掛けた。
「……え?」
「僕はちょっと用事があるから、2人ともここで待ってて…!」
多分だけど、イヅナに2人を抱えて飛べるほどの力はない。
だから追いかけられない…と思う。
「ノリくん…?」
「ノリアキ…?」
後ろから何か恐ろしい音が聞こえてくる。
僕は1人だし身軽だから、多分逃げ切れるはず。
「ちょっと、これどういうことなのよー!?」
ごめんギンギツネ。
でも、きっと大丈夫だから。
た、多分…ね?
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