第5話 自殺チェーン・ゲーム

 その日は土曜だったが、楽器店に勤める川端は休みを取ることができた。ベースの西山と彼の友人のギタリストが、駅前の貸しスタジオに来ていた。

 スタジオなんていう完璧な環境で演奏することはまったく初めてだった。手入れのされた楽器の貸出もあって、ぼくはチョコレート色のテレキャスターを手にした。ジョージ・ハリスンが、あのルーフトップ・コンサートで弾いていたローズウッドのテレキャスターだ。やはり興奮は覚えたが、自分たちの演奏技術の未熟さが、かえって身にしみた。

 最後にやったのはヤー・ブルースで、延々と気怠く三十分もの長い演奏に脹らんでしまっていた。まったくガチャガチャのプレイだったが、ぼくらはビートルズ気分だった。

 

 夕方になって、妙子と大野たちと落ち合い、お好み焼きを食べに出掛けた。特大のビーフステーキを一枚丸ごと上にのせて、焼き上げてしまうという、とんでもないメニューを出している店だった。

「サタデー・ナイト だ! フィーバー! フィーバー!」

 お好み焼き屋を出るなり、西山の友人のギタリストで、穴だらけのジーンズをはいた、エリック・クラプトンかぶれの男が、叫ぶように言った。まったく冴えない風貌の持ち主だったが、ギターはなかなかの腕前だった。とにかく女が好きだと、ためらいもなく口にする彼は、その本能のまま、ぼくらをディスコへと引っ張って行こうとした。本当はだれも気が乗らなかったのだが、空元気で繰り出して、ほとんど苦痛としか言いようのない時間を過ごすことになってしまった。

 妙子は西山と意気投合したふりをするはめになり。おかげで、ぼくと川端は、居場所を失い、クラプトンかぶれの先導で、ナンパに挑戦することになったが、無残にも全て空振りだった。

 どうやら、大野も彼女と不仲になっているようだった。二人とも押し黙って、薄汚い店の壁にもたれかかっていた。

 それにしても、どうしたらこんなにセンスの悪い選曲ができるのだろうと思うような曲ばかりが、次から次へと大音量で、ディスコの薄暗い空気を、ビリビリ振動さにていた。そもそも、ダンスミュージックはもともとぼくの好みではなかったし、他の連中も同じだった。空回りに空回りを重ね、最後にはみんな魂を抜き取られたようになって店を出た。

 疲れていた。なのに、次はカラオケだということになり、小さなカラオケ・スナックの半分を占領することになった。だれかがウイスキーをロックで飲みはじめ、みんな右にならえとなっていた。ぼくらはみんな楽しもうと、焦っていた。

 クラプトンは店にあったガットギターをトイレに持ち込み、一人で弾いていたが、やがてその音も止み物音一つ聞こえなくなった。胃の中の物を吐くた めに、便器に頭を突っ込んだまま、寝込んでしまったからだ。四十分も出てこなかった。そのためトイレが使えないと、他の客からの苦情を受けて、西山が何 度もドアを叩いていた。

「おまえに妙子ちゃん、返すから、幸せにしてやってくれよ」

 川端が、竹内まりやのセプテンバーをハルセットボイスで歌い終えて、ぼくの耳もとで、囁いた。

「オレ、指一本ふれなかったからな……」

 ぼくが黙って聞いていると、彼は続けて、まったく予期せぬなことをぼくに告げた。

「オレ、おまえよりも先にやってしまったぜ…… あれだよ……」

 以前、どっちが先に童貞を捨てられるか競争しようと、川端と話し合っていたのだが、そのことだった。

「うちの店にいるあいつと、ほら、髪の長い方の… 五つも年上なんだけど…… 」

「そうか…… オレの負けか」

「いや、オレは勝ってなんか、いないぜ…… なぜって、今でもやっぱり、妙子ちゃんが好きなんだ……」

 ぼくはグラスを一気に飲み干した。川端がもう、自分とは関係のない別の世界へでも、自分を置いて行ってしまったかのような、淋しさを味わっていた。

 叫ぶように歌っていた、大野の宇宙戦艦ヤマトが終わり、内心みんなほっとしていた。大野は彼女を先に帰らしてしまっていた。

 やがて、スナックからも追い出され、駅前の水の出ない噴水の前に全員でたたずみ、吐息と煙草の煙の混ざった白いものを、工場の煙突のように吐き出していた。

 まるで青春映画の ワン・シーンみたいだなと言い、大野の肩を右手で抱いた時、ぼくのその一言がなければ、映画の中にいられたのにと、悔しそうに大野が言った。

 終電はもう、行ってしまっていた。

 ぼくらは、ひどく寒くて、震えていた。


 始発が動き出すまで、オールナイトの映画館で時間をつぶした。なんの映画だったか、今思い出そうとしても、さっぱり思い出せない。

 朝になって、西山とクラプトンとは別れ、妙子と川端とぼくは、大野の家に行くことにした。

 それにしても、ひどい二日酔いだった。ベーコンエッグと味噌汁の朝食が出てきたが、味噌汁しか喉を通らなかった。

「妙子ちゃん、ほんとに電話しなくていいの?」

 大野が何度も繰り返し、家に電話するよう促していたが、妙子はまったく聞く耳を持たなかった。

「ねえ、ところで、川端くん仕事、今日も休みかしら?」

「そうだ! 日曜に休めるわけないよな……」

「ほっとけよ。無理だよ、これじゃ……」

「そうだな、一人ぐらい、いなくても、開店できないってわけじゃないもんな」

 川端は部屋に入るなり、ソファーに倒れ込んだまま、眠っていた。

 妙子が困り顔で、なにか言いたげにしていた。確かに少々無責任な処置に違いなかった。

 妙子の髪はとても短かった。そのせいか、歳より幼く見えた。体つきも少女のままで、目つきだけが、妙におとなびていた。

 話しぶりも時折、おとなに変わることがあった。女の子がままごと遊びでするような、おとなのまねをした、こましゃくれた言い回しになるのだ。それがぼくにとって、不思議と心地よく聞こえた。

 その日の妙子は、ぼくの知っていた以前の妙子とは、なにかが変わっていた。そして彼女自身がぼくらに、新しい自分を見せたかったのだろう。過去の清算のための儀式のような打ち明け話を始めた。

 十歳の時に事故で父親を失ったことや、母親が三年後に再婚したこと。その後も兄弟が生まれないのは、自分のせいかもしれないと思っていること。

 新しい父親を、妙子はまったく、受け入れようとしなかったと言った。亡き父はとてもハンサムだったと、自慢げに話す彼女の記憶の真ん中に、その父はしっかり座ったまま立ち去ろうとしなかったからだ。

 しかし、義父もけして悪い人ではないので、義父との関係も、この二、三年の間に、しだいに良くなってきたと言った。

 大野の部屋には、クリストファー・クロスと、エア・サプライと、フリートウッド・マックの三枚のアルバムしかなった。その中からクリストファー・クロスの南から来た男をかけた。

 煙草がすべて切れて、大野は吸い殻の中からシケモクできそうなのを選んで、親指と中指でつまみ火をつけ、一口吸ってから言った。

「なんだかオレも、死にたくなっちまった……」

「おい、なんだよ、それ。おまえに、似合わないだろう」

「オレだって、そんな時もあるんだよ!」

「それなら、オレがやってからにしろよ。あの世がお勧めできない所だったら、知らせてやるから」

「そりゃ、いい! なにか合図を決めておいてくれ」

「わかった。自殺中止の合図は、そうだな…… ひとりでにレコードが回って、フリートウッド・マックの、ゴー・ユア・オウン・ウェイが、鳴りはじめるってのは、どう?」

「決行しろの合図は?」

「ドント・ストップをかけてやる」

「ばかなこと言ってる! そんな曲がかかったら、もう一度やり直そうって、気になるわよ、きっと……」

「だよな!」

「だよな!」

 いくらか元気を取り戻して、三人で笑っているいると、その傍らのソファーの上で、川端がうまく寝返りを打てず苦しげに、か細い呻き声をあげた。

 それにしても、ひどい頭痛だった。それに言いようのない胸のむかつき。

「これじゃ、自殺するにしたって、コンディションが悪すぎる」

「まったく。あれって、踏ん切りつける時、パワーがいるからな……」

 大野は虚ろな眼をしたまま、フィルターまで焦がしそうな煙草をもみ消し、それまで、だれもが避けるようにしていた話題について、なにを思ってか、口にした。

「どうしてだろう? あの先生、自殺しちゃったのは……」

「…………………」

 もしも、あの裏山に行ったなら、そこには、山口先生がまだ漂っていそうな気がした。もちろん行く気など、さらさらなかったのだが、そのことを思い出しただけで、ぼくは恐怖を覚えた。

「ねえ、わたし…… 話しておきたいことがあるの」

 ずっと、なにか言いたげにしていた妙子が、やっと切り出して話し始めた。

「実はわたし最近、宗教をやってるの。お母さんが前から行ってる “光の楽園 ”の教会、勧められて……」

「…………………」

「それで、今はこう思うの──自殺がいけない理由は、そもそも、自分のものだと思っているその生命は、神様のものだからよ」

 妙子の母が、キリスト教系の新興宗教に入信していることは、以前聞いて知っていた。そのことに彼女が強く反発していたことも、はっきり覚えている。それなのに、その彼女が、かつての自殺願望の元祖がそんな発言をしたのだ。

 ぼくは猛烈に反発したくてたまらない衝動に駆られた。

「冗談じゃない! オレの生命は、オレのものさ!」

「ええ…… そりゃ、そうよ。あなたのものよ。だけど、自分の意志で生まれたわけじゃないし…… 人生の意味を知りたいと思っているんでしょう?」

「なるほど、きみにはわかるんだろう。しかし、ぼくには関係ないね。きみがなにを信じようと自由だ。だけどオレは宗教なんて嫌いなんだ! あの思い上がっ た、脅迫するようなやり口が嫌いなんだ! たとえば、『死後さばきにあいます』とか言って、年末になったら駅前のスクランブル交差点に現れるあの連中。 不気味な黒いプラカードを持って、暗くて抑揚のないテープの声の繰り返しを、拡声器が割れんばかりに鳴らしている。まったく、あの暗さには気が滅入る。 神は信じる者しか救わないのか! あの暗さは、まるで神の奴隷だ!」

「いいえ、神はすべての人を救うわ! 一人残らず救うのよ、最後の日には」

「……………………」

「それに、信仰を持ったからって、奴隷になったわけじゃないわ! 信仰を持つのはそれによって、より心の自由を得るためよ。本当の自由をわたし達は知らないのよ。自由とは人生の問題に関わる全ての無知を克服することよ! わたし達、分からないことだらけじゃない! 自由とは、簡単に言ってしまえば、悩み事が すっかりなくなること。生きることの意味とは? 死とは? なにもかもはっきり分かるようになり、死への恐怖も克服できる……」

 妙子はかなり興奮していたが、その眼には迫力があり、ぼくらを圧倒した。

「でも、おどろいたなあ。妙子ちゃん。いつから自殺志願者、やめにしたんだい?」

 大野が見かねてか、その場を取り繕うように妙子に語りかけた。

「それがねえ、ちょっとした、お母さんの冗談を聞いてからかなあ。本人は冗談のつもりはなかったかもしれないけど…… 自殺の名所がなぜできるのか、お母さんが 教えてくれたの…… お母さんの教会の教主様のお話なんだけど──その方が、ある旅行先のホテルの窓から見える木に、首吊り自殺の霊が見えるって言ったそうなの。それを聞いた弟子の人が、その霊はずっとそこから動けないのかと質問したところ、『いや、そうじゃないんだけど、だれか 他の者を見つけて入れ代わらないと、そこから動けないようになっているんだ』って……」

「………………??」

「それからお母さん、こう言ったの『たえちゃん、どうしても自殺しなければならなくなったら、その前に、あなたの次を引き受けてくれる人を探してからにした方がいいわよ。あなたはいつだって、長くは辛抱できないんだから』」

 妙子は、とてもきれいな笑顔でそう話した。

 だが、ぼくは、全身総毛立つような不快感に包まれていた。

 

 そうだ! 

 そうに違いない!

 彼らは、自殺のリレーをやっていたのだ!

 ぼくもターゲットの一人だったというのか。

 そして、それは、ぼくらの知り得る時点よりも、もっと過去に遡った大昔に始まったいたのかもしれない。

 これは、自殺チェーン・ゲームだ!


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