第4話 十二月の出来事
十二月が来た。
自宅浪人の生活は相変わらず怠惰で、手のつけられない状態のままだった。一日を二十四時間で区切る必要が、どうしてあるかなどと考えるぐらいに。
そうなってくると、一日の自分の行動が、自分自身の選択によるものでないような気がしてくるのだ。
脳味噌にコードでも、差し込まれているのではないだろうか?
そのコードのもう一方の先端のプラグは、ビデオプレイヤーに繋がっていて、二十四時間 のビデオテープを次から次へと。しかも、ちっとも変わり映えのしないものばかりを、だれかが毎日取り替えて、回しているんじゃないかと、思ったりするのだ。そんなふうに、生きているかのように、騙されているだけ。
泣いたり、笑ったり、苦痛や、時には喜びを感じたりしているつもりが、実は、すべてがすでに決められた感覚と感情に過ぎず、この世界には実体などないのかもしれないと思う。
あるのはただ、途方もなく巨大な棚と、その上に並んでいる何十億という数のビデオに繋がった脳味噌。
その一つ一つのビデオプレイヤーに、テープを差し込んで回っている少年がいる。実験服を身にまとい、無表情で、冷淡な顔つきをしている。彼が、人間を支配しているというのか? 彼が、神なのか?
その十二月に、ジョン・レノンが四十歳で死んだ。
やはりぼくも、しばらくの間、遺作となったダブル・ファンタジーを繰り返し聞きながら暮らしていた。
ジョンの死が報じられて、何日か過ぎた日の夜、妙子から電話があった。わざと力のない声で話したのが、ひっかかり、心配になったのだろう、翌日には大野から電話があった。ぼくのための激励会を仲間で開いてやるから来いと、言い出した。気をもましてやろうと思い、断った。大野は地元の公立大学に入学していた。
次の週、母校の事務所を訪ねる用があって、出掛けた。要件を済ませ事務所を出て、廊下を歩いていると、山口先生と顔を会わせることになった。
「おお、どうしたんだ、元気か?」
「ええ、まあ……」
「来年、もう一度やるのか?」
「はい──」
「うむ…… それじゃあ、がんばれよ」
「はい、頑張ります」
そして、一歩踏み出そうとした時だった。奇妙なことを彼は言い出した。
「ああ、そうだ…… 裏山には行くなよ!」
「どうしてです?」
「……………………」
「…………………?」
「今朝、行った時…… あいつがまだ、ぶら下がって、もがいているのが見えたからだ」
「………………!!」
背筋を冷たい物が通り抜けた。
彼の目は冗談を言う時の眼ではなかった。なにか、せっぱつまったような臆病な眼をしていた。
なんとも言いようのない不快な感覚がぼくの全身を包んだ。
もちろん裏山に言ってみようなんて気は、その時まで全く無かった。しかし、こんな吐き気をもよおすような、ぐちゃぐちゃな出来事や思い、生活に、けりをつけたいと思ったからだ。
ぼくは裏山へ踏み込んだ。
駆けるように階段を登り、広場に躍り上がり、抱き合う二本の木の前に立った。ジャムの瓶は白い花がさしてあった。たぶん、山口先生だろう。
桜の木の、たぶん彼がぶら下がったと思うあたりの、空間をぼくは見つめた。
もう君のことなんて、だれも覚えてやしないぜ!
もうこの木だって、ただの桜の木さ。
なにか記念の印でも、刻んでおけばよかったのに!
そうだ、自殺を美化して見ていた時が、ぼくにもあった。
醜く泥まみれで、嘘つきのおとなになってしまう前に、死んでしまいたいと思った時があった。
ただ漫然と方向もなく、なんの価値も喜びも見い出せないまま、ただ日々を過ごしていても、本当に生きていると言えるのだろうか。それでは、消極的な自殺状態とでも言うべきではないか。それなら、いっそ積極的な自殺の方がましだと……
しかし死はなにも与えないと分かった。
死は、臆病な敗北者をかくまってくれる穴蔵ではない。それどころか、それによって苦痛がむしろもっと増幅され、逃れられないものへと確定してしまう世界への入口。それは、生命の変態の時を意味するに過ぎない
死はやはり、なにもかも奪ってしまうのかも知れない。本当に必要とするものを手に入れる機会を失うのだとしたら……
いったい、死によって、なにが得られると考えていたのか?
「きみは生きようとして、死んだ。だけどぼくは、生きようとして生きる!」
ぼくは桜に向かって小走りで近づき、右足を大きく後ろに跳ね上げると、力の限り前方に蹴り上げた。爪先が、花をさしたジャムの瓶に食い込んだ。それは転がり、なにか当たって止まり、音をたてて壊れた。
大野から、再び激励会の誘いの電話があり、今度は行くと答えた。そのあと、川端からも電話があり、妙子と別れるつもりだと言った。みんなで顔を合わす前に、話しておきたかったのだろう。
そして、夜の十時を過ぎたころ、また大野からの電話を取った。
「石田!テレビ、見みてないのか? ニュースだよ!」
「なにかあったのか?」
「また首吊り自殺さ! うちの高校の、あの裏山で──」
「………………?」
「だれだと思う?」
「だれなんだい?」
「ほら現国の…… 二年の時、たしか、お前のクラスの担任だっただろう…… 山口ってのがいただろう?」
「ええっ?」
首を吊るのは生徒ばかりだと思っていたので、教師の名が自殺者の名だと、すぐには理解できなかった。
「けっこういい先生だったのになあ…… どうも学校の金を、使い込んでたらしい…」
「よしてくれ! そんな話。今、聞きたくない!」
ぼくは、大野の言葉を、強く遮った。
「わかった……」
電話を切ってからもしばらく、心臓の高鳴りはやまなかった。
いったい、どうしてなんだ?
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