第五話 『まものつかい』
抉れた地面。魔術の余波で吹き飛ばされたテーブル。割れて、散乱したグラスだったもの。砂埃で汚れたパン。
ユウトとエルネストの門出を祝うための空間は、無残としかいえない光景と化していた。
まだ、頭がぐるぐるする。この光景は夢か何かのように思えてしまう。
ユウトも、エルネストも、本気だった。
本気でノエを攻撃して、その存在を消そうとした。
『勇者』と『魔帝』の本気。無事なはずがない。
そんなはず、ないのに。
ノエは、生きている。
姿は、見えない。でも、わかる。
ノエは、まだ、生きている。
ユウトは、まだ剣を構えている。その場から動かず周囲を伺っている。
エルネストは、『亜空間』の出現で抉れた、先程までノエがいた大地を、警戒するように見つめていた。
二人も、ノエの存在を感じているのだろうか。警戒を緩めた様子はない。
ノエを守らなきゃ。スキルなんか関係ない、私だってノエを守る壁くらいにはなれる。ペラペラな薄紙のような壁だけど、何もしないで見てるくらいなら、壁でもなんでもなってやる。
拳を握り、目の前の『隔絶障壁』を思い切り叩く。
壁になろうにも、目の前の壁が邪魔だ。
何度も『隔絶障壁』を叩いていると、ユウトが困ったようにこちらを一瞥する。
「ユウトの馬鹿ぁ!この壁をはやく解除して!体中が痛いの!苦しくて死んじゃう!」
ユウトなら解除してくれるかも、と、僅かばかりの嘘を混じえて叫ぶが、ユウトは更に困ったように眉を下げるだけだった。
「まだ、奴がいるんだ。もう少しだけそこで待っててくれ。頼むよ、ヒカル。」
ユウトの視線はすでに周囲の警戒に向けられていて、私を見てはいなかった。
私のことを考えてくれているようで、見ていない。
私は、両手の拳で『隔絶障壁』を叩く。こんな非力な拳で、『勇者』の『隔絶障壁』を壊せるなんて思ってない。それでも、何もしないなんて、出来ない。
ノエ、私達はまだ出会ったばかり。私はノエのこと、まだ何も知らない。
ノエ、私ね、ノエのこと、もっと知りたい。
ノエ、私ね、この世界のこと、もっと知りたい。
ノエ、私ね、冒険したい。ノエと一緒に、知らないこと、もっと知りたい。
この世界を、ノエを、もっと好きになりたい。
ノエ、ノエ!
壁を隔てた向こう側、私の目の前に、急激に霧が立ち込める。
ノエだ。
雲のようなふわふわの姿ではないけど、それでもわかる。この霧はノエだ。
一瞬で、霧が濃くなっていく。真っ白な濃霧は、ぱりん、と軽い音をたて、目の前の『隔絶障壁』を破壊した。
ノエ、来てくれたんだね。
霧は私を覆い隠すように、私を守るように、優しく漂っている。
ユウトは『隔絶障壁』が容易く破壊されたことに驚愕し、エルネストは歯痒さに舌打ちをする。
「奴を始末するには、あの無能が邪魔だ。無能は俺がなんとかする。奴はお前がやれ。格好いい『勇者』様なら『次元斬』で精神生命体だろうが、多次元存在だろうが殺せるだろ。」
「別にいいけどさ、エルだって似たような事出来るだろ?」
「無能が邪魔だ。ついでに無能も殺していいならやるがな。」
「へいへい、わかったよ。俺はバケモノ退治。お姫様の救出は『魔帝』様に任せた。」
「黙れ。動くぞ。」
私の周囲を漂っている霧が揺らぎ出す。霧はいくつもの小さな白い塊となり、その塊は細長く硬質化していく。
真っ白な槍のようになった霧は、ゆうに百を超えているだろう。ノエが、怒ってる。百を超える怒りの矛先は、ユウトとエルネストに向けられている。
『夜霧』白槍となったノエが、凄まじい勢いで飛び出していき、二人を襲う。
飛来する白槍を撃ち落とすべく、エルネストの『深淵珠』から光線が放たれる。百あまりの白槍は、無数の光線を前に霧散した。霧を光線が突き抜けていく。光線の眩さに、思わず目を瞬いていると、私の隣にエルネストが『転移』してきていた。
声をかける暇もなく、エルネストは魔術を展開していた。
『大魔術』『無詠唱』『天輪爆』
再び霧になっていたノエに向けて、エルネストの爆破魔術が発動する。輝く爆風は霧を吹き飛ばし、私の髪をなびかせた。
「ノエ…!ふにゃっ?!」
爆心地へと駆け出そうとすると、エルネストに首根っこを掴まれた。やめろ、私は猫か。横目で睨もうとするも、がくん、と全身の力が抜ける。『停体牢』で体の自由が奪われた。視線を動かすこともままならない。私は首根っこを掴まれたまま、エルネストとともに『転移』した。
エルネストは着地するやいなや私から手を離すものだから、私は顔面から地面に着地した。
「受け身もとれんのか、愚図め。」
頭上から鼻で笑うエルネストの声が降り注ぐ。あんたのせいで受け身どころか頭も動かせないんだけど。覚えてろ大馬鹿人格破綻転生者め。思いつく限りの罵声を浴びせてやる。今は声すら出せない。
爆風に乗って飛ばされていた霧が再び集まり、その形がいくつもの白槍へと変化していく。ノエの『夜霧』だ。その矛先は再びユウトとエルネストへと向けられているが、先程とは違い、その切っ先が揺らいでいた。エルネストの足元に、私が倒れているからだろうか。
躊躇うノエの隙を、二人は見逃さなかった。
『勇者』『次元斬』ユウトが剣を振り下ろし、斬撃が放たれる。放たれた斬撃は白槍を、ノエを、斬り裂いた。
ピィィイィィイ
甲高い、警笛のような、ノエの悲鳴。いつもの頭に響く声とは違う、鼓膜を劈く悲痛な叫び。
いたい。いたい。いたいいたいいたい。
ノエの感情が、痛みが、伝わってくる。
「ああぁぁあぁっ!!」
ノエが感じた痛みを、私も感じている。
いたい。いたい。
感じたことのない強烈な痛みに、その場でのたうちまわる。
いたい。いたい。いつの間にか、体は動くようになっていた。猛烈な痛みからくる熱で体が熱い。
いたい。ヒカル。いたい。
いたい。ノエ。いたいよ。
「おい無能。攻撃を受けたのはお前ではない、奴だ。意識をしっかりと保て、奴に取り込まれるな。」
エルネストがしゃがみこみ、私の肩に触れる。ただ、肩に触れられただけなのに、そこから更に痛みが広がるようだった。
「触らないでっ!」
エルネストの手を払いのけ、睨みつける。顔を顰めた彼が、何故か哀しげに見えた。
エルネストが私から顔を背け、立ち上がる。
『大魔術』『無詠唱』『煉獄之扉』
私達の前に、巨大な両開きの扉が出現した。閉ざされている扉と扉の間からは、炎がチラチラと覗いている。エルネストが軽く顎をしゃくると、扉が勢いよく開け放たれ、煉獄の業火が渦を巻きながら飛び出した。
煉獄の業火を巻きつけ、煉獄へと誘う大魔術。
ユウトの『次元斬』によりその数を減らしていた白槍が、全て炎の渦に巻き込まれていく。
ノエが、煉獄の炎に包まれた。
ノエを包み膨れ上がった炎は、扉の中へと吸い込まれるように戻っていく。
だが、炎が全て扉の中へ戻ることはなかった。膨れ上がった炎が突然進路を変え、エルネストへと襲い掛かったのだ。
エルネストが私に手をかざした瞬間、私は『転移』でエルネストの後方へ飛ばされていた。背を向けたエルネストが、膨れ上がった煉獄の炎を『無神壁』で受け止めていた。
炎は勢いを増していき、壁を徐々に押していく。じりじりと、エルネストは押されていた。
「俺のこと忘れてんじゃねえよ!」
ユウトが炎へと駆け寄り、『次元斬』を放つ。斬撃は炎を両断し、膨れ上がっていた炎は弾け飛んだ。熱風で砂埃が舞う。
砂埃に思わず目を細めていると、僅かに視界が白く霞がかかっていく。
ノエだ、ノエは無事だ。
ノエは再び霧散することで、ユウトの攻撃を躱したようだ。霧が私の前へ集まってくる。霧は、ふわふわの雲のような元のノエの姿へと戻っていった。
「ノエ!ノエ!」
ふわりと弱々しく浮かぶノエを抱き留める。ふわふわの体は、少し縮んだようだった。
ノエが消耗している。このままじゃ、削り殺されてしまう。
何とかしないと、ノエが、殺されてしまう。
どうする。どうすればいい。思考を研ぎ澄ませ。考えろ。
二人の言動からすると、私を殺す程の攻撃はしないはず。
私は、ノエを生かさなければならない。
この場は、ノエを逃せば、私達の勝ちだ。
でも、『勇者』と『魔帝』を前にして、普通に逃げる事なんて不可能だろう。
じゃあ、どうする?
彼等が、私達を追ってこれない状況にするしかない。
なら、どうやって?
「ノエ、力を貸して。」
答えは単純だ。二人とも倒しちゃえばいいんだ。
ノエの体を撫でると、ノエは心地良さそうに目を細めた。
ヒカル。ノエ。いっしょ。
そうだね、一緒に倒してやろう。ノエと一緒なら出来るよ。あの分からず屋達を、一発ぶん殴ってやろう。
「異世界人の『勇者』様も、転生者の『魔帝』様も、言うほど大したことないんだね。非力な女の子と雲一つ、どうすることもできないで地団駄踏んでるなんて。」
くすり、と嘲笑を浮かべる。気の短いあいつなら、すぐに食ってかかるはず。
「無能が、ほざくな。」
ほら、食いついた。歯噛みするエルネストへと視線を送り、今度は声をあげて笑ってやる。
「あはっ!無能って、私のこと?今の私は『まものつかい』なの、無能じゃない。強いスキルを持っているのに、結果を出せないエルの方が無能なんじゃない?」
「調子に乗るな、無能が。無能じゃない、だと?そのスキルはお前が本来持ち合わせたものじゃない、[まもの]に勝手につけられた『まものつかい』だろうが。滑稽だな、どっちが飼い主なんだか。スキルは持っているだけでは意味がない、有効に活用出来てこそスキルと言えるんだ。活用出来ないなら、無能に変わりない。」
ああ、そう。じゃあ有効活用してあげようじゃない。私のスキルを。
『まものつかい』『雲隠』
ノエがもこもこと大きく膨れ上がり、私を包み隠す。すっぽりと全身を包まれると、私の体はふわりと浮いた。
『浮雲』ノエは私を包み込んだまま、流れるように素早く私を運ぶ。目標は、エルネスト。まずはあいつをぶん殴る。
「そいつから離れろよ!ヒカル!」
私達の目の前に躍り出たユウトは『隔絶障壁』を展開した。大丈夫、突破できる。速度を落とさず、そのまま壁に向かって突き進む。
「ちょっ、バカか!」
「ユウト、邪魔!」
速度を緩めず壁にぶち当たると、さほどの衝撃もなく壁は軽い音とともに割れた。そのままの勢いでユウトを撥ねとばす。ユウト、あんたは後で、あいつが先。
「エル!」
『光雲拳』私の体を包んでいたノエが、私の右手へと集まって拳をもこもこと包みこむ。私の右手は巨大なふわふわもこもこの拳となった。
「歯ぁ食いしばれ!」
「巫山戯るな、無能が!」
拳を振りかぶり、エルネストへ思いっ切り叩き込む。拳は届くことなく、エルネストの『無神壁』によって阻まれた。こいつら、壁好きだな。
『光雲拳』『崩塵』ふわふわだった拳が圧縮され、硬質化していく。
「これなら、どうだぁ!」
拳を振りかぶり、壁を殴りつける。壁は、ガラガラと音を立てて瓦解した。
愕然、といった様相のエルネストの襟元を、左手で掴む。
「エルなんて、」
再び、もこもこと膨れ上がった右手を振りかぶる。
「エルなんて、大っ嫌い!」
エルネストの顔面へと、拳を叩きつける。
驚愕を浮かべていたエルネストの顔が、苦痛に歪む。
エルネストの顔面へ叩き込んだ右拳からノエが離れ、今度はエルネストの頭部にもこもこと纏わりつく。
ヒカル。いたい。しかえし。する。
ノエ、程々にね。こんな奴だけど、私の友達だから。絶対に殺さないでね。
ノエが頭に纏わりつくとエルネストは一瞬もがいたが、すぐに倒れ伏した。ノエがもふもふとエルネストの全身に広がり、纏わりついていく。
偶には痛い目にあうのも、傲岸不遜なエルネストにはいい薬だろう。倒れちゃったけどノエが纏わりついたから、頭は地面にぶつかってないだろうし、大丈夫だろう。こいつ『魔帝』だし。
『まものつかい』のレベルが10になった。
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