あのオレンジ色の町 ①

 どれだけの町を通り過ぎただろう。

 もう、歩いているのが昔通った道なのか、そうでないのか、わからない。

 遠い記憶すぎて、何も思い出せない。

 一刻はただただ、オレンジ色の地帯を離れることだけはないように、まだ道標を置いていない道をひたすら探して、歩き続けるしかなかった。


 そんなときに、高速道路への入口を見つけた。

 一刻は、なんとはなしにその道を登った。


 道路の先にある空は、やけに薄暗く色褪せていた。

 けれども、その景色こそが、かすかに記憶の奥底を刺激して、吸い寄せられるようにその灰色の雲を目指して歩いていった。


 すると、やがて行き当たったのは、雨と晴れの境目だった。


 一歩進めば、そこは雨の中。

 濡れた道路が濃く色を変え、無数の雨の粒が地面から天まで密集している、白くけぶった空間。


 その「雨」の中に、穴が開いていた。

 人の形をした穴だ。

 大人と、小さな子ども。手を繋いだ二人の形の穴。



「ああ……。ここか。……そっか。……ここまで、来てたんだ」



 雨の前に立って、一刻は、そこに開いた穴を見つめて目を細めた。


 思い出した。

 今、思い出した。

 ここから「あの場所」へと続く道筋を。


 一刻は、道路の色が変わっている境目を踏み越えて、雨の中に開いた、二つのうち大きなほうの穴に、自分の体を重ねた。

 水滴が顔に当たる。

 頭一つ分、母の身長を追い越してしまったから。

 こちらの穴の大きさでも、今の一刻が雨粒を避けるには、もう足りない。


 一刻は、かまわず前へと進む。


 手を繋いだ二つの穴は、雨の空間のずっと先まで続いていた。

 そのトンネルの中を進んでいく。

 不十分な高さ、大きさのトンネルからはみ出た身体で、周りに浮かぶ雨の粒を押しのけて。


 そうして歩いていくと、トンネルは、ほどなくして高速道路を降りた。

 街の中に入っても、雨の空間はまだ続き、トンネルも続いていた。

 天まで雨粒に覆われて、薄暗く、灰色に霞んだ街。

 昔見たはずのその景色を、今思い出すことなど、できはしない。

 それでも、このトンネルを辿っていけば、道を失うことはない。


 歩いて、歩いて――。


 幼子と手を繋いだ長い長いそのトンネルは、川に架かる大きな橋の手前で、出口となった。


 雨の空間を抜け出て、一刻は、顔に付いた水滴を払う。

 目に入って目の縁に溜まった雨を、指先で拭い取る。


 背後の雨を。

 雨の中に開いた穴を。

 少し振り返ったあと。


 一刻は、目の前に見える大きな橋へと向かって、また歩き出した。


 あの橋だ。

 あの橋の上から、あのとき、あれを見た。


 一刻は進む。

 オレンジ色に染まった橋の上へ。

 そして、橋の真ん中辺りまで行き着いたところで、足を止めた。


 橋の上から見下ろす景色の中に、それが見えた。

 地上近くに浮かぶ、黒っぽい小さな点の集まり。

 鳥の群れだ。おそらくは、鳩だろう。


 あのとき、オレンジ色の光の中で、一刻を睨みつけた母の瞳が、よみがえる。



『だめ、一刻』



 母の声が、よみがえる。



『行くな。あそこは、近づいちゃいけない場所だから。あそこにだけは、何があっても、絶対に行っちゃだめ。――いい?』



 一刻は、小さく微笑んだ。


「見つけたよ。……やっと」


 囁くように言って、一刻は、歩き出す。

 橋を降りて、鳥の群れを目印に、そこへ近づいていく。


 もうすぐだ。もうすぐわかる。

 あの場所に、何があるのか。


 オレンジ色の町。

 影の中の道。


 答えにたどり着くための、最後の道のりを、歩く。

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