グラデーションの旅路 ③

 駐車場の車止めのブロックに腰を下ろして、そこで休憩がてら、食事を取ることにした。


 まずは、水だ。

 しょっちゅう独り言を言ったり、歌を歌ったりしながら歩いているせいで、一刻はよく喉を渇かせている。

 最初に水を口にしないと、固形物を食べる気になれなかった。

 ビニール袋からペットボトルのミネラルウォーターを取り出し、蓋を開けて、ボトルの口を上にした状態で、そのボトルを真っすぐ下に動かす。

 そうすると、ボトルの口から、中身の水がずるずると伸びて現れる。

 ボトルの外に露出したその棒状の水に、一刻はぱくりと齧りつき、飲み込んだ。

 ボトルの中身を三分の一ほど外に出して齧ったあとで、ハッシュドポテトとパンを食べた。


 新しい粒チョコレートが手に入ったから、今まで持ち歩いていたやつは、これもここで食べてしまおう。

 そう思い立ち、一刻は、少し薄汚れた紙筒の蓋を開けた。

 片目で筒の中を覗き込むと、中の粒チョコレートは、ほとんどの粒が粉々に砕けていた。

 長い間、持ち歩いて振り続けていたせいだ。

 こうまで砕けてしまっては、筒を振っても、もう前と同じような音は鳴らない。

 一刻は、蓋を取った筒を、開いた口を上にして縦に持ち、先ほどのペットボトルと同様に真っすぐ下へ引いた。

 筒の中の砕けたチョコレートが、筒の形のままするすると外に出る。

 宙に浮く砕けたチョコレートの柱に、一刻はかぷりと食いついた。


 空中のチョコレートもすべて食べ終えて、一刻は、再び立ち上がる。

 空を見上げ、また記憶を手繰り、呟く。


「昔、この道を通ったときは……確か、日の当たらない道から、明るいこっちの道に出てきたんだ。……ってことは」


 母と歩いた道を引き返すには、これから、雲の影が落ちているほうへ進めばいい。


「あの、オレンジ色の地帯……あそこまで行くのは、時間は掛かるだろうけど、たぶん、難しいことじゃない」


 ここから、あとどれだけの距離があるかはわからない。

 けれど、オレンジ色の地帯を目指して歩き始めた頃に比べて、空の色は少しずつ褪せてきているように思える。

 このままこの方角へ進んでいけば、いつかはあの色に染まった地帯へ行き着くだろう。


「だけど……オレンジ色の地帯だって、ものすごく広い。その中から、たった一つの場所を見つけなきゃならないんだから。……やっぱりなるべく、前に歩いたことのある道を、引き返さなきゃ。そうでないと……オレンジ色の町を、ただ闇雲に歩き回っても、もう一度あの場所にたどり着けるかどうか……」


 そこまで呟いて、一刻は、小さく苦笑を浮かべた。


「とはいえ、昔通った道を引き返すのだって、簡単じゃないだろうけど。母さんの顔、見上げながら歩いてた頃の道なんて、どのくらい覚えてるかなあ」


 遠い記憶を。遥かな道のりを。

 最後まで辿りきることは、できるのだろうか。


「やるだけ、やってみるしかない」


 一刻は、自問にそう自答する。


 できるかできないかは、二の次。

 もちろん、母に対するあの問いへの答えを、見つけ出したいとは思っているけれど――。


 この世界で、何か、自分のやるべきことが欲しい。


 独りきりになったこの世界で、なんの目的も持たずに生きていくことは、想像しようとするだけで押し潰されそうになるくらい、恐ろしかった。


「――さて」


 一刻は、雲の影が落ちている道へ向かって、歩き出す。


「――ばーぐらぁんどにー……」


 たった一つ知っている、いつものその歌を、口ずさみながら。

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