この想いは
──ガブリエル様の試練をクリアしてから三日、私達はおばあちゃんの優しさに甘えて冥界でお世話になりつつ師匠と修行の日々を送っていた。
「ぷはぁ……終わったぁ……っ!」
師匠に言われたように素振り三百回を終わらせると、汗だくの身体をそのまま地面に横たわらせる。冥界の星空のようなマナ鉱石の天井が私の視界を奪った。冥界の冷気は修行で熱の籠もった身体をほどよく冷やしてくれるので心地がいい。
すると肌触りがとてもいい布が私の身体の上に被さった。
「わんっ!」
見るとケルベロスが「風邪を引くよ」とでも言いたげに鼻をフンフン鳴らしていた。起き上がると、尻尾を振って私に三つの首が甘えたような瞳を向けるので順番に頭を撫でてあげる。三匹の犬が私の頬や肩を舐めた。
「あはは、くすぐったいよケルちゃん!」
「わんっ! わんわん!」
「分かった分かった。後で沢山遊んであげるから今はストップ。ちょっと休ませて」
「くぅん……」
しゅん、と耳を下げる今のケルベロスに試練の時のような威厳は感じられない。そのまましょんぼりした彼はゆっくりとその場を去って行く。……後で沢山遊んであげないとね。
今日の師匠から与えられた修行はこの素振りで終わりだ。私はようやく立ち上がれるようになり、ケルベロスがくれた布で汗を拭きとった。
着替えでもしようかと冥界の城──パンデモニウムに戻ろうとした時、岩の向こうから聞き慣れた声が聞こえてくる。その声に異常なくらい反応してしまう。
「ノブナガ! 刀を無駄に振り回すな。お前の剣には感情が籠もりすぎる! 焦るんじゃない」
「は、はぁ、わ、分かったよアモン……くっ、ふ……っやぁ!」
「…………っ、」
岩からこっそり顔を出して、師匠とノブナガ君の修行を覗き見する。もはやこれは私が修行を終えた後の日課になっていた。ノブナガ君は汗だくになって師匠と手合わせをしている。熱さに耐えきれなかったのか動きにくかったのか、ノブナガ君は上半身を晒していた。そんな彼の身体に私は思わず両頬が熱くなる。
「……って、私は変態かっ!?」
独りでツッコミをしつつ、岩に背をぴったりつけて、そのままズルズルしゃがみこんだ。心臓がどくんどくんと暴走している。最近、ノブナガ君を見るといつもこうなってしまう。
なんなのだろう、この感情は……いや、私自身その正体に本当は気づいているはずなんだ。ただそれを口に出す勇気がないだけ。でも、こんなことを師匠やリュカに相談するのも恥ずかしいし……。こんな時ママが居てくれたらなぁ。
パンデモニウムの廊下を歩きながら、私は心の中のモヤモヤを消費しきれずに大きなため息を溢した。すると──
「悩み事かしら? エマ。そんな大きなため息を溢して」
「! お、おばあちゃん……な、なんでもないっ」
パパのお母さんであるペルセネ王妃、つまりは私のおばあちゃんと曲がり角で遭遇する。私はため息を聞かれてしまった事を恥ずかしく思いつつ、おばあちゃんを通り過ぎた。
「今から広間でお茶をするの。よかったらエマもどう? 着替えたら広間にいらっしゃいな。せっかく可愛い孫に会えたのだから二人でお話したいわ」
「!」
思わず足を止めて振り返る。おばあちゃんはそんな私ににっこり微笑んでそのまま曲がり角の向こうへと消えていった。
……な、なんか、心の中を見透かされた気分だ。
***
身体を清めて着替えを終えると、私はおばあちゃんの言うとおり広間に向かった。そこには数人の骸骨さんがおばあちゃんを囲んでいて、私を見るなりお辞儀する。「いらっしゃい」と優しい声に誘われて私はおばあちゃんの向かい側の席に座った。
骸骨さんが、私の前に冷たいお茶を置く。
「バタフライフラワーというお花のお茶よ。気に入ってくれるといいのだけれど」
私は置かれたお茶を恐る恐る口に含んだ。クリームのような甘さがひんやりと舌で華麗に広がって、目が見開く。思わず綻んでしまった。そんな私におばあちゃんは嬉しそうだ。
「よかった。気に入ってもらえたようね」
「うん。これ美味しい! あ、よく見たらこのクッキーこのお茶と同じ色をしてるね」
「そうよ。このクッキーもバタフライフラワーから作ったの。綺麗な青色でしょう」
おばあちゃんに見守られながらお茶とお菓子を頬張ってしまう私。ママとしばらく会っていないせいか、おばあちゃんの優しさについこうして甘えてしまう。甘えてはいけないって分かってはいるんだけどね。
私が三枚目のクッキーを口に入れたところで、やけにニコニコしたおばあちゃんは口を開く。
「……それで、エマはノブナガ君にいつ告白するのかしら?」
「!?!? ぶほっ」
思わずクッキーを噴き出してしまう。骸骨さんが慌てて私にハンカチをくれた。ありがたくそれで口元を拭く。私は自分でも分かりやすく動揺していた。
「な、なな、なんでそこで、の、ノブナガ君が? わ、私は別に……」
「あそこまで分かりやすく目線を向けていたら、ねぇ? そりゃ分かるわよ。好きなんでしょう、彼のことが」
「ね~?」とおばあちゃんが骸骨さん達に目を向けると、骸骨さんもうんうん頷いていた。え、本当に!? 私、そんなにノブナガ君の事見てるの!?
赤くなっているであろう頬を隠すように両手で覆うと、ごつごつした感触がした。私はそっと自分の手を見る。豆だらけの己の手にふっと動揺が冷めるのを感じた。
「……。……、そうだね。私はノブナガ君の事を好きかもしれない。でもこの想いは伝えるつもりはないよ」
「! ……それはどうして?」
「見てよこの手」
私はおばあちゃんに自分の両手の平を掲げる。おばあちゃんの目が細くなった。
「こんなにごつごつして汚いの。腕や足のあちこちに痣だってあるんだよ。普通の女の子にはこんなのないでしょう。ノブナガ君はきっと可愛い女の子が好きだから……私なんかじゃ……」
自分で言葉に出しておいて、自分で傷つく。でも、この想いを認めてしまって、彼に想いを告げた時にもし振られてしまったら、この痛みとは比にならない痛みが私を襲うのは目に見えていたのだ。今の私にとってノブナガ君に背を向けられることは、ヒュドラやケルベロスや、あのルシファーよりも怖いものになっている。
しかしそこで、私の手におばあちゃんの手が重なった。
「エマ。もっと自分に自信を持ちなさいな。貴女のその痣や傷は貴女が大勢の誰かの為に必死に頑張っている証なのよ。ノブナガ君はそんな貴女の勲章を汚いと思うような子なの?」
「そ、それはない! それはない、けど……」
「貴女は本当はただ怖いだけなのよ。初めて抱く感情に怯えて、傷つくかもしれないと貴女自身がそれを拒否してる。でもね、エマ。想いを告げて叶わなかった痛みよりも、長い間胸の中に想いを秘めている方が苦しくて辛いのよ」
「……どういうこと?」
「想いを告げる勇気のない者は想い人が誰かと結ばれるのを止める権利もない。ただただ見守ることしかできない。その逆も然りね。もし……自分が想い人以外の人と結婚することになってしまった時、実はあの人が好きでしたなんて言えないんだから」
「!」
おばあちゃんはどこか遠い日を思い浮かべているかのように、しんみりと目を瞑る。そうしてしばらくして私を瞳に映すと、眉を下げて微笑した。
「私は貴女にそうなってほしくはないわね。想いっていうのは言えるうちに言っちゃいなさい。タイミングを逃しちゃったらその想いを叫びたくても叫んではいけない、もしくは叫んでも仕方ないようになっちゃうんだから」
「おばあちゃんもそんなことがあったの?」
「……それはノーコメントにしておくわね」
おばあちゃんが悪戯っぽく私の額を人差し指で突いた。それで貴女はどうするの、というメッセージが私の心に届く。私は自分の手を見つめて、瞼の裏にノブナガ君を映した。
もしかしたらこの先、私は試練中に死んでしまうかもしれないし、悪魔に殺されてしまうかもしれない。今までだってそうなりかけた瞬間が多々あったはずだ。死ぬ直前に「あぁ、想いを伝えておけばよかった」と後悔するかもしれない。それは絶対に、ぜぇーったいに、嫌だ。
もし生き残ったとしても、ノブナガ君が誰かを好きになってしまうかもしれない。それを黙って傍で見ているのも、絶対に嫌だ。……私、結構独占欲強いんだなぁ。
想いを告げることが出来なくなる、もしくは伝えてもどうにもならなくなる時が訪れてしまうかもしれないなんて想像もしなかった。でも確かに、それは王女であり勇者である私にはきっと身近なものだろう。
……恐がっている暇なんて、ないのかもしれない。
私は決意を固めて、立ち上がる。
「おばあちゃん! 私──ノブナガ君が好き!!」
はっきりとそう言った。もう隠さない。隠したくないと心が叫んでいた。おばあちゃんはそんな私に瞳を輝かせ、私の両手をぎゅっと握った。
「そう言うと思ったわ! じゃあ
「うん! 少なくとも次の試練まではノブナガ君に告白を……って、あれ、今なんて?」
「うふふ。今からって言ったのよ。骸骨さん達、やっちゃいなさいな!」
化粧品やらなにやらを持ち込みはじめる骸骨さん達と張り切るおばあちゃん。私は突然の展開に唖然とするしかなかった……。
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