安堵


 ──誰かの声がする。とても、温かい声だ。


 ──これは……ママ? いや、違う。でも、似てる。


 ──頭を撫でられている。


 ──私の名を──呼んでいる……。




***




「──あら、目を覚ましたのね」

「…………、」


 柔らかい。起きた瞬間に思ったことはそれだった。私はゆっくり目を開ける。

 うっすらぼやけている視界の中、藍色の光がキラりと輝く。目を凝らすと、それは瞳の輝きだった。

 白髪に包まれた美しい顔に私は見惚れる。この女の人、どこかで見たことある。どこだったっけ……。

 とりあえず周りを見れば、どこか廃れてはいるものの、その上品さを隠さない部屋。絨毯の模様とか、灯りの形とか、シュトラール城の内装に似ている。窓の外には青白い光がふよふよ浮かんでいるのが映っていた。

 そこで私はハッとする。


「っ、そうだ。あの、私と一緒にいたノブナガ君とリュカっていう男の子二人を知りませんか? あと、ここは一体どこですか!? それに私はガブリエル様の試練を──あっ!」


 思わず声が出た。大音量で私のお腹から空腹のアラームが鳴ったからだ。女の人が可笑しそうにクスクス笑って私の頭を撫でる。その冷たくて細い手が、私の手を握った。


「ついていらっしゃい。お腹が空いているのも当然だわ。食事は用意してあるの。ちゃんと答えてあげるから、まずはご飯を食べましょう」

「え、あ……」


 そのまま長い廊下を歩く。廊下にはこの城の従者らしき骸骨さん達が数人いて、私と女の人を見るなり大迷路の時のように恭しくお辞儀をした。こ、この女の人実は凄い偉い人なのかな……っていうかどうして私までお辞儀されてるんだろう。変なの。

 そんな疑問を抱えつつも、空腹であまり頭が動かないため深く考えなかった。そうして広間に入ると、とっても長いテーブルにズラリと宝石のような料理が並べられていた。料理から漏れだす冷気がふわりふわりと私を誘う手のように見える。


「お腹いっぱい食べなさい。全部エマの為に作ったんだから。ちなみにちゃんと食材は地上のものを使っているから安心して食べていいわよ」

「え、あ、い、いいんですか?」

「いいのいいの。ほら、たんと食べて」


 背中を押されて席に着いた。私は唾が口内で滲んでくるのを感じながら、まず目の前のスープを一口食べる。ひんやりとした旨味が舌いっぱいに広がって、ぎゅっと顔に力が入った。


「お、おいひい……」


 手が早く次の一口をくれとばかりに焦る。そんな私に女の人は私の向かい側に座って微笑ましそうに見守っていた。

 私はなんだかそんな女の人に安心して、次々と食べ物を口に放り込んでいく。疲れ切った全身が歓喜の叫びを上げた。涙がポロリポロリと零れる。


 もう駄目かと思った。

 このまま三人で死んじゃうのかと思った。


 しかし安堵の涙も束の間、私はノブナガ君とリュカのことを思い出してすぐに顔を上げる。口内に残っていた食べ物を強引に喉の奥に押し込んだ。


「あ、あの!! それでリュカとノブナガ君は!?」

「安心して。二人は無事よ。エマの事を心配して眠れていないから休んでもらってるの。今、骸骨スケルトンが起こしにいっているからすぐに飛んでくると思うわ。……ほら、言ったそばに来たわね」

「「──エマ(ちゃん)!!」」


 広間に聞き慣れた声が反芻する。私は思わず立ち上がった。二人と目が合って、ただでさえ零れていた涙がさらに増量する。リュカがそんな私の顔を指差して笑った。


「うわぁエマ! なんだよその顔! ぶっさいくだな!」

「うっさい!! こっちは本気で……っ、ふ、う、うぅ、じ、じんばいじだんだがらぁ……っ」


 私は二人を思い切り抱きしめる。二人の身体は温かい。それが本当に嬉しかった。

 二人はそんな私に戸惑ったように顔を見合わせている。そして照れくさそうに私の背中に腕を回した。


「悪かったよ。でもよ、エマがケルベロスの囮になっている時にエマの試練の為に仮死してくれって大天使ガブリエル様に言われてよ。協力するしかなかったんだ」

「え……」

「独りで限界の限界までケルベロスの大迷路を進み続けることができるか。それが試練だったみたいだよ。エマちゃんは見事ガブリエル様の試練を合格したんだ!」


 私は突然の事でキョトンとする。そんな私の頭を大きな手が乗っかった。

 慌ててその手を握って顔を上げると師匠が私を見下ろしている。


「し、ししょーっ!!」

「よくやったなエマ。本当によくやった……!」


 私が師匠に抱き付くと、師匠は私を抱き上げてくるくる回った。「なんか俺達の時より喜んでないか」という不満そうなリュカの声が聞こえる。

 

「俺は、ガブリエル様に言われて腕輪の中からお前を見守ることしかできなかった。悪かったな」

「ううん。師匠が私を信じてくれた上での行動だって分かってるから、私は嬉しい!」

「……そうか」


 師匠の手がポンポンと私の背中を叩いた。しかしその時だ。「もっと飯を寄越せ!」と言いたげな私のお腹の催促が再度辺りに響く。私は顔に熱が集まった。ノブナガ君が苦笑する。


「え、エマちゃん。とりあえずご飯食べようか」

「う、恥ずかしい……」

「恥ずかしくないわ。エマが頑張った証なんだから。ほら、スープのお替りもあるわよ」


 白髪の女の人が席に着きなおした私に優しく声を掛けてくれた。そうしてノブナガ君とリュカ、師匠にも手招きをする。


「貴方達も食べなさい。あんまり食べていないでしょう」

「あ、ありがとうございます。さん!」

「!?」


 ……ペルセネ?

 私はノブナガ君の耳を疑った。その名前にはとても、とてーも聞き覚えがあったからだ。

 だって、パパやヘリオスおじいちゃんがよくその人の話を私に聞かせてくれるもの。

 え? つまり、それって──。


「……、……おばあちゃん?」


 そう。もしかしたら目の前のこの人はヘリオスおじいちゃんの妻であり、パパのお母さんなのかもしれない。だって名前もだけど、ヘリオスおじいちゃんの部屋にある絵画の女の人にとっても似ている。だから既視感を覚えたのだと今気づいた。

 ペルセネさんはゆっくり頷いて、テーブルの向こうから私の頭を撫でる。


「そうよ。私の瞳の色は、ノームを通して貴女に受け継がれているの。……ずっとここから貴女を見守っていたわ」

「え!? エマちゃんの祖母さん!?」

「…………、」


 ノブナガ君もリュカを目をまん丸くしてペルセネさん──いや、おばあちゃんを見ている。師匠はやけに冷静だった。

 おばあちゃんは「色々話したいことはあるけれど、ひとまずは食事を楽しみましょう」と微笑する。私はまだまだ食欲が暴れていたので素直に頷いた。その後、おばあちゃんから私が今飲んでいるスープはパパが好物だったおばあちゃんの手作りスープである話を聞きながら、食事を楽しんだのだった……。

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