ケルベロスを“乗り越えろ”


 ──ケルベロス!


 私はソレを認識するなり、聖剣を構えた。光球の輝きが聖剣に反射する。その瞬間、ケルベロスは私達がたった今いた地面に己の首を突進させたのだ──!!


「アモン──!」


 ノブナガ君が師匠にそう叫ぶと、師匠がすぐさま炎を吹く。口から吐き出されたその炎は竜……いや、あれはトカゲかな……とにかくは虫類特有の姿へと変わり、ケルベロスの身体に巻き付いた。

 その間にすぐさま私達は体勢を整える。となりでリュカが腕だけを竜化させていた。


「おい、炎が効いてないぞ……?」


 私は唾を飲み込む。リュカの言うとおり、ケルベロスはあっさりと師匠の炎を己の息ではじき飛ばしたのだ。しかも火傷したようにも見られない。いや、私だってこれで終わるだなんて甘い考えは持っていなかった。でもダメージを全く受けてないなんて思わなかったよ!


 ──まさか。


 私はある一つの可能性にゾッとする。それを振り切るように、聖剣を握りしめた。光球を不規則に動かし、ケルベロスの注意を引く。気が遠くなるほどの年月をこの暗い冥界で過ごした番犬にはあの光球は眩しすぎるようだ。

 ケルベロス達が涎を散らして光球に牙を向く。その隙に私は盾魔法を使って足場をつくり、ケルベロスの背に乗った。不安定な足場。しかし、ここが一番深く聖剣を突き刺せる。 

 

「エマちゃん、」


 ふと声をかけられ顔を上げると、ノブナガ君もケルベロスの背に乗っていた。そうしてそのまま二人で頷いて私は聖剣を、ノブナガ君はヒュドラの牙を──ケルベロスの皮膚に突き刺したのだ! 


 瞬間、ケルベロスが痛みで発狂し、私とノブナガ君は背中から飛び降りる──なんてことはなかった。


「え……?」


 ケルベロスは何も反応を起こさなかった。ただ平然と、未だに光球に向かって吠えている。まるで何もなかったかのように。恐る恐る聖剣を抜いてみても、開いた穴は粘土のようにすぐに修復されていった。ノブナガ君と顔を見合わせ、一旦ケルベロスの背から降りる。

 ケルベロスがもはや光球を玩具として認識しているのか、尻を振って何度も手を伸ばしたり吠えたりしているのを横目に、私とノブナガ君、リュカ、師匠は岩でできた空間の隅の方で作戦会議をすることになった。

 

「参ったぜこりゃ」


 リュカが肩を竦めて、手に持っていたものを掲げた。それはケルベロスの尻尾……の蛇である。前回の試練のヒュドラを思い出し、私は「うげぇ」と師匠の腕にしがみついた。


「尻尾を引きちぎっても何も反応がない。ご覧の通り尻尾はすぐに生えちまった」

「師匠の炎にも、私とノブナガ君の一刺しにも何も反応がなかった。痛みを感じないってことなのかな」

「……薄々皆分かっているんじゃないのか?」


 師匠が腕を組み、苦々しくため息を吐く。


、あいつには」

「!」


 私は師匠の言葉に眉を顰める。ノブナガ君とリュカも同じような表情を浮かべていた。

 つまり師匠が言いたいのは──痛みは生きる為の身体からのSOSであってそれが必要ないということは ──あのケルベロスは、死ぬこともないってことだ。


「そもそもここは冥界。生者が長くいていい場所じゃない。つまり、ここを長年守っている番犬様は生者ではないってことなんだろうな」

「既に生きてはないから、死なない。ベルフェゴールの時と同じようで違うってことか。そもそもケルベロスには死が存在しない」

「え、じゃあ……一体どうやって……」


 私はわざとらしく静かな聖剣をまじまじと見つめる。そういやミカ君は試練のヒントになんて言っていたっけな……。


「──あっ!」


 私はポンっと拳をもう片方の手のひらにぶつけた。そうして視界に広がるこの空間を見渡す。次に私はノブナガ君を見た。突然視線を向けられたノブナガ君はキョトンとしている。


「エマちゃん? どうしたの?」

「ノブナガ君、ベックスさん達から食料もらったよね。あれってまだ残ってる?」

「え? あぁ、うん。この巾着袋に入ってるよ。林檎がいくつか入ってるはず。それがどうかしたの?」

「ミカ君はこう言ってたの。私達ならケルベロスを〝乗り越える〟ことができるって。倒せなんて言ってなかったよ。というか、ケルベロスが絶対に死なない存在なら倒すことなんて不可能。それならば倒さなくてもいいんじゃない? このガブリエルの試練はもしかしたらまた別にあるのかも。ケルベロスは過程でしかないんだよ」

「! そうか。じゃあ……」

「私が林檎でケルベロスを引きつける。だから皆はあそこの穴まで突っ走って!」


 私が指した先には私達が今まで通ってきた道とは別の道があった。骨で出来た仰々しい飾りがあったから、その通路はとても目立っている。多分、あれこそが試練の次の過程へ行くための入り口なんだろう。光球に飽きたのかタイミングを見計らったのか、この試練の仕掛けに気づいた私達にケルベロスが三つの頭を向ける。そうして凄い勢いでこちらへ向かってきた。ノブナガ君が林檎を持つ私の腕を掴む。


「駄目だエマちゃん! 危険すぎるよ。もしケルベロスが林檎に興味を示さなかったらどうするの?」

「大丈夫。一応考えてはいるよ。それに試練を乗り越えないといけないのは、加護をもらわないといけない私でしょ。だから一番危険なことは私にやらせてよノブナガ君」

「……っ!」

「気を逸らしてただ逃げるだけだから大丈夫だよ。……私を信じて」


 ノブナガ君にそうにっこり微笑むと、ノブナガ君は唇を噛みしめる。師匠がそんなノブナガ君の肩を掴んだ。「分かってるよ」と呟いて、ノブナガ君は走って去っていく。リュカの「絶対に逃げろよ!」という声も聞こえてきた。

 一方ケルベロスは分かれたノブナガ君達を無視して、私に一直線だ。ケルベロスの鼻がピクピクと動いている。おや、まさかこの子……。ケルベロスはその円らな瞳の中に私が掲げている林檎を映していた。

 好都合だと口角が上がる。


「林檎好きなの?」

「ワン!」


 ご丁寧に返事をくれるケルベロス。もはやこうしてみると犬そのものだ。勿論、頭が三つなければの話だけどね。私はわざとらしく林檎を齧る。シャクッと私の歯が林檎を抉る心地のよい音が響き、抉られた箇所から林檎の甘みを凝縮した汁が溢れだしてきた。ケルベロスの鼻息が荒くなる。


「これ欲しい?」

「ワン! がるるるるる!!」

「オーケー。じゃあ、あげるねっ!」


 私は身体強化魔法を腕に集中させ、思い切り林檎をノブナガ君達とは真逆の方向に投げた。ケルベロスの三つ首が喧嘩しながらもそれを追いかける。


 それを見届けた私はすぐ様ノブナガ君達の方へ走り出した──!!

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