少年は立ち上がる

(──ノブナガ、止まれ!)


「うるさいぞ、サラマンダー!!」


 我を失っているノブナガを諫めようとしているのだろうか、ノブナガは自分の中に宿っているサラマンダーに叫んだ。目はベルフェゴールに向けたまま。

 ベルフェゴールは面白そうなものを見つけたと舌なめずりをする。


「なんだてめぇ、この小娘に気があるのか?」

「そんなことお前に関係ないだろ!」


 ノブナガにしては強い口調にアルはただただノブナガの後ろで怯えるしかなかった。

 

「お前は絶対に、許さないからな……!!」

 

(やめろと言っている! 一旦頭冷やしやがれ!)


 サラマンダーの注意を無視してノブナガはベルフェゴールへ飛びだす。

 炎を纏った鎌鼬を鞭のように振り回した。剣の技術など今のノブナガの頭にはない。


 ベルフェゴールは勿論それを避けて、ノブナガの下に回り込む。

 そしてそのままノブナガの顎を殴った。その衝撃はノブナガの脳天に巡る。

 ノブナガの視界はぐにゃりと歪み、やがて──。


 あっさり、ノックダウンだ。


「っ、え、エマ、ちゃ……」


(馬鹿野郎が……!)


 脳内から聞こえるサラマンダーの声を最後に、ノブナガは意識を失った。


「──さぁて、」

「ひっ」


 アルがその場で腰を抜かす。

 そんなアルを見下ろし、ベルフェゴールは先程のように強い絶望の色を瞳に浮かべた。


「お前にはもう興味はねぇ。さっさと殺すか」

「……う、うっうぅう!」


 アルは再度泣き出した。今にも自分を殺そうとする化け物が目の前にいるのだから当然だろう。

 そんなアルの細い首をためらいなくひっつかむベルフェゴール。

 そしてアルに何か言おうとしたが、言葉を迷わせ、結局口を閉じる。

 

──どうして? どうして、この人は俺にこんな顔をするの?

──どうしてそんな悲しそうな顔をするの? 俺がこの悪魔を悲しくさせるようなことをしたの?


 アルは必死にベルフェゴールの手を解こうと足掻きながらもそんなことを思った。

 走馬燈のように、今までの思い出が頭を過ぎる。

 そしてアルの意識の糸が今にも消えようとした時──動きがあった。


「まっ……て……べる、ふぇごーる、」

「──!」


 エマだ。エマは頭を抑えながら、右手でそこらの地面を探っている。

 どうやら視界がまだ回復していないようだ。定まらない視界の中、聖剣を探しているのだ。


「ミカ、君……ど、こ、アル君を、アル君を守っ……」


 ベルフェゴールはそんなエマに目を見開いた。そのままアルを手から落として、エマの方に歩む。


「おい、小娘よ」

「! ベルフェゴール!」


 おぼろげな瞳を浮かべるエマの顎を掴んで、そのまま持ち上げる。

 傍にあった聖剣は蹴りつけ、十メートル向こうへ飛ばした。


「聖剣はねぇよ。諦めろ」

「……いやだ……諦めたくない……絶対に、諦めないっ!」

「エマ……、」


 心の底から絞り出したような涙声に、ベルフェゴールはエマが冗談を言ったかのように声を上げて笑った。

 アルはそんなエマに自分の胸を抑える。


「ははは、おい小娘よ。お前はどうしてそこまで生にこだわる? 勇者だって楽なものじゃないだろう。死んだらそこにあるのは無。なにも考えなくていい。なにも背負わなくていい。この世で一番の贅沢じゃないか!」

「……生きるより、死ぬ方が楽な時もあるのは、分かる……。でも、げほっ……ここで私が諦めたら、世界のどこかで、まだ、諦めずに戦っている人に合わせる顔がない……」

「!」

「ルシファーに石にされている人達、魔物に見つからないように必死に隠れている人達……今、こうしてる間にも、生きるために戦ってる人が沢山いる。……だから、私は……っ、お前みたいな悪魔に、その人達の、私達の、これからの未来を台無しにされないためにも、勇者になったんだ……!!!」


 エマの視界がようやく定まってきた。そしてみるみる声に力が籠もる。

 ベルフェゴールは震えた。その震えの意味は自分でもよく分からない。

 一方、アルはエマの力強い言葉に涙がピタリと止まっていた。


──そして。


「──エマを、離せぇえええっ!!」

「!」


 アルは立ち上がる。その後、勢いよくベルフェゴールに突進していった。

 勿論ベルフェゴールは微動だにしない。

 だが、それでいい。絶望する暇があったら、もう一度ぶつかればいい。

 少しでも、ベルフェゴールを倒す可能性を生み出すために。


 何度でも、何度でも。


「エマを離せ! 母さんと父さんの仇をとってやる! お前なんかコテンパンにやっつけて、俺はこの先の未来を生きていくんだ!!!! 俺達の、邪魔をするなぁぁ!!!」

「…………、」


 ベルフェゴールは、その時──。


「──あぁ、そうだったな」

「えっ」


 ベルフェゴールはエマを優しく地面に下ろし、アルに手を伸ばす。

 アルはぎゅっと目を強く握ったが、痛みは襲ってこなかった。

──なぜなら。


 ベルフェゴールの大きな手のひらは、アルの頭を優しく撫でただけなのだから。


「そうだよな、人間はいつだって、そうなんだよな……」


 ベルフェゴールは泣きながら笑っていた。

 アルとエマは困惑する。

 そして──彼はとん、とアルの身体を押した。

 あっさりと尻餅をつくアル。視線はベルフェゴールに釘付けだ。


「──エマちゃんとアル君から離れろ!」


──ノブナガが背後からベルフェゴールを何か鋭利なもので貫いた。


 ベルフェゴールは血液の塊を吐き出す。咄嗟に彼が俯いたのでその血液はアルにはかからなかった。

 ベルフェゴールの身体がそのまま後ろに倒れる。

 彼の身体に出来た大きな穴は先程と違い回復する様子は見られない。

 ただただ彼の体内に巡っていた真っ赤な体液を流出させていた──。


***


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