【三章前日譚】ヒノクニのノブナガ②


 ──その夜。


 ぬらりひょんであるじっちゃんのいびきを聞きながら、俺は夜寝付けなかった。

 何故だろう。胸騒ぎがする。

 おじいさん、あの後ちゃんと人間の住処に帰れたんだろうか。

 この物の怪の森はそう簡単に目的地でたどり着くほど単純なつくりはしていない。

 むしろ人間を惑わせるために結界までかけているくらいだし……。

 鎌鼬かまいたちは大丈夫だって言っていたけど。

 俺はなんだかむずむずしてこっそり小屋を抜け出した。


 ぬりかべ君の身長よりも高い岩によじ登り、寝転ぶ。

 今日は随分と綺麗な夜空だ。不気味なほどに。

 俺はそっと昼間おじいさんからもらった腕輪を懐から取り出した。

 夜中だというのにそれは輝いていた。妖術か何かが込められているのかもしれない。

 しかしそのおかげであることに気づく。


「“To S”……“From E”……?」


 腕輪にそう刻まれていることに気づいた。

 確かこれって誰かから誰かに贈る時に使う言葉だっけ。

 世界中を旅した鎌鼬が言っていたから間違いない。けど……。


「贈り物なら余計にあのおじいさんに返さないと。でも、おじいさんは受け取ってほしいって言っていたしなぁ……」


 俺は頭を掻く。

 そしてほぼ興味本位で──その腕輪を、右手首にはめた。


「!?」


 俺が身につけるのと同時に急に腕輪が熱を持ち、輝き始める。

 腕輪に手首を食われてしまうような恐怖を感じたので慌てて外そうとしたが、それはほぼ俺と同化してしまったかのようにビクリともしなかった。

 しまった、やっぱり妖の類だったか!?

 するとその腕輪が燃えはじめ──思わず叫び声を上げる。


「うるせぇ。静かにしろ」


 俺はポカンと口を開けた。

 腕輪から疼いた炎が目の前で人間に変わったのだ。

 見たこともないような異国の服を着た(といってもほぼ半裸)青年が俺を睨んでいる。

 炎に似合う深紅の髪に、琥珀色の瞳──。


「──お前が、俺のか」


 俺は気付けば腰を抜かしていた。

 青年はそんな俺がどうにも気に食わなかったらしい。


「な、ななななな!?」

「ふん、随分な間抜け面だ。ミカエルは何を考えてる。……まぁ、この際どうでもいいか」


 青年はぶつぶつ独り言を言うと俺の顎を掴み、持ち上げる。

 俺を嘲笑するように口角を上げる青年の顔はどこかの国の王子ではないのかと疑うほど整っていた。


「お前、力が欲しくないか? 俺と契約しろ。この俺の炎の魔力をお前に与えてやる」

「え、えぇ……なに? だれ? え、ちょ、急に言われても……えっと、君は?」

「俺は……まぁ言うなればこの腕輪に憑りついている悪魔だな。名前は契約者にしか教えない。故に今は悪魔と呼べ」

「あ、悪魔って……」

「炎はいいぞ。簡単に人を消し去ることが出来る。お前だって気に食わない人間の一人や二人いるだろう?」


 怪しく歯を見せる悪魔に俺は腕を組んで眉を顰める。


「うーん、その契約をしたら俺は何かを君にお返ししないといけないんだよね? 契約ってそういうものだってじっちゃんが言ってたよ」

「あぁ、その心配はいらない。俺はお前の寿命の半分や身体の一部は別に欲しくないからな」

「? どういうこと?」

「それは……契約するなら教えてやってもいい」

「……ふぅん」


 なーんか胡散臭いなぁ。

 悪魔って異国の物の怪のことだよね?

 流石の俺でも騙されないぞ。


「じゃあお断りするね」

「!!?」


 まさか断られるとは思っていなかったんだろう。

 悪魔は後ろから驚かせられた河童くんのような顔をした。


「な、ななな何故だ!? 炎を操る能力だぞ!? 上級魔法も使えるぞ!? 思いのままだ!」

「だって炎ってかっこいいけど危ないじゃん。火傷するしさ。俺、別に周りに嫌いな人とかいないし。それに君、なんか胡散臭いし」

「!!!」


 石のように固まる悪魔。相当ショックだったのだろう。

 ちょっと可哀想だな。


「……あー、でも君の事もっと知ったら考え直すかも。だからひとまず君の望みを教えてほしいんだ」

「! ……っ。……俺の、望みは……」


 悪魔の顔に愁いが浮かぶ。

 頬をほんのりと赤らめて、どこか遠くを見つめているような……。


「……生前、愛したひとがいた。近々そいつにかつてないほど大きな災難が降りかかると予知してな。……その、お前と契約すれば、俺はお前の身体を媒体にこの世に顕現できるし、力を使うこともできる。その女を救うことだってできる。……だから、その……」


 ──お前の身体と時間を、少しだけ俺にくれ。


 誰かにお願いすることなんて苦手そうなタイプなのに悪魔は頭を下げた。

 余程その女の人が好きらしい。

 っていうかこの悪魔、生前とかあったんだ。

 しかも生前の恋人(仮)がまだ生きてるってことはつい最近まで人間だったのでは……。

 そう考えるとさらに手助けしたくなってくるけど……。


「まぁ、しばらく考えさせてよ」

「!」

「まだ君が本当の事を言っているかどうか判断できかねるし、君ともう少し一緒にいて決めたいんだ」

「……あぁ、分かった。お前の言う通りにするさ」


 悪魔は少しだけ安堵したような様子だ。

 俺は悪魔と黄金琥珀の腕輪を見比べると、にんまりと笑う。


「それでそれで、もしかしてこの腕輪ってその想い人から生前の悪魔君がもらったもの? 『To S、From E』って書いてあったけど、君の想い人はEから始まる名前で、君はSから始まる名前ってことだよね!?」

「!!? そ、それは、お、おお教えるか馬鹿! 契約後にしか話さない!」

「えーでも、君の好きな人のことについても教えてもらえないと契約するかどうか決められないなぁ? 君ってどんな女の人がタイプなのかなぁ? しーりたいなぁ~」

「き、きき、貴様っ!」


 炎が沸き起こる。

 どうやら彼は冗談にあまり慣れていないらしい。

 明日から悪戯好きの鎌鼬の玩具にされるだろうなぁと心配しながらも、彼とは上手くやっていけそうな気がする。

 ……俺自身、彼のことは実は存外気に入ってしまったのかもしれない。

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