【三章前日譚】ヒノクニのノブナガ


 エマがシュトラール王国で産声を上げた年に、世界の極東地方にある「ヒノクニ」という国でも産声を上げたとある赤ん坊がいた。

 しかし、赤ん坊はエマとは違って恵まれた環境で誕生したわけではなかった。

 母親はその赤ん坊を疎ましく思ったのか、物の怪が住みついているという森の中にその子を捨てたのだ。


「……捨て子、か」


 赤ん坊を再び抱き上げたのは、人間ではなかった。

 頭部が異常に伸びた翁だった。

 ぬらりひょん。

 そう呼ばれて物の怪の長として恐れられていた翁は──泣きわめく赤ん坊を鬱陶しく思いながらも、そのまま森の奥深くへ連れて帰ったのだった──。




***

 

 


「やっぱぬり壁君と一緒の昼寝は最高だぁ」


 青年はそう呟きながら、少し固すぎる腹の上でのんびりと寛いでいた。

 捨て子だった彼も、所詮物の怪と呼ばれた存在らに囲まれて暮らしているうちに立派な青年へと成長したのだ。

 厄払いの念が込められた真っ赤な鉢巻を頭部に巻いて、「すくすく育ちますように」という意味を持つ麻の葉の野良着を身につけた青年──ノブナガを見るに、彼は随分と物の怪達から可愛がられているようだった。

 そのおかげで彼は一切捻くれることもなく、どこかのじゃじゃ馬娘のように真っ直ぐでどこまでも素直な青年だ。

 

「ノブナガくん、また太ったど。オラ、嬉しいっぺよ。人間はほんとに大きくなるのが早いなぁ」

「え~? そうかな。自分では分からないけど……」


 ノブナガの下で寝転んでいる巨大な物の怪──ぬり壁がくつくつと揺れる。

 どうやら笑っているようだ。

 するとその時、ノブナガの腕に不意に切り傷が出来た。

 ノブナガは「いたっ」と声を上げ、半身を起こす。


「ちょっと、鎌鼬かまいたち! 何すんだ!」


 いつの間にかノブナガの背後に現れていた妙に肌白い端正な顔つきの青年が唇を尖らせた。


「いいだろ。本能でやっちゃうんだよ。人間の肌を切るのは実に心地いいからな」

「かと言って親友の肌を傷つけるか!? はぁ~これ地味に治りが遅い傷だ……全くもう」

「まぁまぁノブナガよ。そんなことより面白いもん見せてやるから許してちょんまげ。ほら、こっちこいよ」


 ノブナガはため息を吐き、親友である彼に仕方なく付いて行くことにした。

 しかしその先にいたのは──ピクリとも動かずに力尽きた老人だった。

 ノブナガは血相を変えて、老人に口に手を当てる。

 息はしている。一応生きてはいるようだ。しかし酷く弱っていた。

 鎌鼬はそんなノブナガを面白そうに見守っている。


「こんなにやせ細って、ずぅっと何も食ってないんだろうなぁ……なぁノブナガ」

「特に傷はないようだし、ただの栄養不足かな。鎌鼬、一反木綿を連れてきてくれ」

「えぇ!? 何する気!?」

「家に連れて帰るんだよ。じっちゃんは遠くの森に出かけてるし都合がいい。家に確か収穫した仙桃せんとうがまだ残ってただろ」

「えぇ!? 仙桃を!? それはやばいって! ぬらりひょん様に殺されるぞノブナガ!」

「うるさいぞ鎌鼬。お前が黙っていればいいだろ。ほら、さっさと一反木綿呼んで」


 頑固としてそう言い放つノブナガに鎌鼬は「見せなきゃよかった」と文句を垂らした。

 そしてぬり壁同様二人の友人である一反木綿という空飛ぶ布の物の怪に老人を運んでもらう。

 ノブナガの家、今にも崩れそうなボロ小屋に老人を運ぶと籠に貯蓄しておいた仙桃という果実を取り出した。

 そしてそれの一部を老人の口に入れる。

 刹那、老人の目がカッと勢いよく開き、ノブナガの手から仙桃を奪って貪り始めた。

 鎌鼬と一反木綿はそんな老人に顔を見合わせて「いじきたねぇな」と眉を顰める。

 しかしノブナガはにこにこと嬉しそうだ。


「余程お腹すいていたんだねおじいさん。仙桃は美味しいだろ? 食べた人の好みの味になる不思議な果実だからね」

「おいおい、人間にそれを食わせるのはご法度だってぬらりひょん様が口を酸っぱくして言ってただろ? 少し前に仙桃狙いで山賊が後を絶たなかったんだぞ。最近やっと落ち着いてきたのに」

「俺はこの人を信じるよ。だから鎌鼬、俺のことを親友だと思うなら俺を信じてくれ」

「……はぁ。俺は何が起きても知らないからな」

「そう言う鎌鼬だって、前に旅の途中で可愛い湖の妖精の気を引きたくて仙桃をあげちゃったことがあるんだろ。じっちゃんに言いつけるぞ」

「お、おい! それ誰にも言わないって約束しただろ!」


 そうしてノブナガと鎌鼬の喧嘩がついに拳交じりにまで発展しそうな時──わざとらしい咳払いが聞こえた。

 見ると仙桃を食べてすっかり元気になった老人がゲップをしながらノブナガに微笑む。


「ふぅ。大変美味じゃった。ありがとうのぅ青年」

「いいんだ。おじいさんが元気になってくれたならそれで」


 歯を見せて年相応に笑うノブナガに老人は顎鬚を撫でた。

 

「……ふむ。ひとまずは合格ですかね。これなら彼も認めてくれるでしょう」

「? なんかいったかおじいさん」

「げほっ、げほっ! なんでもないぞい。それはそうと青年よ。お主の名前は?」

「ノブナガ」

「……そうか、ノブナガか。うむうむ、実に気にいった! お主は命の恩人だぞ若者よ! 本当に有難う! お礼にこれをあげよう」


 老人はボロボロの蓑から老人にはとても似つかわしくない黄金琥珀ゴールデンアンバーの腕輪を出した。

 そしてノブナガに半ば強引に持たせる。


「この腕輪はお主のような若者にこそ似合うだろう」

「! これって、」

「では、用は済んだ。わしはお暇しよう」

「え!? あ、ちょ、おじいさ……!?」


 老人はついさっきまで死にかけていたとは思えない程元気よく小屋を出ていった。

 ノブナガは慌てて追いかけたが、小屋を出た時には老人は既に姿を消していたのだ。


「……なんだったんだろう。妖狐に化かされたみたいだ」

「妖狐なら俺や一反木綿が気付くっつーの」


 ノブナガはキラキラと存在を主張する黄金琥珀の腕輪をまじまじと見る。

 どこか引き付けられるそれを鎌鼬は睨んだ。


「なぁノブナガ。その腕輪、なんか嫌な気配がするぜ。捨てた方がいいと思うぞ」

「そうかな。でもなんかこれカッコいいよ。持っておくだけなら害にはならないだろうしさ」


 鎌鼬はノブナガに何かを言い掛けたが、一反木綿がそれを止めた。

 言っても無駄、ということだろう。

 鎌鼬はやれやれと肩を竦めた。

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