【三章前日譚】エマと黒い男④


 ──俺は、後悔したのだ。


 小さい頃から、俺は兄貴が大好きだった。

 兄貴は誰よりも優しくて、誰よりも尊敬できる人だった。

 大人になってもそれは同じで、兄貴は素敵な女性と結婚し、子供も出来た。

 しかし兄貴は……その子供を残して妻と共に死んだ。

 結局兄貴の娘である茉也は俺が引き取ることになる。

 ……俺なりに必死に育ててきたつもりだが、今思うと「愛してる」の一言も言っていなかったことに気づいた。

 それだけじゃない。

 俺は茉也が成長するにつれ、茉也との時間をないがしろにし、仕事に明け暮れてしまった。

 

 そして茉也は──アルバイトの帰りに男に刺されて死んだのだ。


 痛かっただろう。苦しかっただろう。

 あぁ、俺は今まで何をしていたんだ。

 俺は茉也に何もしてあげていないことに気づいた。

 ただでさえ両親を失くし、孤独を恐れていたあの子を独りにしていたのだ。

 自分が憎くて憎くて堪らなかった。

 

 だから──俺は自ら、命を絶った。


 死後の世界はどこまでも冷たく、暗かった。

 俺はただただ茉也への謝罪を一心に彷徨っていた。

 

 出来るならばあの子にもう一度会いたい。

 もう一度会って、抱きしめて、謝って……。

 「叔父さん」と、もう一度呼んでほしかった。


 そしてそう願いながら闇の中を何年も彷徨っていた時──奇跡が起きた。

 神様の声が聞こえてきたのだ。

 その神様はどうやら私のいた世界とは違う世界の神だったようだが。

 神様はなんと茉也の魂の行方を知っているのだという。

 私は必死に茉也の居場所を尋ねた。

 神が言うには、茉也は異世界で転生を果たし、元気にやっているのだという。

 そこで私はその世界へ一日だけ顕現できるようにしてもらった。

 勿論人間になれるわけもなく、ただの屍としてだが。

 どうやら茉也は魔王と恐れられている怪物に育てられているという。

 魔王の知識も、テネブリスのこともある程度は神様に聞いていたのだが、その魔王という怪物は想像以上に恐ろしい姿をしていた。

 しかし、茉也の生まれ変わりだと思われる少女を撫でる手はとても優しかったのでひとまず安堵した。


 茉也の生まれ変わりの少女の名前はエマというらしい。

 その後も私はこっそりエマの姿をこっそりと見守っていた。

 しかしそうしていくと、だんだん直にその身体に触れたいという欲が湧いてきた。

 残り数時間の命なのだ。どうにかして彼女を抱きしめたかった。

 

 ──故に。

 ──多少強引でも、攫うことを選択したのだ。




***




「茉也は私よ、叔父さん」

「…………っ!!?」


 黒い男の人はママの言葉に酷く動揺しているようだった。

 

「どう、して……」

「私には有能なお友達がいてね。朱色の宝石の妖精なんだけど。その子が視せてくれたの。叔父さんのこと。……なに、自殺なんかしてるのよ叔父さん。馬鹿じゃないの」

「!」


 ママは黒い男の人の頬を思い切り打ったのだ。

 男の人がゆっくりと私を下ろして、地面に顔を擦りつける。

 何度も何度も、ママに謝っていた。

 ママも泣きそうな顔をしている。


「すまない……どうしても、おまえに、あやまりたかったんダ……おまえを、コドクのまま、しなせてしまったから……あにきにかおもたたないし、もう、じぶんが、にくくてにくくて……」

「私と私の娘を間違えたくせに?」

「……かえすコトバがないヨ……」


 ママは優しく私に手招きをした。

 私は慌ててママの腰にしがみつく。

 ママの顔は怖かった。

 私がフォルトゥナの宿題をサボった時の顔だ。


「それって逃げただけだよね。そんなんで死んで、私のせいにされても困る」

「ち、ちが! そ、そんなつもりは、なかったんだ……ただおれは……」

「それに私、確かに孤独を感じていたけどさ。叔父さんの事、好きだったよ」

「!」


 ママの顔がそこでふと緩んだ。

 そしてママがすっかり冷めたたまごやきを指差した。


「私の事悪いと思っているなら、また叔父さんの卵焼き食べさせてよ。それで許すからさ」

「!! ……あぁ、あぁ……もちろんだとも……ことわるリユウがない……」


 結局、おじさん(私もそう呼ぶことにした)はひたすら私とママにたまごやきを作ってくれた。

 形はちょっぴり不器用なものだけど、私は好きだ。

 ママも凄く嬉しそう。

 たまごやきを食べながら、ママはおじさんに今までどんな風に生きてきたか話した。

 おじいちゃんがどんな人なのかとか、テネブリスで起こった事件とか、パパとの馴れ初めとか。

 おじさんはとっても幸せそうにそれを聞いていた。

 そして──。


「────、」


 どこかでタイムバードが鳴く。

 もうすぐ朝日が昇ってしまうのだ。

 おじさんがゆっくり立ち上がった。

 ママの顔も歪んでいく。


「叔父さん……」

「……ジカンだ。おれはもうきえる。さいごにおまえにもういちどあえてよかったよ、まや」

「…………っ、」


 ポロリとママの涙が光った。

 おじさんがそんなママの身体を力強く抱きしめる。


「ずっといいたかったんだ。ずるいかもしれないけど」

「……うん」


 ふと、おじさんの身につけていた黒いマントが消えていった。

 その中身は──なんとも儚げな笑顔を浮かべた──。


「──愛してるよ茉也。これからも、ずっと。闇の中を彷徨うことになっても、俺はお前という光を魂に刻もう」


 そして瞬きした次の瞬間、彼は灰になって消える。

 サラサラと風に溶けていった。

 ママの涙は止まらない。

 私はママの手を握った。


「……あのおじさんは、ママにとってなんなの?」

「昔の……遠い昔の、私のお父さんよ」

「? でもママにはおじいちゃんがいるよね?」

「子供は知らなくていい事もあるのよエマ」


 私は頬を膨らませる。

 ママはそんな私の頬を悪戯っぽくつついた。

 そして──


「エマぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!」


 聞き慣れた叫びに思わず「うげっ」という声が出た。

 気付けば背後から抱き上げられ、ぐるんぐるんと振り回されていた。

 私はうんざりとしながら、私を振り回す張本人に声を上げる。


「ちょっとパパ! 気持ち悪くなるからやめてくれる!!?」

「うぅ、エマ、エマ!! お前が誘拐されたときいて、遠征なんか放って帰ってきたぞ!!? 余がどんな想いでお前を憂いていたか分かるか!? しかもその後すぐにエレナまでいなくなったとフォルトゥナは言うし!! それで、余の愛しい愛しいエマを攫った馬鹿者はどこにおるのだ!!? 余がコテンパンに成敗してやろう!」

「……もう消えたよノーム。もう彼は現れないの」


 ママが寂しげにそう言った。

 パパはちょっと不思議そうだったけれど……私を片手で抱きなおすとママの腰に手を伸ばす。


「よく分からないが……もういいんだな?」

「うん」

「そうか」


 ちゅ、とリップ音が聞こえる。

 パパがママにキスをしたようだ。

 子供の前でよくやるよこの両親。

 

「帰ろうか、エレナ。余らの城に。余も疲れたぞ……」

「うん、そうね。エマも眠いでしょう。今日は三人で眠りましょうか」

「えー、パパと一緒のベッドはちょっと……」

「!!!?」


 こう言うとパパの顔はきまって面白いものになる。

 声にならない叫びをあげながら、涙目で私に何かを訴えようとする可愛いパパに私は内心ほくそ笑んだ。


 まぁ、結局あのおじさんの正体は分からなかったけれど──。

 ママにはきっと私にもパパにも分からない秘密があるんだってことは分かった。

 私は賢いからそれについて尋ねることはきっとこの先はない。

 

 それに──今こうしてパパの隣で幸せそうにしているママがいるなら、それで十分なんだと思った。



(三章に続く)


***

前日譚あとひとつあります。

明日更新。

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