【三章前日譚】エマと黒い男①
口を押さえて、息を潜める。
〝鬼〟の気配がした。
すぐ傍に、いる。
足音が近づいてくる。
逃げ場はない。
──もう、これは……。
「──みつけたぞ、エマ!」
鬼に捕まった少女──エマはその柔らかい頬を膨らませた。
「もう、リュカが鬼だとつまんない! かくれんぼなんてもうやめた!」
「あ、おい! ずるいぞエマ!」
「ふーんだ! エルピス!」
エマが叫ぶと、名を呼ばれたエマの相棒である子ドラゴンのエルピスが草むらから飛びだしてくる。
湖のような透明感のある皮膚を持つエルピスがエマの前にしゃがむと、エマは元気よくその背に乗った。
そして飛び立つ。
「エルピス、おじいちゃん達のところまでGO!」
「きゅうっ!」
エマとかくれんぼをしていた彼女の幼馴染であるリュカはそんなエマの後ろ姿にため息を吐いた。
エルピスとエマが再び地に降りた先は木々が避けて出来た森の隙間の広場。
その中心には切り株のテーブルでのんびりお茶をしている妖精と──この森に囲まれている魔物の国「テネブリス」の王がいる。
魔物の国「テネブリス」の王は人間達から〝魔王〟と呼ばれ恐れられている巨大な魔人である。
──否、だったというのが正しいのかもしれない。
彼の魔王としての評判は十一年前、彼の娘でありエマの母親であるエレナが隣国のシュトラール王国の妃になってからは少しずつ落ち着いてきたのだ。
おかげでテネブリスの住民も魔物だからと襲われることも減っていったし、むしろ人間の国との国交も夢ではないと確信できるほど事は進んでいる。
そんな魔王を見て、エマは満開の笑みを浮かべた。
小さな身体を思いきり動かして、彼の足に抱きつく。
「──おじいちゃん!!!!」
「おぉ、我が愛しのエマよ。どうした」
魔王という名には似つかわしくない優しい手がエマの頭を撫でる。
そしてそのままエマの身体を抱きあげ、己の膝に乗せた。
「リュカとのかくれんぼはすぐ終わっちゃうからこっちに来ちゃった」
「ちぇっ、なんだよ。かくれんぼしたいって言ったのはエマの方だろ」
後から追いついたリュカが広場に着地し、背中に生やした翼を畳む。
彼は竜人と人間のハーフであり、翼を生やしたり竜の姿に変化することが可能なのである。
「はは、拗ねるなリュカ。今日はオリアス達が所用でエマと遊んでやれん故、遊び相手はお前しかおらんのだ。それにお前だってエマのことは好きであろう?」
この禁断の森の主である妖精──ドリアードがリュカをたしなめる。
ドリアードの言葉にリュカの顔が真っ赤に変色した。
「なっ!? お、俺は、そ、そそそんなんじゃ、ねぇし!」
「分かりやすいやつめ」
「エマ、ほれ、妾特製のドライフルーツクッキーをやろう」
「わ、ありがとうニクシーさん!」
魔王に愛でられ、ニクシーに甘やかされるエマを見て、リュカは「大体皆こいつを甘やかしすぎなんだ」と小言を洩らす。
しかしその時だ。
テネブリスの中心に聳え立っている魔王城から誰かが飛んでくる。
それはテネブリス王右補佐官であるアムドゥキアス。
アムドゥキアスがこちらにやってきていることに気づいたエマの表情が一変した。
魔王の膝から飛び降り、もじもじと少女らしい仕草をする。
「魔王様! エレナ様から伝言バードが! もうすぐ暗くなるからシュトラールに帰らせるようにと」
「もうそんな時間か……」
「だってよ、エマ。ほら、俺の背中に乗っけてやるからさっさと……」
「アムー!!!!」
エマが堪らずリュカを押しのけ、アムドゥキアスの足にしがみつく。
アムドゥキアスは苦笑して、そんなエマを優しく己から離した。
「こらこらエマ様、そんなにしがみついては危ないですよ」
「えへへ、ごめんなさい。でもまだ帰りたくないの。今夜はアムと一緒にご飯を食べたいの!」
瞳を潤わせ、アムドゥキアスを見上げるエマ。
この仕草がエマを溺愛している魔王相手であれば一撃でノックダウンだっただろう。
しかしアムドゥキアスは強敵だ。
困ったようにエマの手を握る。
「エマ様、私を困らせないでください。一人前のレディであるなら、リュカと共にお帰りください」
「うっ」
エマは悲しそうに顔を歪めたが、アムドゥキアスの困り顔には弱いらしい。
仕方なくリュカの隣に立った。
「アムがそう言うなら帰る。私は一人前のレディだもん!」
「はい、それでこそエマ様です。ではリュカ、エマ様を頼むぞ。あとお前の父親にいい加減こっちにも顔を出せと言っておいてくれ」
「……分かったよ、叔父さん」
不機嫌なリュカが腰を曲げ、竜の姿に変化する。
そしてエマがそんなリュカの背中に乗った。
「じゃあね、ドリアードさん、ニクシーさん、エルピス、そしてアム! また遊びに来るね!」
「あぁ、明日も来るがいい我が孫よ」
こうしてエマとリュカは禁断の森を去った。
帰り道、リュカの首にしがみつきながら、エマは熱の籠もった吐息をこぼす。
その表情はまさに乙女だ。
「はぁ、今日もアムかっこよかった……。早く大人になってアムのお嫁さんになりたいな」
「お前みたいなやんちゃ女、誰も欲しくねーよ」
「はぁ!? ちょっとそれどういうこと!?」
「そのままの意味だばーか! お前じゃアム叔父さんと釣り合わないっての!」
リュカの売り文句をきっかけに、いつものように二人の口喧嘩が始まる。
その後、拗ねてすっかり無口になったエマを背に、リュカはポツリと独り言を洩らした。
「……俺以外のやつのとこに嫁がせるわけねーだろ、馬鹿」
***
まだまだ繁忙期の為、更新不定期です。
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