『姉さん』


「ちょっと!! 離してよ!!!」


 ──魔王が暴走し、「黒い嵐」がシュトラール連合軍に襲い掛かっている数分前。

 ルシファーに殺された──、エレナは彼に腕を掴まれていた。

 ベルフェゴール達が一斉に動き始めたと同時にエレナの視界は反転し、いつの間にか数キロ距離の離れた荒野にいたのだ。

 シャドーがエレナの影から現れ、エレナを掴むルシファーの腕を握りしめた。


「光から手を離せ、怪物」

「怪物って酷いなぁ。仮にも僕は君の親みたいなもんだよ? 分かった、分かったから腕を握り潰さないで。この身体は一応人間なんだから」


 ルシファーはやれやれとエレナから離れる。

 丁度その時だった。

 うっすらと見える魔王城の傍に黒い嵐のような得体のしれないものが現れた。

 エレナは目を細め、それをまじまじと見たが──その正体を察することは出来た。


「あれってまさか……パパ……?」

「あ、あれが君の父親だって分かっちゃうんだ。流石だねエレナちゃん」

「そういうのはいいから! パパに一体何をしたの!?」

「……僕が分身魔法が得意なのは知ってるだろ? 君をここに移動させたのと同時にあの場で僕の分身が君の分身を殺したをしたんだよ」

「!」


 エレナは唇を震わせた。

 

「どうして、そんなことを……!」

「ごめんごめん。でも君を利用しないと本当の魔王を目覚めさせることは出来ないんだ。悪の根源セロ・ディアヴォロスである僕は人間の七つの罪の側面を背負っていた。アスモデウスは色欲、マモンは強欲、レヴィアタンは嫉妬、ベルフェゴールは怠惰、ベルゼブブは暴食……僕の分身はその側面を分けたものなんだよ。そして半身である彼が担っているのは“憤怒”。ミカエルの血を彼に消してもらうにはその憤怒を目覚めさせる必要があったんだ」

「憤怒? ……そんなの、本当のパパじゃない。本当の、本当のパパは……!!」

「いいやあれが彼の真の姿なんだよ!! 見ろ! 人間を次々に喰らい、実に輝いているじゃないか! ……あぁ、綺麗だ。やっぱり僕はああでないと」


 恍惚とするルシファーに、エレナは歯を食いしばる。

 するとここで、エレナの目の前に人影が現れた。

 それは──ずっとエレナが焦がれていた愛しい弟──ルーメンである。

 エレナの両目が見開かれ、目玉が落ちそうになった。


「──ルーメン!!」

「エレナ、迎えに来たよ」

 

 そう言って優しく微笑むルーメンはレヴィアタンではなく、確かに“ルーメン”だった。

 エレナはルシファーの手を払い、ルーメンを抱きしめる(体格差故、抱きしめるというよりは抱き付くといった方が正しいが)。


「ルーメン! あぁ、ルーメン……」

「エレナ。あぁ、君をまたこうして抱きしめることが出来るなんて」


 ルーメンは愛しそうにエレナの身体を包む。

 ルシファーはそんなルーメンとエレナをつまらなさそうに見守った。


「じゃあ、約束通りだ。後は君の好きにするといいよレヴィアタン。僕はもう君に興味はない」

「! どういうこと?」

「言っただろうエレナ。君には先約がいるってね。レヴィアタンとは六年前に約束していたんだ。僕はテネブリスを滅ぼすつもりだけれど、エレナだけには手を出さない。その代わりレヴィアタンには僕の下でしばらく働いてほしいってね。彼の千里眼、凄く便利だし。……そして約束通り、レヴィアタンはこの六年間色々と僕に尽くしてくれた。だから僕もそれに応えないと、ねぇ?」

「!」

が僕からレヴィアタンへのご褒美ってわけ。晴れて君とレヴィアタンは自由だ。世界は広い。どこにでもいくといいよ。二人きり、でね」

「はぁ? 何言っているの? あんな姿になったパパを放っておけるわけないじゃない!」

「君はそうでも、レヴィアタンはそうでもなさそうって話。じゃあ僕はもう行くよ。あの化け物がどこまで大きくなるか百年前から楽しみにしてたんだからさ。その為に人間えさも集めたんだし。……じゃあね、エレナ。僕の可愛い娘。愛してるよ」


 煙のように消えていくルシファーの軽口に悪態をつきながら、エレナはルーメンに縋る。


「ルーメン! ルーメンはあんな姿になってしまったパパを放っておかないよね!? ね!? 二人でパパを助けに行こうよ!」

「…………」


 ルーメンは何も言わない。

 エレナはもう必死だった。

 目の前の彼が本当にルーメンなのだと信じたかった。


「エレナ」

「!」

「……僕の居場所は、エレナの隣だけでいい。テネブリスも父さんもどうでもいいんだ。このまま二人でどこか人気のない静かなところで暮らそう。僕がエレナを幸せにしてあげるから。だから──」


 エレナの頬を両手で包み、ルーメンは少しだけ不安を含む笑みを浮かべる。

 エレナはそんなルーメンにどう答えればいいのか言葉が出なかった。

 しばらく、ルーメンの言葉を咀嚼した後──拳を握りしめ、首を振った。


「ルーメン、それは嘘だよ」

「…………」

「テネブリスも、パパもどうでもいいなんて嘘だ。どうでもいいと貴方が思っているはずがないよ」

「……そうかな」

「そうだよ。オリアスも、アイムも、シトリも貴方を待ってるんだよ。ずっと、六年前から。二人で暮らすのもいいけれどさ、私はまた一緒に暮らしたい。……それが、私の願いだよ。ルーメン……」

「…………、」


 二人はしばらく見つめ合った。

 お互い譲れないとばかりに強い視線を送ったが、根負けしたのはルーメンだ。

 好青年らしく、声を上げて笑った。


「ははっ、やっぱりエレナには敵わないな」

「そりゃそうだよ。だって私、お姉ちゃんだもん」

「うん、そうだね。……はず、ないよね……」


 ルーメンはため息を吐いて、俯く。

 しかしそれも数秒の話で、すぐに凛々しい顔に戻った。


「まぁ、ならそう言うと分かっていたんだけど」

「! ルーメン、今……」

「今は呼び方とかどうでもいいだろう。僕達の今の目的は父さんを救った上でルシファーを弱体化させる! そうだろ? 姉さん?」

「う、うん!! でも、そんなに簡単にはいかないよね? そもそもあんな風になってしまったパパに近づくわけにも……」


 暴走している魔王を遠目に、エレナは眉を下げる。

 ルーメンはそんなエレナの肩に手を置いた。


「──大丈夫。姉さんは僕の言う通りにしてくれればいいから」



***

彼なりのプロポーズはエレナには届かなかったって話です。

彼もずっと前からそんなことは分かってたんですけど、一度だけ賭けてみたかったんでしょうね。

まおパパ第二章あと5話もないと思いますので、もう少しお付き合いください。

なんとか五月中には終わらせることができるようです。

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