さらば友よ


「アスモデウス、大人しくしてくれ!」


 二匹のドラゴンが激しく絡み合う。

 暴れるアスモデウスにアムドゥキアスは手を焼いていた。

 これではサラがアスモデウスにミカエルの血を飲ませることは出来ないままである。

 サラは少し離れたところでオロオロしながら、二匹を見守っている。

 しかしその時──。


「おやおや、これは面白い」


 サラの耳元で全身を逆なでするような、声。

 サラは反射的に振り向いた。

 そこにいたのは、マモンだ。

 サラが動く前に、身体がマモンの影によって拘束される。


「うわっ、なに、これ……!」

「アスモデウス。兄弟喧嘩はそこまでです。我々にはまだ使命があるのですから、戻りますよ」


 マモンの言葉にアスモデウスはアムドゥキアスの首に噛みつき、そのまま身体を振り回し、投げた。

 そして竜の姿のまま、マモンへ近寄っていく。

 マモンは捕らえているサラを一瞥すると、鼻で笑った。


「それにしても貴女……どこぞの小娘かと思えば、アスモデウスと暮らしていた者じゃあありませんか。馬鹿な娘ですね。悪魔に恋慕を抱くなんて」

「だ、黙れ!! アスモデウスは悪魔なんかじゃない! アンタらが悪魔にさせたんだろ! このゲス野郎!!」


 サラがマモンを睨みつける。

 マモンはそんなサラにピクリと片眉がつり上がった。


「気に喰わない娘だ」


 瞬間、サラの身体が吹き飛んだ。

 マモンがサラの頬を殴ったのだ。

 鮮血が飛ぶ。

 それを見て、アスモデウスは妙にスローモーションで、サラの身体が吹き飛ぶ様子を見ていた。

 そのか弱い身体が、地面に投げ出される。

 いつも無邪気に歯を見せて笑っていた彼女の顔が、大きく腫れていた。

 鼻と口から、血が流れ──。


「────、」


 アスモデウスは、滑稽だと笑うはずだった。

 否、笑ったつもりだった。

 しかしは違ったようだ。


──気付けばその太い首を振り回して、マモンの腕を食いちぎっていた。


「──なっ!?」


 マモンの苦痛の叫びが響く。

 サラが頬を押さえ、唖然としながら半身を起こした。


「が、がああっ、腕が、腕があぁああっ、痛い、イタイ……っ、に、ゲ、ロ、」


 アスモデウスはマモンの腕を吐き出し、人間の姿へと戻る。

 そして膝を地面につけ、頭を抱えた。

 どうやら苦しんでいるようだった。


「アス……っ!!」


 サラが駆け寄る。

 しかしアスモデウスはサラの手を払った。


「馬鹿、ネ……なに、してんノよ……っ!! アタシ、かラ、離れ、ロ……っ!」

「嫌だ! 私はもう、絶対アンタから離れない!」

「ああもう! ばか、おん、ナ……っ! もう、アタシ、は、アタ、シじゃ、ナくなるって、の二……っ!」


 アスモデウスが歯を食いしばり、内側で暴れる悪魔の声に必死に耐える。

 サラは唇を結んだ。

 そしてアスモデウスの両頬を掴み、勢いよく持ち上げた!


「私が、そんなこと、させないっての!!」

「────、」


 サラは小瓶に入っていた血を一口飲み──アスモデウスの唇を奪った。


 そして──。


「んっ」


 アスモデウスは両目をこれでもかと開かせる。

 サラは血をアスモデウスの口内へと押し流し、ゆっくりと唇を離した。

 その頬は、真っ赤だ。

 それはマモンに殴られ、腫れあがったせいだけではない。

 アスモデウスはそんなサラに見惚れつつ、自分の中にいるナニカの声が小さくなっていくのを感じた。

 それは、悔しそうな断末魔を最後にぱったりと消えた。


「アンタ、今、私に何を……」

「それは大天使ミカエル様の血。それを飲めばアスモデウスの中にいる悪魔は浄化されるはずだってミカエル様が言っていたの!」


 突然大天使ミカエルの話を出されても、はいそうですかと理解できるはずもない。

 しかしアスモデウスは分からなくてもいいかと思った。

 

──それより、今は……目の前のこの馬鹿女を……。


「馬鹿ね」


 アスモデウスは腫れあがったサラの頬を撫でた。


「女が顔を傷つけられて、何してんのよ……」

「うるさい! これは勲章だ! アンタを、私の好きな人を、救うためについた傷なんだから!」

「…………」


 アスモデウスはサラの言葉にポカンとすると、眉を下げ、微笑んだ。

 するとここでわざとらしい咳払いが聞こえる。

 アムドゥキアスが居心地悪そうに二人の傍にいたのだ。


「俺の立場がないじゃないか。……色々と」

「アム……」

「ふふ。まぁとりあえず、お前が無事でよかった」


 アムドゥキアスがアスモデウスを思い切り抱きしめる。

 アスモデウスは照れくさそうに悪態をつき、アムドゥキアスから離れた。

 

「そういえば、マモンは──」


 アムドゥキアスがそっとマモンの方を見る。

 マモンは虫の息だったが、まだ生きていた。

 アスモデウスがマモンを睨みつけ、ナイフを取り出す。

 しかしアムドゥキアスがそれを止めた。


「……はぁ、……はぁ、……うっ、」

、大丈夫か?」

「!……はぁ、はは、待ってましたよ。この時の為に、ずっと何年も、……」

「!」


 困ったように微笑むマモンに、アスモデウスも気づいた。

 今、目の前にいる彼は──だと。

 

「迂闊、でした……深緑色の、前髪で片目を隠した青年に、突然、ナニカを、体内に埋め込まれて……」

「! それ、多分ルシファーっていう悪魔の親玉だ。エレナは今、そいつを止めに向かってるんだ!」

「なんだと? ルシファーだって?」


 アスモデウスの顔が、今にも舌打ちが聞こえてきそうなほどに顔を歪ませる。


「記憶はうっすらだけど、アタシもその男に会ったことがある。アタシとアムがまだ奴隷だった頃にね。おそらくその時、アタシも悪魔を植え付けられた」

「なに?」


 マモンは苦痛に耐えながらも、必死にアムドゥキアスに手を伸ばした。

 アムドゥキアスはそんなマモンを受け止める。


「幸運にも、私の中にいるこの悪魔は、“強欲”の化身……自分が可愛くてたまらない性格のようです。痛みに怯えて今だけ意識を取り戻すことが出来ましたが、それもいつまでもつか……アムドゥキアス、気の置けない友人である君に、お願いがあります」

「……なんだ」

「この悪魔は、私が、連れていきます。だから私を──殺してください」


 アムドゥキアスが息を呑んだ。

 マモンはこの場にそぐわない笑みのままだ。

 サラが堪らず小瓶を取り出す。


「何言っているんだ! ミカエル様の血はまだある! マモンさんの中の悪魔も、浄化できる! 死ぬ必要なんてない!」

「ははは、本当に、優しい女性ですね。アスモデウスは見る目がある……」


 マモンの瞳から、一筋の光が流れた。


「ですが、殺してください。もしこのまま生き延びても、私は、……っ。悪魔越しで見ていました。私は、数々の魔族や、人間を、殺してしまった……直接的にも、間接的にも……っ!」

「!」

「瞼を閉じれば、彼らの叫びが、恨みが、悲しみが、毎日毎時間毎分私を襲ってくるのでしょう……私の意思ではないが、確かに私がやったのです。そんな未来に、私が耐えられない……だから、殺してください、アムドゥキアス。もう、私は──安らかに、眠りたい」


 サラが両手で口を抑えた。

 マモンが大きく息を吐き、掠れた笑い声を溢す。


「幸せでした。魔王様と、リリスと、貴方達二人と、皆と、過ごす日々は……。出来る事なら、あの日々に、戻りたい。それに……エレナ様とも直接お話したかったものです。悪魔越しで彼女を見守っていましたが、彼女は私のいい生徒になってくれたことでしょう。あぁ、悔やまれるなぁ……」


 マモンの肩から血の水たまりが広がっていく。

 呼吸がどんどん薄いものになっている。


「アムドゥキアス、アスモデウス。貴方達と出会い、過ごした日々を死んでも忘れません。有難う。そして魔王様に伝言を。貴方にお仕え出来たことは、私のたった一つの誇りだった、と」

「承った。安心してくれ。テネブリス国王右補佐官として、確実に魔王様に届けよう」

「……はは、心強い。ですが、気を付けてください。ルシファーの目的は、魔王様に、あるようです……あまり、覚えていないのですが、それだけは……」

「! ……分かった。魔王様はなんとかする。テネブリスは絶対に滅びたりしない。約束するさ。お前が未練に思うようなことは何もない」

「有難うございます。……では、よろしく、お願いします。苦痛と罪悪感に耐えるのも、そろそろ疲れました」

「あぁ、炎魔法で一瞬で消してやる」

「貴方の炎魔法は見惚れてしまうほど綺麗なものですからね。光栄です、アムドゥキアス」


 アムドゥキアスは唇を噛みしめた。

 アスモデウスがアムドゥキアスから距離をとり、サラの両目を隠す。


 そして──。


「──テネブリスの行く先に、光あらんことを」


 炎が、暴れる。


──彼の最期の言葉をしっかりと受け止めたアムドゥキアスは拳を握りしめ、「当たり前だ」と、震える声で投げ返した。



***


久々の更新!

まだまだ繁忙期の為、更新不定期ですすみません。

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