愛を知る

 エレナは、サラマンダーに押し倒された。

 ポタリポタリとサラマンダーの涙がエレナの頬に滴り落ちていく。


「…………!!」

「……れを、……くれ」

「サラマンダー?」

「俺を、愛してくれ……」

「!!」


 エレナは言葉を失う。

 サラマンダーの顔は必死だった。

 呼吸も浅く、頬は上気し、涙は止む気配すらない。


「エレナお前、前に死にかけのドラゴンを救っていたよな……その優しさを、死にぞこないの哀れな俺にも向けてくれよ……お前だけなんだ、お前しかいらない……」

「……っ、」

「愛してるんだ。こんな感情を、先の短い俺に思い知らせたお前を俺は恨むぞ。しかもお前は俺を惑わせたというのに、兄上の女だという。あいつは既になにもかも俺の欲しいもの全て持っているじゃないか! 心優しい母も、愛も、友も、未来も、何もかも……何もかもだ!!」


 唾が散る。

 しかしエレナはただただ真剣にサラマンダーの言葉を聞いていた。


「だからエレナ、お前は……お前だけは、俺のものになってくれ。それだけで俺はシアワセになれるんだ。これからも生きていけるんだ! お前が俺を拒むなら、俺は今すぐこの身を焼き尽くして死のう。愛してる。お前の心も、身体も、全て俺に委ねてくれ……」


 サラマンダーの右手がエレナの腹を這う。

 そしてその手が胸に触れようとした時──エレナはその手を握った。


「サラマンダー」

「っ、」


 宥めるような、優しい声だった。


「私はノームが好き。だからその気持ちにも、この手にも、応えられないよ。サラマンダー」

「……っ、何故だ、なんでだよ……俺が、俺が、蒸留器で育ったからか!?」

「違うよ。関係ない」

「じゃあ、何故だ……確かに俺は、兄上より、勝るものは、なくて……俺は……ただ……生きたくて……同じホムンクルス達が埋められているのを見て──あぁ、俺は、安堵してしまっていたんだ。はは、酷いヤツだな俺は……」

「…………」

「っ、俺は!」


 あの時はただただ生きたかった。けど。

 今は……ただ、お前に愛されたい。

 愛するものに愛されて、一つになって、生きているんだと、あの日願った“生きたい”という願いは間違っていなかったんだと、これが幸せなんだと感じたい。

 

 そう舌足らずに、エレナに伝えるサラマンダー。

 エレナはゆっくり、サラマンダーの目元を拭った。


「ごめんね、サラマンダー」

「う……」

「……本当に。……本、当に……っ、」

「!」


 次第にエレナの瞳までも潤っていく。

 そしてポロポロと雫が生み出されていった。

 そんなエレナにサラマンダーは見惚れてしまう。


「ごめんね、私がもっと、言葉の遣い方が上手かったら、経験が豊富だったら、貴方を楽にしてあげられたかもしれないのに……今、貴方に投げるべき言葉が見つからないよ……!」

「エレ、ナ……」

「サラマンダーの気持ちには応えられないけれど、でも、それでも、ごめんね、貴方には

「──!!!」


 エレナは半身を起こし、腕で己の顔を隠す。

 肩を振るわせ、嗚咽を漏らした。

 サラマンダーは、焦げた胸を抑える。


──あぁ、何故だろう。

──心が洗われていくような気分だ。

──目の前のこいつは手に入らないままだというのに、酷く満たされる。


 ホムンクルスはゆっくり、顔を隠すエレナの腕をどかし、その頬を撫でる。

 彼女の潤った漆黒の瞳がサラマンダーを映していた。

 何かがこぼれていきそうになって、唇を噛みしめる。


──答えはなんとも単純なことだったのかもしれない。

──俺はきっと求めていただけに過ぎないのだ。

──こんな人間もどきの為に泣いてくれる誰かを。

──あの時、生きることを願ってよかったんだと言ってくれる誰かを。

──生きたいのに、死にたくなって。

──そんな日々を、そんな俺を、変えてくれるような誰かを──。


「はは、随分と、残酷なことを言うじゃないかエレナ。お前が手に入らない絶望をこれからも味わえと? 生きるってことは、そういうことだろう」

「……うん。自分でもそう思うよ。でも生きてよサラマンダー。例えそれが残酷なことだとしても、私の我儘だとしても、私は貴方にそれしか言えない」

「はっ……俺に、生きて欲しいなんて……こんな、人間もどきの俺に……死にぞこないの、俺に……やっぱりお前は、変わってるよ……変な女だよ」

「……っ、」

「エレナ、お前は──酷いなぁ」


 サラマンダーはエレナの肩に顔を押しつける。

 エレナは鼻水を啜りながら、「ごめん」とだけ呟いた。


 するとそこで、サラマンダーの身体がピクリと動く。

 そして──サラマンダーはゆっくり、エレナの顔を覗き込み──。


「ぶっ」


 鼻水と涙で散らかっている愛しい少女の顔に思わず笑ってしまった。

 先程の憎悪と、嫉妬が嘘のように静まっていた。

 彼女に抱いたサラマンダーの想いは、彼が思っていた以上にだったのだ。


「……たとえ俺のものにならないとしても、守ってやりたいと思える日が来るなんてな」

「え?」

「いいや。独り言だ。おい、エレナに憑いてる悪魔」


 サラマンダーの言葉にシャドーがぬっと現れる。

 サラマンダーは口角を上げた。


。すぐに、エレナを連れて行け。今の俺は概念のようなもので、実体ではない。故にここから出られない」

「え? サラマンダー?」

「生まれてきてくれてありがとう。そのお前の言葉には、だいぶ救われたぞ。……礼を言うのは俺の方だ、エレナ」

「サラマンダー? さっきから声が小さくて聞こえな──ちょっと!? シャドーさん!? どこ行くの!? サラマンダーがまだ……!!」


 シャドーが素速くエレナを抱え、走り出す。

 サラマンダーは見たこともないような笑顔をエレナに向けていた。

 エレナは訳が分からず、混乱する。


 そして、その瞬間だった。

 エレナとシャドーがサラマンダーの体内から飛びだした時──。


「────!!」


 エレナは言葉を失った。


 何故なら、彼女の目の前で。


──炎のトカゲ、サラマンダーの身体が、真っ二つに切断されていたのだから──。

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