エレナの悪魔


 エレナが大広場へ辿り着いたときには、既にそこは阿鼻叫喚であった。

 ノームの姿をしたベルフェゴールが魔法で人々を宙に浮かせ、それはそれは楽しそうに弄んでいた。

 血を流して倒れている人々もちらほら見える。

 エレナは身体が熱くなっていくのを感じた。

 エレナを追いかけてきたサラマンダーも言葉を失っている。


「……どい、」

「! エレナ?」

「どう、して……」


 ──どうして、こんな酷い事をするの。

 ──ノームがシュトラールの為にどれだけ努力してきたと思っているの。

 ──彼が今まで築いてきたものを、あの悪魔は今あっさりと、楽しそうに踏み潰しているんだ!!

 ──許せない。


「酷いもんだね」


 気づけばサラマンダーの隣にシルフもいた。

 

「エレナちゃん、ノーム様は僕が止める。君とサラマンダー王子は国民達の避難を……」

「シルフさん、やめて」


 エレナの言葉にシルフがキョトンとする。

 サラマンダーはそこでエレナの影が不自然に歪み始めていることに気づき、目を見開く。


「エレナ、落ち着け!」

「大丈夫ですサラマンダー王子。私は今、怒っているけど冷静です」


 確かに今のエレナからは怒りを感じられるが、身体は驚くほど微動だにしていなかった。

 シルフがそんなエレナに期待を込めて瞳を輝かせる。


 ──ベルフェゴールは言っていた。私の中に、ルシファー並の悪魔がいると。

 ──本当に……私の中にそんなものがいるのなら。

 ──お願い、悪魔でもなんでもいいから……私に、力を貸して!


 エレナがそう願った時、エレナの影が荒ぶり──そこから闇を纏う骸骨頭の怪物が現れた。


 魔王を連想させるその容姿に、周りから悲鳴が上がる。

 悪魔とエレナの視線が初めて交差した。

 しかしエレナは彼を見ても、驚きはしなかった。それどころか、どこか懐かしそうに微笑んだのだ。


「なんとなくそんな気はしたけど。やっぱりパパにそっくりだったんだね」

「…………」

「あなたの存在に気づいた時、怖がってごめんなさい。あなたはずっと私を見守ってくれたんだよね。……お願い、私の中にいる悪魔さん」


 エレナは悔しくて堪らなくなって、涙が頬を伝った。

 

「……ノームを、助けて……」


 嗚咽混じりの彼女の願い聞きながら、悪魔は彼女の涙をそっと指で拭う。


「──それが、光の願いだな」


 エレナが何度も頷く。

 それを確認した悪魔は──エレナの影から足を引き抜き、確かに地を踏んだ。


「我、光の願うままに。光よ。我がヤツの動きを止める。その際、彼に声をかけ続けろ。我の力だけではあの身体に潜む悪魔を強引に追い出すことは不可能だ。ノームの魂自身にあの悪魔へ抵抗してもらわなければ。今、ノームの魂は強引に眠らされている状態なのだ」

「わ、分かった!」


 突風にエレナの金髪が揺れる。

 エレナの中にいた悪魔が凄い勢いでベルフェゴールに向かっていったのだ。

 

「シルフさん、サラマンダー王子! お願いします、国民達の避難を! それと同時にあれは本当のノームじゃないんだと、誤解を解いてください!」

「!」

「あいよ。この国の人間なんてどうでもいいし気持ち悪いだけなんだけど、エレナちゃんのお願いならなんでも聞いちゃうよね!」


 エレナがベルフェゴールの方へ走って行く。

 サラマンダーはそんなエレナの後ろ姿に険しい顔をしたが、すぐに彼女の言う通りに動いた。

 その頃、ベルフェゴールに突進した悪魔はベルフェゴールの首を掴んでいた。

 突然の邪魔にベルフェゴールは驚愕している。


「な!? なんだてめぇ!!」

「その人間は光の大切なものだ。今すぐに出て行け」

「! ああそうか、てめぇが例の……!! はは、マジで悪魔のくせに人間に従ってんのか!? 悪魔の風上にも置けねぇやつめ!!」

「勝手に罵るといい。我は我だ」

「はははっ、いいねぇ! 気に入ったよ」


 ベルフェゴール自身の能力か、ノームの頭部と臀部に狼の耳と尾が生えた。

 そして強引に強化されたノームの身体が軋み、悪魔の喉を噛み千切らんと牙をむく。

 そんな二人の衝突を眺めながら、エレナは祈る様に両手の指を絡ませていた。

 エレナの傍らですっかり腰を抜かした国民達が人間には到底たどり着けない戦いに言葉を失っている。


「ひぃいい! ノーム様は悪魔だったんだ!! 次期国王が勇者だと誇りに思っていたのに!」

「っ! 違う!」


 エレナはそう叫んだ男に迫った。


「な、なんだアンタ!?」

「あれはノーム王子じゃない! ノームは悪魔なんかじゃなくて、悪魔に操られているの……! 本当の彼はちゃんとこの国を愛している! ……お願いだから、今までのノーム・バレンティアを信じてあげてください!!」

「っ!?」


 エレナのほんの少し赤みのついた潤った瞳に男は言葉を失った。

 周りにいた国民達も顔を見合わせ、戸惑う。

 するとそこで、鈍い音が広場に響いた。ベルフェゴールがエレナの悪魔に押し倒されていたのだ。

 エレナは悪魔の言っていた時が今なのだと悟った。


「──あ、おい!? アンタ!? あぶねぇぞ!」


 男の声を無視して、エレナはノームへと駆けていく。

 悪魔が肩を上下させるエレナを見上げた。


「おい! 離せてめぇ! 何をする気だ!!」

「……光よ。準備はいいな。ノームの魂を覚醒させる為に声を掛け続けてくれ。何度でもだ」

「分かった、任せて。ベルフェゴールは頼みます」


 悪魔は頷き、闇として空気に溶け込むとノームの口内に入っていった。

 途端にベルフェゴールが呻きだし、ノームの身体が大きく痙攣する。

 エレナはそんなノームの半身を抱き、必死に愛しい彼へ言葉を投げかけていった。

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