風の勇者シルフ
バレンタインから数日。
私はヘリオス王の説得がなかなか上手くいかないまま、歯痒い日々を送っていた。
でもウィンディーネ女王は私がお願いしたらテネブリスへの進軍には一切関与しないと約束してくれたのでそこは進歩したのだろう。
……「その代わりに私の妃となれ」って迫られたときは本当に困ったけど。
思わずため息が溢れる。
「きゅう?」
見た目に反して可愛い鳴き声を吐くグリフォンのレガン。
あぁ、モフモフだ……そんなレガンの翼に身体を埋めながら、私はノームとシュトラール城の兵士達の戦闘の稽古を見守っていた。
ノーム、「剣は苦手だ」なんて言いながら相当な実力があるのでは。少なくとも稽古では負けたところを見たことがない。
──するとここで、だ。
ノームの相手をするために並んでいた兵士達が突風によって吹き飛ばされる。
……って人間を吹き飛ばす突風ってなに!?
「エレナ様! ご無事ですか!?」
「うん。レガンが守ってくれましたから。ありがとうイゾウさん。それにしても今の風は……」
「おそらくあれはシルフ様の仕業でしょう」
シルフ? シルフって確か……風の勇者!?
ノームの顔が強張っている。
「──シルフ、」
ノームの正面に、深緑色の髪を束ねた青年が現れた。
青年の右目は前髪によって覆われている。しかしその顔立ちの良さは隠せていなかった。
「やぁ。ノーム王子、久しぶりだね。相変わらず暑苦しく稽古ご苦労」
飄々とした佇まい。
なんだか私は胸がゾワリと冷えた気がした。
……どうしたのかな、私。ちょっとあの人のこと、苦手なのかもしれない。
「お腹すいちゃってさ。ヘリオス王は元気に癇癪起こしてる?」
「……お前、相変わらずだな」
ノームはやれやれと呆れ顔だ。
シルフさんは何かを探すように周囲を見回し──私に目を付けた。
私はなんとなく、後ずさる。
「あ、もしかしてあの子が噂の魔王の娘? んでもってノーム王子の婚約者だっけー? 紹介してくれないの?」
「……。……エレナ、おいで」
ノームが私に手招きをする。
行きたくない。あの人から、逃げた方がいい。近寄らない方がいい。
理解は出来ていないが、本能がそう叫んでいた。
でも、この状況で逃げたら、あの人にもノームにも失礼だし……。
私は恐る恐るノームの方へ行った。
シルフさんの近くに行くと寒気はさらに酷くなって、思わずノームの背中に隠れる。
「エレナ?」
「ありゃりゃ、嫌われちゃったかな?」
「す、すいません……そういうわけではないのですが……」
ノームは私の気持ちを察してくれたのか、そのままの位置にいることを許してくれた。
「シルフ。こいつは知っての通り、余の婚約者エレナだ。万が一手を出せば──」
「だいじょーぶ! 僕が人間嫌いなのは知ってるだろう? 君の婚約者には女性としての魅力も大して感じないし、微塵の興味もないよ!」
「……それはそれで腹立つな」
ノームがむっとしていると、そこでセーネさんが私に耳打ちをしてきた。
どうやらヘリオス王の呼び出しがあったらしい。
久しぶりのヘリオス王からの呼び出しだ。気を引き締めないと。
次はどんなことを命令されるのだろうか……。
アミール姫の一件があって、アミール姫とノームの婚約も完全になくなってしまったし、怒ってるだろうな。
私が玉座の間に行くと、ノームと……何故かシルフさんまでついてきた。
尋ねると「なんだか面白そうだから」だって。
「──魔王の娘よ。お前には今回、とある調査を命じる」
「は、はい」
ヘリオス王は少し疲れているようだった。
まぁ、ウィンディーネ女王の進軍参加も望めなくなったし、色々上手くいっていないのだろう。
それにしてもなんでこの人はそこまでしてテネブリス進軍に拘るのだろうか。
パパに恨みがあるとか? テネブリスに何か欲しいものでもあるとか?
……真相はまだ分からない。
今は黙って従っておこう。
「我が領土内の……今度は北西の方にあるエハース村の調査だ。その村にある孤児院の児童が夜な夜な少しずつ行方不明になっているという報告がある」
「! 子供が、消えている……?」
「そこの院長は悪魔の仕業だと騒いでおるのだという。まぁ、悪魔よりも恐ろしいあの魔王の娘のお前なら大丈夫であろうよ」
ヘリオス王は意地悪な笑みを浮かべる。
私は少し腹が立ったけれど、それは顔に出さずに頷いた。
「エレナ、一人では危険だ。余も付き添おう」
「ノーム。それは我が禁ずる」
「なっ!」
ノームがヘリオス王に抗議するが、彼はただせせら笑うだけ。
「私と監視役のフォルトゥナさんだけでその村に行け」だって。
フォルトゥナさんとはいい関係を築けているし、私にとっては彼がついてきてくれるだけでありがたいけれど。
するとまた寒気が。見るとシルフさんが私を近距離で見つめているではないか。ひぃっ。
「し、シルフさん? ど、どうされたんですか? 私の顔に何か?」
「君、本当に
「あぁ、まぁ。私は昔パパの血を飲んだことがあるので、そのせいだと思いますが……」
「──は?」
シルフさんの声色が急に変わる。
私はさらに悪寒がして、イゾウさんの背中に隠れた。
ノームは未だにヘリオス王と口喧嘩中だ。
「エレナ様? いかがなさいましたか」
「な、なんかシルフさん、怖い……」
「……だそうです。シルフ様。エレナ様にそれ以上近寄らないでくださいますか?」
「ははは、ちょっと驚いちゃって。ごめんねエレナちゃん? でもまさか、君が彼の血を、ねぇ……?」
「…………っ、」
「うんうん、そうとなれば話は別かもね……あぁ、面白くなってきた」
一人で語り始めるシルフさんに私は怯える一方だ。
でも、一つ気になることがある。
もしかして、シルフさんって……。
「あ、あの、もしかして、パパの……魔王の、知り合いですか……? なんだかパパを知っているような言い方ですよね」
「! ……あぁ、まぁね。向こうは、僕の事知らないだろうけどね。僕は
「??」
……どういうこと?
それは──この悪寒と関係あるのだろうか。
「よし決めた!」
シルフさんが突然手を叩いた。
「ヘリオス王ヘリオス王!」
「またお前かシルフ! 穀潰しが何をしにきた!」
「酷いなぁもう。でもまぁ、今回はちゃんと働くからそう言わないでよ」
「はぁ?」
「今回の調査、僕も付き添ってあげる!」
シルフさんのその言葉にヘリオス王の顎が外れかかる。
周りの従者さん達も、あの無表情なスラヴァさんでさえもだ。
……この人、相当この城で嫌われているのでは。
「おいシルフ、どういうつもりだ」
ノームがシルフさんを睨み付ける。
シルフさんはにんまり笑って、ウインクをする。
「ごめんね、ノーム王子。さっきの言葉は取り消し! どうやらエレナちゃんは僕の〝
「はぁ!? おい、それはどういう意味だ!」
「教えませーん! 今はまだ、ね!」
追いかけ回すノームに、逃げるシルフさん。
ああもう、なんだかとてつもない厄介な人に目を付けられた気がするんだけれど……。
パパを知っているという人間嫌いの風の勇者シルフさん。
彼は一体何者なのだろうか……。
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