アーヴァンクの涙

 ──スペランサ王国 フィリング村にて。


「女王様、こちらです」


 ウィンディーネ女王に連れてこられた私は檻の中の生物を観察する。

 毒のような紫色の毛並みに、真っ赤に充血した小さな目。

 普通の人間であったなら、恐怖を覚えるだろう。

 まぁ、私はパパがいつも傍にいたし、特に驚くことはなかった。


「おい、おい! 老体に何をする! さっさと解放せんか! わしは幻獣じゃぞ!」

「何をするとはこちらの台詞だドブネズミ。我が民を攫い、何をしようとした」

「わ、わしは、ただ……」


 たしかシュトラール城の図書館で読んだ偉大なる冒険家のアレス・アードウェイの本にアーヴァンクさんのことが書かれていた。

 アーヴァンクは人間の言葉を話す醜い生物だって。

 本当に話せるのか。流石神の遣いとされる幻獣。


「まぁ、聞くまでもない。アーヴァンクとは人間の女に興奮する気味の悪い生物だと聞く。お前は殺さずに追い払ってやったものを、二度三度も我が民に襲いかかった。故に、王である私が今その首をもらおう」

「っな! わしは幻獣じゃぞ!? そんなことをすれば、神がお怒りに!」

「神が私の民に襲いかかるお前を許容したとなると、その神ですら私の敵ということになるな?」


 ウィンディーネ女王の強気な言葉にアーヴァンクさんは狼狽えているようだ。

 腰から剣を引き抜く彼女を慌てて止める。


「じょ、女王様! 少しだけ、アーヴァンクさんとお話させてください! 殺さないで!」

「ぬ……」

「お、お願いします。どうか、どうか」


 私は跪き、頭を下げる。


「──、よい、許す。面を上げよエレナ。好きにするがよい」

「! あ、ありがとうございます!」


 私はアーヴァンクさんに顔を向ける。

 アーヴァンクさんはそんな私に後ずさった。

 

「女王様、この檻、開けていただいてもかまいませんか?」

「……よかろう」


 ウィンディーネ女王が側近の一人に顎で檻を示す。

 そしてアーヴァンクさんは恐る恐る檻の中から出てきた。

 私は、そんなアーヴァンクさんの前で──ゆっくり、正座をする。


「怖がらないでください、アーヴァンクさん」

「お、お前さん、なにを……」

「私は魔王の娘、エレナと申します。えっと、その……よかったら、どうぞ」


 私はポンポンと膝を叩く。

 アーヴァンクさんが間抜けな声を出した。


「お、おおおお前さん、何を企んでる?」

「あれ? アーヴァンクさんって膝枕されるのが好きなんですよね? 昔、美女に膝枕されている時に隠れていた英雄に鎖で締められ退治されたとかなんとか聞きましたが……余程、膝枕が好きなのかと」


 でも、そうではなさそうだ。

 私が立ち上がろうとすると、アーヴァンクさんがそれを止めた。


「やめろ! 膝は好きじゃ! お前さんみたいな若い女の膝はもう堪らん!」

「……エレナ、止めた方がよいと思うぞ私は。そのエロネズミ、さっさとその首を」

「女王様、お待ちください。アーヴァンクさん、私なんかの膝であればどうぞ」


 するとアーヴァンクさんは言葉を失いながら──ゆっくり、その頭を私の膝の上に乗せる。

 

「……柔らかい」


 ポツリ、とアーヴァンクさんが呟いた。

 ウィンディーネ女王が眉を顰める。


「エレナ、早くそやつを」

「女王様」


 私がウィンディーネ女王を静かに見上げれば、女王は言葉を噤んだ。


「柔らかい……人肌は、こんなに、温かいのだったなぁ……」


 アーヴァンクさんは泣いているようだった。

 不規則に揺れる大きな身体。

 

「アーヴァンクはこの世でわししかおらん。故に、番いも出来るはずもなく。それにわしは、人間が好きだった。昔、一人の人間の女に、本気で惚れておった」

「…………」

「だがお主の知っている伝説通り、わしはその女に騙されたようじゃ。聞けばその英雄はわしを退治することがその女と結婚する為の条件だったんだと。ショックだった。それから、人肌に触れることなく、虚しく、寂しい生を送ってきたが……独りでいることが、次第に恐ろしゅうて、恐ろしゅうて仕方がなくなってきたんじゃ」

「!」


 アーヴァンクさんは私の膝から離れた。

 「もういいの?」と尋ねると、「お主の膝を濡らすわけにはいかん」だと。


「アーヴァンクさんって本当は大陸を一つ沈めるほどの洪水を起こせる強力な幻獣だと聞くわ。アレス・アードウェイの冒険記にあったもの。あと、アレスさんはあなたの事を愉快な友人だって記していた!」

「! アレス……あぁ、あの時の小童! あやつ、冒険記なんか出しておったのか! 懐かしいのぅ。実に愉快なやつじゃった」


 アーヴァンクさんは嘆息を零す。


「そうか。わしは、その友の名も傷つけたのか。自分の寂しさを紛らわせるために、女を攫おうとした……あぁ、わしは愚かな事をした」


 強大な力を持っているというのに、その力を振るうことはせずに自らの行いを反省する。

 そんな紳士的で心優しい幻獣はなかなかいないだろう。

 私は口角を上げて、ウィンディーネ女王を見る。

 ウィンディーネ女王はやれやれと肩を下ろした。


「仕方ない。お前の首は諦めよう。しかしもうこの村に近寄るな。いいな」

「……あぁ、我が主大天使ミカエルの名にかけて、約束しよう」


 アーヴァンクさんは納得したように頷く。

 でもアーヴァンクさん、これからどうするんだろう。


「アーヴァンクさん、あなたがよければなんだけど……」


 私はアーヴァンクさんにテネブリスに来ないかと提案したのだ。

 丁度ルナの病気が完治するところだった。

 だから禁断の森か魔王城に「ルナの世話をよろしく」という私からの手紙を持って単独で飛んでいってもらう手筈だったのだ。

 その際にアーヴァンクさんもルナと一緒にテネブリスへ向かえばいい。

 そう提案するとアーヴァンクさんは飛び跳ねた。


「い、いいのか!? こんなわしを!? かの有名な魔物の国に!?」

「うん。パパには私から手紙を書いておくから。テネブリスは来る者を拒まないよ。優しい魔物さんばかりだしね」


 私はアーヴァンクさんの頭を撫でさせてもらうと、微笑む。


「それに、アーヴァンクさんのような素敵な幻獣さんには、私もテネブリスに来てほしいと思うよ」

「……あぁ、あぁぁ……有り難う、有り難う……!!」


 アーヴァンクさんは何度も私にそう言った。

 

 幻獣でも、孤独が怖い。

 それもそうだろう。

 だって、あの〝魔王〟ですら、恐れたものだもの。


 アーヴァンクさんのこれからの生が、テネブリスで楽しいものに変わるといいな。

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