妖精の水


 ──エレナ。


 ……誰? 私を呼んでるのは。

 あぁ、この空間……前にもいたことがあったような……。

 私がパパに命を救われる前だったっけ……。

 じゃあ私、死んだのかな。


 ──……!!


 あぁ、泣いてる。どうして泣いてるんだっけ。

 ……泣かないで。なんだか私、あなたに泣かれるのが一番辛いの。


 私はパパに出会った時の様に、必死に泳いで──その声のする方へ、進んだ。


「──エレナ、」


 目が覚めた。

 ポタリポタリと何かが私の頬に落ちる。

 あぁ、と私は思った。

 泣いていたの、ノームだったんだ。道理で泣いて欲しくないわけだ。


「美形が台無しだよ、ノーム。一国の王子様でしょ。泣いちゃ駄目だよ」


 そう言って、私はノームの頬を右手で包んだ。

 ノームは顔を強張らせ、恐る恐る私に触れてくる。そして私をしっかり抱きしめた。


「エレナ、エレナ……!!」

「ノーム、私一体どうなったの? 背中、大火傷してるはずなのに、痛くない……」


 そう。全く私の身体には傷がなかった。あれは夢なのかとさえ思ってしまうほどに。


「涙だよ。偉大なる海の王の。母上に使えなかったものだ」

「! ガルシア王の涙? そんな貴重なもの、」

「この世でエレナより貴重なものはないさ。余にとってはな」


 ノームが私の存在を確かめるように背中を撫でる。

 ちょっとくすぐったい。でも、震えるノームの腕から逃げ出すわけにもいかない。


「エレナ、頼む……もう、余の為にあんな無茶はしないでくれ……お前を失うのが、一番怖い」


 ……誰か同じようなこと、言ってたな。

 ──あぁ、パパか。

 愛しさとかなんだとか、生暖かいものが身体中に溢れ、じんわり瞳に滲む。

 私もその広い背中に腕を伸ばした。


「それは保証できないかな。私にとってもそうだから」

「……お前は馬鹿だ」


 ノームはそれだけ言うと、嗚咽を漏らす。

 あのノームをここまで泣かせるとは……私って凄いな。

 さて、ちょっと惚気を含んだ自惚れはここまでにしておこう。


「ノーム、アミール姫は?」

「っ、そうだ! アミール姫なんだが、実はどうも何かに取り憑かれていたようでな」

「取り憑かれていた?」

「邪気祓いは悪魔の仕業だとか怯えていた」

「悪魔って……」


 そこで私はふと、ニクシーさんの言葉を思い出した。


 ──『人間とはまた違う恐ろしいものが動き出しているような気がしてならんのだ』……。


 ……考えすぎだと、いいんだけど。

 でもニクシーさんありがとう。貴女の嫌な予感のお陰で、一人救えるよ。

 私は鞄からニクシーさんからもらった小瓶を取り出す。


「ノーム、アミール姫はまだ苦しんでいる?」

「あぁ、未だになかなか祓えなくて困っていると……」

「OK。なら、私にそこへ案内して」


 ノームは私と小瓶を交互に見て、頷いた。

 連れてきてもらった部屋では、アミール姫がベッドに横たわり、唸っている。

 邪気祓いの人は汗びっしょりでアミール姫に語りかけていた。

 その傍らでは顔を真っ青にさせているヘリオス王と、厳しい表情で見守っているサラマンダー王子と王の側近二人。

 ヘリオス王は私を見るなり、眉を吊り上げた。


「おい! 魔王の娘! お前は何故ここにおるのだ! さっさと去れ!!」

「父上、アミール姫はエレナに任せてください」

「はぁ!? この魔女にか? ノーム、お前もいい加減に、」

「はいはい、ちょっとどいてください!」


 私は邪気祓いさんを押しのけると、苦しむアミール姫の顔を覗き込む。

 

「アミール姫? 聞こえますか?」


 駄目だ、聞こえてない。

 私は仕方なくアミール姫の口内に指を入れ、強引に開かせる。


「アミール姫、失礼します!」

「おい! 何を飲ませるつもりだ! やめろ!!」


 私はアミール姫の口内に小瓶の液体を流し込んだ。

 そして数秒経ち──アミール姫の呼吸が安定し始める。

 唸り声も消え、穏やかな表情に変わったのだ。


 これって……。


「し、信じられん!」


 邪気払いさんが声を上げた。


「体内で、じょ、じょじょ浄化しただと!? お主、一体何を飲ませたのだ!」

「えっと、よく分からないけど、聖水みたいものだとか。私のお友達の妖精ニンフさんが毎晩魔力と加護を込めてくれた水だったんだけど……予想以上に効いたみたい」


 ニクシーさん凄いな。次に会ったらお礼言わないと。あとドリアードさんにもね。


「よ、妖精とお友達……ですと……?」


 すると邪気払いの人が突然涙を流し、膝を崩して、私に頭を下げた。

 え!? なに!? なに!?


「貴女は聖女様でしょう!? 私には分かります!」

「はぁ?」


 私がポカンとしていると、サラマンダー王子が笑いを堪えていた。


「こんな間抜けな聖女なんているかぁ?」

「黙れサラマンダー!」


 サラマンダーの嫌味にノームの冷たい声が降りかかる。

 私は相変わらずの彼にやれやれと思いながらも、アミール姫を見た。

 よかった、随分楽になったみたい。

 悪魔に取り憑かれていない彼女と話すことが出来たらまた印象が変わってくるのだろうか。

 決闘を申し込まれないといいな。次申し込まれたら、勝てる気がしないもん。

 

「父上。エレナはエストレラ王国の姫を救いましたよ」

「黙れ! どうせアミール姫に取り憑いていた悪魔もテネブリスによるものだ! 邪気払い、お前もこんな魔女に頭を下げるな! ついてこいスラヴァ、フォルトゥナ! エストレラ国王に連絡せねばならん!」


 ヘリオス王はそれだけ言い残すと不機嫌そうに部屋を出て行った。

 私はノームと顔を見合わせ、苦笑する。

 

 ……あの頑固な王様を説得するのには、まだまだ時間がかかってしまうようだ。

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