その感情は


「おい、大丈夫か!?」


 ──雌、雌の匂い、ダ!!


 アスモデウスの中の声がさらに増大になる。

 アスモデウスはなんとか腕を動かし、近寄ってくる女の手を払った。


「来るんじゃ、ないわヨ……!! ほっとケ……!!」

「ほっとけるわけねーだろ! !!」

「っ!?」


 顔を上げると、女の顔には見覚えがあった。

 六年前、奴隷商人からエレナを助けた時に彼女の傍らにいた女だ。

 名前は確か……。


「私はサラ! エレナの友達! アンタもエレナの友達だよな!? なら私達は無関係じゃない! ほら、とりあえず私の宿で匿ってやるから……」

「っ、だから! 触れるんじゃないワヨ!!」


 サラがアスモデウスに触れた時──アスモデウスは意識を手放し掛けた。

 ナニカがアスモデウスの意識に干渉してきたのだ。

 このままアスモデウスが意識を失えば、この女は──。


 ──その女を、寄越しなサイヨ!

 ──クワセテヨ、喰わセテヨ!


 声がより知性を帯び、口調もアスモデウスに近いものになっていく。

 アスモデウスはサラの赤毛に触れ、気づけばその華奢な身体を押し倒していた。


「えっ?」

「……っ、だから、言ったでショ、触るなって……!!」


 身体が勝手に動く。

 もう、自分のものではない。

 アスモデウスは必死に抵抗するが、腕は欲望のままにサラを暴こうとする。

 サラはそんなアスモデウスの頬に触れた。


「ハ?」

「お前……苦しいのか? わ、私の身体で、お前を楽に出来るなら、好きにしてくれ……」

「──っ!!」


 アスモデウスは奪われかけた意識をなんとか掴みなおす。

 サラの身体は震えていた。その瞳は恐怖で濡れている。

 

 ──だというのに、この娘は。


「…………クソがっ!!」


 アスモデウスは内ポケットからナイフを取り出し──サラに迫ろうとする自分の手のひらに思いきり刺した。

 サラが唖然として赤く染まっていくアスモデウスの手を見つめる。

 アスモデウスは溶けていく意識の中──自分の中で痛みに苦しむ叫びに「ざまーみろ」と呟いた。




***




「なぁ、アス」

「なによ」


 とある穏やかな魔王城の昼時。

 アスモデウスは兄であるアムドゥキアスとぼんやり中庭を眺めていた。

 二人の視線の先には魔族の子供達と遊んでいるエレナがいる。


「ふと思ったんだが……お前って、前はそんなんじゃなかったよな」

「はぁ? 何がよ」

「口調だよ」


 アムドゥキアスは、不思議そうに顎に手を当て、首を捻っていた。


「──お前って、いつからそんな女みたいな口調になったんだ?」




***




「あ、起きたか?」


 アスモデウスが半身を起こせば、額から濡れた布が転がり落ちた。

 手のひらを開閉させれば、ちゃんとアスモデウスの意のままに動くことに安堵する。

 そんなアスにやけにニコニコ嬉しそうに微笑む女──サラにアスモデウスは眉を顰めた。


「……ここはどこよ」

「私の家。宿屋だ。もう朝だぞ。ずっと寝てたんだお前」


 サラはアスピを詰め込んだ皿をアスに手渡す。


「ほら、食え。腹減ってんだろ」

「はっ。誰が人間からもらった食べ物なんか食べるか。近寄らないで頂戴!」


 アスモデウスが敵意を込めてそう睨んだというのに、サラは変わらず陽気な顔のままだ。


「素直になれよ竜人。アスモデウス、だっけ。エレナと私は手紙のやり取りしてるからな。色々アンタの話も聞いているよ」

「……ちっ。なら、アタシが人間嫌いなのも知っているでしょ!」

「まぁな。でもそれは私がアンタを放っておく理由にはならない」


 アスモデウスは舌打ちをする。

 このサラという女が、エレナと同じ匂いのする女だと気づいたからだ。

 彼女達と違い、アスモデウスは面倒ゴトからはさっさと離れる主義である。

 素早く立ち上がり、ベッドを出る。


「おい、どこにいくつもりだ? まだ本調子じゃないだろ」

「るっさい。話しかけるな人間」

「それが助けてやったヤツに対する態度か? 言っておくけど、アンタに押し倒された時、腕引っかかれて結構大きな切り傷できたんだからな! あとすっごい怖かった! 最低男!」

「あぁ? あれはアンタが触るなって言ったのに触ったからでしょうが。自業自得よ。じ、ご、う、じ、と、く!」

「はぁ!? か弱い乙女を押し倒しといてまだ言うか!」

「誰がか弱い乙女よ! 肌ガッサガサだし、口調も荒いし、アンタほんとは股間にご立派なもんついてんでしょ!?」

「なっ!」


 サラが顔を真っ赤にして、アスモデウスを睨む。

 

「……ふん、もういい。だけどアンタ、本当に大丈夫か? せめてあと一日くらいここにいろよ」

「嫌よ。ここ、人間臭すぎ」

「そうか。じゃあ言い方を変えるぞ。お前、ここで働け」


 アスモデウスはサラの言葉に「はぁ!?」と声を上げた。

 

「やっぱ女一人じゃ宿屋はやっていけねぇと悩んでてさ~。男手必要だよな!」

「い、いやいやいや、勝手に決めてんじゃないわよ! 何言ってんの!?」

「なんだよ~いいじゃないかよ。アンタ、あの奴隷商人となんか因縁でもあるんだろ?」

「! 見てたの?」

「まぁ。変なエルフが奴隷商人の影から出てきた時はびっくりしたけどな。あの奴隷商人のこと色々調べたいなら、その拠点が欲しくはねーのか?」

「…………」

「いちいちテネブリスに帰るの面倒だろ! ここに居ろよ! ちょっと雑用してくれんなら、いくらでもいていいからさ。な、借りを返すと思って!」

「アンタ、なんでアタシにそんなに居て欲しいのよ」

「はぁ!? そんなんじゃないし! 私は、ただ……」


 サラはそれ以上、何も言えなかった。もじもじして、目を泳がせる。

 アスモデウスはため息を吐いた。


「……まぁ、確かにこのままテネブリスには帰れない。あの恩知らずで裏切り者の馬鹿にはお灸を据えてやらないと」

「っ! じゃあ、」

「アンタがどういうつもりか知らないけど、ありがたくアンタを利用してやるわよ。それに……」


 アスモデウスはサラの腕の切り傷を見る。

 サラがそんなアスモデウスの意図を察し、ニヤニヤした。


「あー、意外に責任感じてんだ? エレナの言うとおり、結構優しいんだな、アンタ!」

「なっ! ち、違うわよこのガサツ女!」

「はぁ!? 何だもういっぺん言ってみろ!!」


 売り文句に買い文句。

 アスモデウスとサラは仲良く口喧嘩を続け、ようやくそれが止んだと思えばサラがアスに枕を投げつけた。


「とにかく、今日は寝てろ! 明日から雑用よろしくな!」

「……はぁ。なんだってのよ」


 アスモデウスはサラが部屋を出て行くのを見届け、アスピを一口齧ってから布団に潜る。

 酷く、疲れていた。

 サラのお言葉に甘えて、もうしばらく休むことにしたのだ。


 ──故に、一枚のドアの向こうでサラがドアに背中を預け、ズルズルと蹲っている事には気づくはずもなく。


「六年前、一目惚れしたなんて、言えるわけない……」


 サラの中では産まれてからアスモデウスを一目見たあの時まで、抱いたことのなかった未知の感情が疼いていた。

 サラの熱っぽい言葉とため息は、眠っているアスモデウスには届かない。

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