突然の訪問


 夜、地下牢でノームと話していると、すっかり仲良くなった地下牢の番人のおじさん──ダンさんが廊下の向こうからやってきた。

 今では名前を教えてもらうくらいには、彼に信用されているというわけだ。


「エレナ、アンタに知り合いが尋ねてきたんだが……」

「え? 知り合い?」

「アスモデウスというらしい。エレナを呼ばないと喰ってやるっつって脅してくるもんだからよ。しかしあいつ、どうやってこの城に忍び込んだんだか……」

「えぇ、アスが!?」


 私はダンさんにアスを通してもらう。鉄格子ごしのアスに私は息を呑んだ。

 一応、黙ってテネブリスを出た身だし……怒られちゃうのかな……。


「随分いい思いしてるみたいじゃないのプリンセス」


 アスは相変わらず皮肉屋のようだ。それでも怖い反面会えて嬉しいと思ってしまう。


「エレナ、こいつは……」

「アスは信頼できる竜人よ。大丈夫。ちょっと二人きりにさせてくれる?」


 ノームが渋々ダンさんと地下牢を去る。私は鉄格子を握りしめた。


「アス、どうしてここに……」

「魔王様の命令でね。アンタには言ってなかったけど、アタシとリリスはアンタが小さい頃からずっと人間の国々で諜報活動やってんのよ」

「どうしてアスが? アスって人間嫌い酷いのに?」

「仕方ないでしょ。アムはああ見えてパニックになったらヘマするし、話術もあるわけじゃないし……あの頑固者にハニー・トラップなんて無理よ。それにこの諜報活動は魔王様から直々にアタシが頼まれたものなの。断れるわけないじゃない」

「……前から思ってたけど、アスってパパの事大好きだよね」

「当たり前でしょ。じゃなきゃ左補佐官なんて面倒なもの、やらないわよ」


 確かに。アス、そういうの面倒くさがりそうだもんね。

 

「──で、アタシがわざわざここに来てやったのは魔王様から伝言を預かってきたから」

「!」


 パパから、伝言。

 何を、言われるんだろう……。

 もうテネブリスには帰ってくるなとかだったら、どうしよう。


「『。ただし、無茶はするな。いつでも、テネブリスに帰ってきなさい』」

「……!?」

「──だってよ」


 身体が、震えた。自然に──涙が、溢れてきて。

 なんて、素敵な父を持ったんだろう。


 ──その言葉だけで、どこまでも頑張れそうだよ、パパ。


「……じゃ、アタシは行くわよ。まだ色々探らなきゃ」

「え? アス、もう行くの?」

「また会いに来てあげるわよへなちょこプリンセス。気が向いたらね」


 アスがくるりと踵を返す。


「──あぁ、一つ言い忘れた」

「?」

「最近、この国に魔法生物やらの動きが活発になっているってここの王様は騒いでるようだけど」

「! う、うん。言ってた!」

「アレ、多分何者かの意思よ。テネブリスと人間達をどうしても衝突させたいがいるの。勘、だけどね。今アンタは持ち前の強運でのうのうと生きているけれど、アンタの立場なんて一瞬で崩れる。……せいぜい注意しなさい。危険を感じたら、すぐに逃げること」

「……うん、分かった」


 アスはひらひらと振り向かずに手を振ると、地下牢を去って行った。

 テネブリスと人間を衝突させたい誰かさん。

 そういえばフォルトゥナさんが、スラヴァさんがそうだって言っていたような。

 ……いや、まだ決めつけるのは早い。

 でもこれだけは分かる。

 私はアスの言う誰かさんが本当にいるというのなら──私が戦うべきなのはヘリオス王だけじゃないってことだ。




***




「相変わらずね、あのアンポンタン。ま、あの子はしぶといからしばらくは放っておいても大丈夫でしょ」


 アスモデウスはそう呟き、独り真夜中のシュトラール城下町の裏道を歩いていた。

 周りには誰も居ない。

 沈黙が痛いこの裏道で──彼はふと、足を止める。


「──ついてきているのは分かってるわよ。どちら様?」


 すると意外にもあっさり男がぬっと現れた。

 どこかで見たことがある男。アスモデウスは目つきを変える。

 アスモデウスの目の前に立っている男は数年前、エレナを殴ろうとしていた奴隷商人だったからだ。

 思わず、顔の皮が剥がれそうになる。

 しかし人間嫌いのアスモデウスがすぐに襲いかからずに今もこうして距離を保ったままでいるのには理由があった。


「アンタ、?」

「ほっほっほっ。流石トカゲもどきは鋭いですねぇ。ですがそれはそちらも同じでしょう」

「あ?」


 トカゲもどきという言葉にアスは青筋を浮かべる。

 しかし後半の言葉も認識すると、ピクリと眉をつり上げた。


「おや? まだ気づかれていないので? いやいや、本当は心のどこかで気づいていたでしょう? 自分の中にナニカがいると!」

「何を、言ってる……猿もどきが……!」

「新人のレヴィアタンに負けられないと私も私なりに城を監視していたら、とんでもない僥倖に巡り会いましたねぇ。一番に再会したかった友に再会できた……」

「! ……再会、だと?」

「貴方ってば無意識に私の事を避けていたでしょう。まぁ、いずれは覚醒するだろうと思って放置していたのですが。そろそろ起こしてもいいのでは?」


 アスモデウスは男の影が伸びている事に気づいた。

 その影の形、声……アスモデウスの中のナニカが興奮している。

 これ以上、ここに居ては危険であることを、悟った。


 ──しかし。


「──っっ!!」


 アスモデウスは動けなかった。

 アスモデウスの目の前には──が、佇んでいた。

 彼、否、ソレはにっこりと微笑むと、アスモデウスの胸に触れ──。


「──あぁっ!?」


 アスモデウスははっとした。

 誰もいなかった。

 奴隷商人も、も。

 

「なんだってんのよ……」


 アスモデウスが吐息まじりにそう呟いた時だ。

 視界が歪む。

 心臓が異常な程、活発に鼓動を鳴らし始めた。


 


 理解出来ていないのに、気づいていないのに、アスモデウスはポツリと心の中でそう確信した。


 ──雌が、ホシイ。

 ──クイタイ。

 ──快楽に、溺れて、溺レテ……溺れタイ。

 ──今すぐにでも、欲望を、吐き出シテ……。


 ──アァ、ホシイナァ。


「うるっさいわね……っ!!」


 アスモデウスは頭を抱え、叫ぶ。

 逃げなければ。しかしどこへ?

 そうだ、今自分は大声を上げた。ここには居られない。

 人間が来てしまう。見つかってしまう。

 でも、まずはこの声から逃げたい!


 ──無理だと、分かっているダロウ。

 ──ダッテ、誰でアレ、自分からは逃げられナイ。


 アスモデウスは足を崩し、倒れた。

 身体が快楽を求めて止まない。


 あぁ、もう──誰でもいいから──。




「──おい、大丈夫か!?」

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