約束しよう


 「…………、」


 ルーメンの残したメモを握りしめ、私は自室のバルコニーの手すりに手を積み、そこに顔を埋めていた。

 この魔王城からいなくなっていたのはルーメンだけではなかった。

 どういう訳か、マモンさんもいなくなっていたのだ。

 シャックスさんは背後から切られたらしく、シャックスさんを襲った犯人も分からずじまい。

……分からないことだらけだ。

 一体私がいない間に、地下牢で何が起こったのだろうか。

 ため息を溢し、目を瞑った。

 するとここで、どこか聞き慣れた羽音が耳に入ってくる。

 素早く顔を上げると、案の定レガンに乗ったノームが私を見下ろしていた。


「ノーム! あ、あの後、大丈夫だったの!?」

「あぁ、なんとかな。出来るだけ暴れてきた。その混乱に紛れてあそこにいた魔族の何割かを逃がした。奴隷商人はカンカンだ。サラマンダーもな」

「……ノーム、本当にごめん。さらにノームへの当たりが強くなっちゃうよね……」

「いや、余は嬉しかった。すっきりしたぞ」


 ノームが綺麗にバルコニーに降りてくる。


「ルーメンはどうした」

「……これ、」


 私はノームにルーメンからのメモを渡した。


「これを残して、消えちゃった。どこにいるのかは分からない。ラミア族に占ってもらったんだけど、あのラミア族でも分からないって。暗闇しか、視えなかったって……」

「…………」

「ノーム、私はこのテネブリスを守るよ。ここはルーメンが帰ってくる場所なの。だから今は何も分からないままだけど、私はこの城を守る。……でもそうしたらノームと敵対することになっちゃうかな」


 風が私の髪を撫で、溶かしていく。ノームの藍色の瞳をただひたすらに見つめた。

 ノームは口を開閉させ、どう返そうか迷っているようだ。


「そのこと、なんだが」

「…………、」


 ノームの手が、ゆっくり私の頬に伸びてくる。

 そしてそっと、私の頬を包み──もう片方の腕で、ノームは私の腰を引き寄せた。


「ノーム?」

「エレナ、余はもうテネブリスには来れない」

「え、」

「サラマンダーが父上に余がお前と友人だということを話した。そして父上は余が魔族を親しく思っていることをどうやら気にくわなかったらしくてな。テネブリスへ行くことを禁じた。今日来れたのも奇跡に近い」

「そんな。私のせいでノームのお父さんが怒ってるってことだよね? しかももう来れないって……」

「違う。エレナのせいではない。……余はこれから息をつく暇もないほど魔王殿を殺す為の訓練をさせられるだろう。そう父上に言われた。監視も厳しくなる」

「……パパを殺す為って……」


 やっぱり、私はノームと敵対しないといけないのかな。

 そんなの、嫌だよ。

 ……だって、私、ノームの事、好きだもん。

 戦いたくない。ノームとだけは。

 唇を噛みしめ、鼻の奥が痛むのを押さえる。しかしそれを押し切って、瞳は潤っていく。


「──エレナ。余は父上の進軍を止める」


 私はノームの言葉を理解するのに、数秒かかった。

 理解して、ポカンとしてしまう。


「……え?」

「だから、余はテネブリスへの進軍を止めるように努めると言ってるんだ。余は王座にさほど興味はなかった。だがあの奴隷商人の店を見て思ったんだ。余はシュトラールを変える。魔族も人間も対等な国にしてみせる!」

「ノーム、」

「そうすれば、テネブリスと友好同盟を組むのもいいと思わないか? お互い支え合うんだ」

「! うん、それは……とっても素敵だね」

「だがそれにはエレナの力もいる。……その、なんというか、これが余の伝えたかった事なんだが」


 ノームが珍しくもぞもぞ話し出す。ノームのはっきりしない態度に私は首を傾げた。


「ノーム?」

「母上の一件があって、余は一層お前への気持ちが留まることをしらない」

「へ?」

「つ、つまりだな、その、鈍感なお前でも分かるように説明すると……この先何が起きても、余の隣にいるのはエレナがいいと……ああ、絶対伝わっていないなその間抜け面。はぁ」


 ノームがため息を吐いて、私の腰をさらに引き寄せ──私を抱きしめた。


 ──えっっ!!?


「──余の妻に!! ……余の妻になってくれと言っているんだ。この鈍感っ!!!」


 私の耳に流れてきた言葉は、私の脳みそでは処理するのがすこぶる難しかったらしい。

 一分ほど固まった後──ようやくその言葉を認識した。何回も何回も心の中で反芻した結果だ。

 私の体温が人生で最高に上がった瞬間かもしれない。


「なっ!? え!? はぁ!? ふぁ!??!」

「……ようやく理解したのか」


 ホッとしたようなノームの声が耳元に響いて、私は頭が真っ白になる。

 

「の、ノーム!? わ、ワタシタチ、マダコドモダシ!!」

「それがどうした。余は、エレナしか考えられん。……こんなこと、何回も言わせるな」

「え、えぇ……」


 なんとも間抜けな声しか発せない。

 いや、わ、わわわわわ私も、ノームの事はそりゃ好きだよ?

 でも、こ、こここ婚約は、早いと思いますの。順序大切!

 いやでも、どうしよう……。


「……すごく、嬉しい」


 あぁ、あまりの嬉しさに声が漏れちゃってる!

 私の馬鹿! 間抜け! アンポンタン!

 しかし吐き出した言葉はどうにもならず、ノームがそれはそれは嬉しそうに笑う。

 あぁ、駄目。心臓が壊れちゃう……。


 そして。


 ──私の唇に、なにか触れた。


 ノームの睫毛綺麗だなぁ、なんて馬鹿みたいなことしか考えられなかった。

 今の衝撃で完全に脳みそはシャットダウン。

 再起動していた時には既にノームはレガンに跨っていた。


「誓いのだ! ではな、エレナ。余が進軍を止めるまで大人しくしていろ! 余はひと時たりともお前を忘れることはないだろう!」

「な、なに恥ずかしいこと言ってんの馬鹿! ばか! ばーか!!」

「ははは、照れているのだな。愛い愛い。……手紙はレガンが難しければバンシーに持たせてでも送る。余が許可をするまでお前はテネブリスを離れるなよ」

「! ……わ、分かった。待ってる」

「よし! そうと決まれば、疾く帰って鍛錬せねばな。余はもっと強くなる必要がある」


 ノームはしばらく私を見つめた後、レガンに乗って去っていった。

 あーあ、十二歳の男の子についにプロポーズされてしまったよ。

 しかも今でもドキドキが止まらないのがみょ~に腹立つ。

 ああもう、ただでさえ心配事が多いのに!


 でも、ノームは進軍を止めてくれると言ってくれた。

 この言葉ほど心強いものはない。


 ルーメンに、ノーム。待ち人が増えてしまった。

 でも、私はここで信じて待っていよう。


 ……待つのは、苦手だけどね。




〈続く〉

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