とある冒険家の手記より
──
私は不覚にもくしゃみをし、フェニックスに私の存在を知らせてしまったのだ。
ヤツは私を振り落とし、悠々と飛んで行った。
私と言えば、運よく(本当にそうなのかは謎だが)森の木に引っかかり、助かる。
そこはやけに粘着性のある──あぁ、嫌な予感しかしない。
振り向けば、大蜘蛛という生物が私を今にも喰らおうとしていた。
私は足掻いた。しかし足掻けば足掻くほど、糸が私を縛り付けていく。
そしてついに、その牙が私の皮膚を突き破ろうとした時。
──救世主が現れた。
炎の玉が飛んできたのだ。それは蜘蛛の巣に燃え移り、糸を千切った。
私は地面に投げ出される。大蜘蛛は逃げていった。
何だというのだ。
尻を強打した私に、小さな手が差し伸べられた。
「おじさん、大丈夫?」
王族でも羨むほどの金髪を持つ少女だった。瞳は何物にも染められない強さのある黒。
彼女の足元には真っ赤な肌の子供が寄り添っており、それがより一層彼女の謎を深めていた。
私がありがとうとその手を取ると、彼女は妖精のように可憐な笑みを浮かべる。
彼女は──エレナは話してくれた。
これを読んでいる者は私が今どこにいるのか正直に話すとジャッカロープ(※シカのような角を持つウサギの魔法生物。三メートルは飛び跳ねると言われている)のように飛び跳ねるに違いない。
答えは──あの名高きテネブリスを囲む禁断の森だ。
禁断の森。人間達は「地獄へ続く森」と呼んでいるあの森だ。
飛び跳ねたか? それなら上々。
それならばさらに君達がジャッカロープに近づくことの出来るような言葉をここに綴ろう。
テネブリスが恐れられる所以となった存在、魔王。
誰だと思う?
──今私の目の前にいるエレナだ。
私も信じられなかった。しかしエレナが嘘を言っているようにも見えなかったのだ。
エレナは真っ赤な肌の少年をルーメンと呼び、ついこの間歩けるようになったばかりだと教えてくれた。そしてそんなルーメンはエレナの弟だという。
つまり、魔王は二児の父だった(人間でいうと義理の父というのが正しいが、彼らの前ではその言葉は無粋だと感じたので敢えて書かないでおこう)。
エレナ、ルーメン、さらには彼らの友人だという「テネブリス探検隊」という三人の魔族の子供達と共に、私は魔王城へドラゴンに乗って向かった。
ドラゴンに跨る日が人生で訪れるとは、いやはや、この世は本当に摩訶不思議そのものである。
私が気まぐれで冒険家から運び屋にでもならないとドラゴンになんて跨れるか!
しかもその運び屋のドラゴンも人工的なもの。
天然、しかも珍種のブルードラゴンに跨ったことは私の最高級の自慢になるだろう。
アダマンタイトのように頭の固い王族とは違い、スライムのように柔軟な私は出会って一時間もすれば魔族の子供達とすっかり仲良くなった。
魔族は我々が思っているほど、恐ろしいものではない。むしろ人間よりも温厚で、心優しい。
魔王城の中庭についた。素晴らしい城だった。どの国にも匹敵する技術と上品さのある城だ。
城に入ると、魔王が私を迎えてくれた。
私はここで今までのは夢で、私はこの目の前の魔人に食べられてしまうだろう、と確信する。
魔王とはそれほど恐ろしい風貌の魔人だったのだ。
しかし、違った。
魔王は人間である私を── 一人の客として、迎えてくれた。
勿論人間の私に戸惑う魔族達もいたが、エレナが私を友人だと大声で言ってくれたおかげで、その懸念の目も少しは和らいだ。
エレナは魔族達の間でも、信頼されている存在のようだ。
そこからはさらに夢のような時間が続いた。
まず、夕食をご馳走になったのだ。
アドラメルクというドワーフのコックが料理を作ってくれた。
セントウという果実を炒めたものに、スグウェイダー(翼を持つウサギ)の丸焼き、そしてデザートはコック大好物の人参ケーキ。
どれもうまかった。
本当はもっと作ってくれたのだが、私の腹が追いつかなかった。
私の残飯は育ち盛りのルーメンが平らげてくれた。
次に風呂だ。
驚いたことにテネブリスには風呂の習慣があった。
下中庭に露天風呂があるのだ。
ゴブリンやドワーフ達と語る風呂はなかなかに悪くない。
こんなに熱く、別の意味で温もりのある風呂はテネブリスでしか味わえないものだろう。
そこで話を聞くと、どうやら風呂を提案したのはエレナだった。
クリスマス、バレンタインという習慣も提案したのはエレナ。
ここで私は曽祖父のアレス・アードウェイを思い出した。
世界一の冒険家と謳われている曾祖父は世界中を冒険し、様々な果実や原材料、食料を発見し、
私は幼い頃、当時まだ生きていた彼にこう尋ねたことがある。
──「ひいおじいさまは何を求めているの?」と。
それを尋ねたのは、彼が老化で弱りはてた己の足を見てもなお冒険をしようと足掻いていたからだ。
彼は答えた。「私は、たったの一瞬でも忘れられなかった故郷がある」と。
答えになってないと思った。その故郷があるからなんなのだ。
まさかバナナや人参やリンゴ、アレス・アードウェイが発見したもの全てがそこにあったというのか?
彼の故郷はシュトラール王国に他ならないというのに?
太陽暦や一日を二十四つに分割することを定めた偉大なる天文学者のユリウスは世界中誰もが知っているだろう。
ユリウスは曾祖父の親友だった。
私は一度、ユリウスと曾祖父、他にも今の世界を作り上げた偉人達を交えたお茶会を盗み聞きしたことがある。
彼らは「二ホン」という不思議な世界の話をしていた。
幼い私はその時の話を理解できなかったが、二ホンという言葉だけはしっかり覚えている。
それと……曾祖父の故郷と、何か関係があるのか? 彼亡き今はもう分からない事実である。
……エレナにはそんな我が曾祖父に近いミステリアスさを感じた。
私はその後、ドワーフ達の
彼らほど、一緒に酒を飲んでいて楽しい気分になれる種族はいないと確信している。
彼らの居館に隠されている酒の美味いこと美味いこと。
──私は、このテネブリスという国に、魅了された。
翌日、私はドラゴンに乗って、シュトラール王国付近まで送ってもらった。
エレナと握手をし、またテネブリスを訪れることを約束した。
「魔族って、恐ろしいものではないでしょ?」
悪戯っぽく笑う彼女に私は胸を張って、頷いた。
この手記を読んだ人間は私の事を嘘つき呼ばわりするか、それとも気が狂ったとしか考えられないだろう。
魔族は“恐ろしい”もので、憎むべき存在。
しかし実際に彼らと対等に話したことのある者はその中でどれほどいる?
──いつか、胸を張って彼らのことを「友人」と呼べる日が来ることを心から願うばかりである。
──アレックス・アードウェイの手記『私の“恐ろしい”友人たち』より抜粋。
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