誰よりも幸せになってほしい人よ


 シュトラール王国へ向かう途中にノームから色々話を聞いたけど、水竜に襲われたり大変だったみたい。

 でも、それを乗り越えて涙を手に入れたノームは本当に凄い。

 私は結局気絶して、役立たずだった……うぅ。


「着いたぞ」


 ノームの声に我に返る。見ればノームの言葉通り、シュトラールの城が見えていた。

 バルコニーに飛び降り、ペルセネ王妃の寝室に駆け込む。

 しかし、唖然とした。

 誰もいなかったのだ。

 ……どういう事?

 するとノームが声を潜める。


「エレナ、隣の母上の部屋から、声が……」

「!」


 私とノームはそっとペルセネ王妃の部屋に続くドアに耳を立てた。


「この死神! 王妃様は渡さない!! アンタなんかに!!」

「やめてセーネ! 彼は死神じゃないわ。よ!」

「同じことです! 昔からペルセネ様に付きまとって!!」


 この声は……ペルセネ王妃とそのお世話係さんの声?

 

「ペルセネ……頼む。もう我慢できない。そろそろ僕の妻になってくれないか。まだ君が幼い時、約束しただろう……! 僕の妻になってくれると……」

「……ハーデス。分かって。今は無理なのよ」

「何故だ!? 僕は君を誰よりも幸せにする! この国の王よりも! 君が全てなんだ、君しか見えない……! この国の王は妻の君が死にかけてるっていうのに見向きもしないじゃないか!!」


 この男の人の声は……?

 ノームを見たけれど、首を横に振った。どうやら分からないようだ。


「ペルセネ……君は僕を、愛しているはずだ。今だって君の瞳がそう訴えている!」

「!!」

「ペルセネ様? そ、その顔……ほ、ほほほ本当なのですか……?」


 扉の向こうから、女の人の啜り泣く声が滲んでくる。


「……あ、貴方を愛している、なんて、そんなの言えるわけ、ないでしょう!! 私にはノームがいるのよ?」

「!」

「わ、私は……あの子を愛しているわ。だけど……ノームの父親は愛せなかった。でも、それをノームに言えるわけない! ずっと昔から私は、冥界の神のハーデスを愛していて、だから私が死ぬのをどうか傍で見ていてね、なんて……言えるわけ、ないでしょう!!? 私は、私が、あの子を産んでしまったから……私のせいで、あの子はこの城でどれだけ酷い扱いをされて、傷ついていると思っているの……? その上で、母親を失えって……言えるわけ、ないでしょう……!! 私はあの子が、心配で、心配で、今まで何年も病と闘ってきたのよ……」

「────、」


 どういうこと?

 ペルセネ王妃は……もしかして……。

 すると私はバランスを崩し、前方に転んでしまった。ノームが扉を開けたからだ。

 突然現れたノームと私に、ペルセネ王妃、そして侍女さん、さらに──。

 死人のように真っ白な肌に蜘蛛の巣のような髪を生やした男の人が立っていた。

 男の人は死神のようなフード付きのマントでほぼ全身を覆っており、その周辺には不思議な火の玉が浮いている。そんな異様な雰囲気だというのに、蜘蛛の巣から覗く顔は美しく、顎鬚も綺麗に整えられていた。


「の、ノーム……!!」

「──ずっと、不思議でした」


 言葉を紡ぎ出すノームに私を含め、その場にいた全員が耳を傾けることしか出来ない。

 私はノームが背中に人魚の涙の入った小瓶を隠し、強く握りしめていることに気づく。


「母上は、毎日魘されていました。ハーデス、ハーデス……と。余は、迫りくる死の恐怖からの悪夢を見ているのだと思っていました。しかし、その名を呼ぶ母上の寝顔は、いつも穏やかだった……」


 ノーム、まさか……。


「今、その謎が解けた。母上はハーデス……つまり、冥界の神を愛していたのですね」

「の、ノーム?」

「母上は……今まで辛かったでしょう。あんな我が身一番の夫に振り回され、周りにも馴染めず……病気になっても孤独だった」

「違うわ、私には、貴方がいた! こ、孤独なんかじゃなかった!」


 そう叫ぶペルセネ王妃にノームはにっこり微笑む。


「それだけで救われます。母上、余は、貴女の足枷にはなりたくない。余は、貴女に誰よりも幸せになってもらいたいのです。どうか、その安眠に身を沈めてください……」


 ペルセネ王妃が、両目から涙を溢れさせ、波に攫われた砂の城のように泣き崩れた。

 そして語り出したのだ。

 幼い頃、冥界の王ハーデス様が誤って大地を割った際に出会ったペルセネ王妃に一目惚れしたこと。

 ペルセネ王妃は最初は勿論断ったが、アプローチされていくうちにそんな真剣なハーデス様に惹かれていったこと。

 そしてついに二人の想いは結ばれあったが──その時に丁度ノームのお父さんと強引に結婚させられたこと……。

 ノームはそれを黙って聞いていた。

 泣きもせず、嫌な顔一つせず──ただ、聞いていた。




***




「そう。貴女がエレナちゃんだったのね。ノームから話は聞いていたわ」


 ノームのお母さん──ペルセネ王妃が微笑む美しさはノームにそっくりだった。

 

「博識で、恐いもの知らずで、優しくて……とっても可愛い子だって」

「は、母上!」

「い、いえ、そんな……」

「それにしても、二人ともどうしてそんなにびしょ濡れなの?」

「!」

「あぁ、エレナは余を想って気分転換で散歩にと誘ってくれたのです。そして途中で雨が降ってきて濡れてしまって。ドラゴンに乗っての散歩はとても気持ちいいのですよ」

「あらまぁ、エレナちゃんは本当にドラゴンのお友達がいるのね! 素晴らしいわ!」

「…………」


 ノームは最後まで、服の中に隠している涙の事を言わなかった。

 ちなみにハーデス様はノームとペルセネ王妃の会話の邪魔をしたくないと冥界へ消えてしまったようだ。

 ペルセネ王妃はこのまま病に身を任せ、弱り切った身体の力を抜く。

 それだけで、ハーデスさんの下に行くことが出来るらしい。

 

「ノーム、私は……」

「母上、疲れたでしょう。余は母上に安らぎと幸福を贈ることが出来るならば、何でもしましょう。余の事は心配しなくていい。余は、もう独りじゃない」


 ノームが私を見て、照れくさそうに白い歯を見せた。


「エレナといると、余は怖いもの知らずだ」

「の、ノーム……」


 友達にそう言われると……照れてしまうな。

 嬉しくてつい頬がだるんと緩んでしまいそうになる。

 するとペルセネ王妃が私の手を強く握った。


「……エレナちゃん、ノームを……よろしくね」


 今にも散りそうな花を思い浮かべるような笑みだった。

 あぁ、ペルセネ王妃は……もうすぐ……。

 私は大きく頷く。


「はい……ノームは私が幸せにします!! だから、安心してください」

「あらまぁ、大胆な子なのね」

「いや、違う母上。こやつは多分そういう意味で言ってないぞ。余は散々騙されたから分かる」


 諦めた様にため息を吐くノームに私は首を傾げた。

 そんな私とノームにペルセネ王妃はクスクス喉を鳴らす。

 そしてついに……ペルセネ王妃は、起き上がる力もなくなったようで、ゆっくりとベッドに沈んだ。


「ノーム……」


 消え入りそうな声でノームの名を呼ぶペルセネ王妃。

 ノームはそっとペルセネ王妃の両目を右手で覆った。


「おやすみなさい、母上。いい夢を」



「──えぇ。ノーム、貴方に……貴方とエレナちゃんに、幸……あらん……ことを……」



 ペルセネ王妃はそう言い残して、深い眠りに攫われていった。

一粒の涙が彼女の頬を伝う。

 

 もう、戻っては来ない。

 彼女は、長年想い続けた愛する人の傍へその身を送ったのだ。


 セーネさんが床にしがみ付く。

 私は、ゆっくり、ノームの身体を抱きしめた。


「……もう、泣いていいんだよ」


 ノームの嗚咽が、胸の中から聞こえてくる。


 凄いよ、ノーム。

 貴方は本当に優しい男の子なのね。

 自分の幸福よりも、誰かの幸福を優先することは、誰にだって出来ることじゃない。

 

 私は、ただただノームを受け止めた。



 ──この日、ペルセネ王妃は息を引き取った。

 本当に、幸せそうに、幸せそうに──微笑みながら。

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