湖の妖精さん
「…………?」
誰かに、呼ばれている気がする。
私はふと目が覚めた。レイはまだ眠っている。
辺りは真っ暗で、真夜中のようだった。
しかし──湖は、輝いていた。
まるで私に、おいでと囁いているかのように。
レイを起こさないようにそっと湖に近寄る。
そういえば、ドリアードさんに湖を覗くなって言われたような。
でも、覗いてみたい。まだ見ぬ不思議がこの湖には、あるかもしれない。
私は思い切って──湖を──覗きこんだ!!
「…………」
何もなかった。ただ、間抜けな自分の顔があるだけだった。
私は少しがっかりする。
「湖の妖精さん、寝てるのかな」
息を吐いて、そっと立ち上がった。
──いや、立ち上がろうとした。
「ヒヒンッ!!!!」
「──えっ!?」
突然、ケルピーさんの頭が現れたのだ。ケルピーさんは私をじっと見つめている。
多分、先ほど吊り上げたケルピーさんだろう。
口をぱくぱくさせて、私に何かを伝えようとしているらしい。もしかして、跨れって言ってる?
でも、ケルピーは跨った人間を水中に引き込んで食べる事もあるんじゃなかったっけ?
本当に跨って大丈夫なの?
でも、私は好奇心と、このケルピーさんなら大丈夫という根拠もない安心から──。
「……私、食べてもおいしくないよ」
そうポツリと言って、ケルピーさんに跨ってしまった。
ケルピーさんは馬鹿にしたように鳴くとすごい速さで水中に潜る。
「……むぐっ……!!!!」
息が、出来ない!! 当たり前だけど!!
どうしよう、どんどん深くなってる!! やっぱり私、このまま食べられる!?
私ってなんて馬鹿なの!?
ああもう、こんな間抜けな最期だなんて!
っていうかこの湖、深すぎじゃない!?
──もう、息が……。
その時だった。
水の中なのに、温もりを感じて。
ケルピーさんが離れていく。
──待って!!!
そう心の中で叫んで、手を伸ばしたが──。
その手はケルピーさんには届かず、誰かに掴まれた。
「ッ!!?」
「もう呼吸は出来るだろう。深呼吸をするがよい」
「あな、たは……はぁっ!!? は、はぁ、」
息、出来る!!
どうして? 水中なのに!!
まるで、転生する前のあの空間みたい……。
私の腕を掴んでいたのは、ドリアードさんだった。
「──って、え!!? ど、どどどどドリアードさん!?」
「妾をあんな土くさい女と一緒にするでない。妾はこの湖の
私は宙を浮いている感覚をちょっぴり楽しみながら、ニクシーさんの顔をまじまじと見つめる。
「えぇ、でも、ドリアードさんとそっくりだよ?」
「妾はこの森に点在する湖の精だからな。あやつと妾は一心同体も同然よ。人間でいうならば双子か」
「えぇ!? ドリアードさんの双子? ドリアードさん、そんな事教えてくれなかった!」
「あの女は其方という友人が出来たと妾に自慢しまくってきたからな。妾に其方を取られたくなかったんだろう」
「ふぅん。それで、ニクシーさんは私に何か用なの? ここは一体……」
「魔法だ。自分の顔の周りをよく見てみろ」
「? あ、この大きな泡?」
「そう。その其方の顔を覆っているのは妾の泡魔法よ。その泡から顔を出さない限りは呼吸の事は案ずるな」
「へぇ、魔法ってこんな事も出来るのね」
私は私の顔を覆うシャボン玉を突いていると、ニクシーさんがわざとらしく咳をする。
「こほん。では、久々の客人だ。ゆっくりしていくとよい」
「? は、はぁ。えっと……」
「エレナ。それが其方の名前だったな」
「は、はい」
ニクシーさんは何度も私の名前を呼ぶ。
私がその度に返事をすると嬉しそうに顔を綻ばせた。
あ、笑ってる顔は特にドリアードさんにそっくり。
ドリアードさんとニクシーさんの違いって髪の色くらいなものだろう。
ドリアードさんはエメラルドグリーン、ニクシーさんはマリンブルー。
「ほら、この岩に座るがよい。あ、痛かったらすぐに言うのだぞ」
「ありがとうございます」
「腹は減っておるか? おるな!! よし、今すぐに用意しよう!!」
「え、あ、あの」
「おい!! 魚達よ!! セントウを持ってこい!!」
「へい」
「うわ!?」
ニクシーさんがそう高らかに言うと、どこに隠れていたのか、岩の影という影から魚達が溢れてきた。
み、湖に魚ってこんなにいるんだ……。
し、しかも、よく見たら──この魚達、人面魚だ!!!!
「ニクシー様、セントウです」
「うむ。大儀である」
「に、ニクシーさん? これは?」
人面魚の一匹が大きな桃を頭に乗せてやってくる。
私はそれを受け取ると、ニクシーさんと交互に見比べた。
「あぁ、この湖の秘宝だ。東の方からやってきた風の妖精にもらったものでな。ドリアードには内緒のものだ」
「も、もしかしてそれって、無限に湧いてくる食料……?」
「うむ。このセントウの事じゃな」
これが……!?
私は唾を呑みこみ、ニクシーさんの許可を得てその桃を齧る。
──こ、これって!!
思わず、涙が出た。
「ど、どどどどどどうしたのじゃ!!?」
「…………、っひく」
ニクシーさんからもらったセントウは桃なのに卵焼きの味がした。
そう、この独特の味は──前世で──。
両親がいなくなって泣いていた時、私を引き取ってくれた叔父さんが作ってくれた味だった。
叔父さんとの思い出はそれだけといってもいい。
でも私にとっては嬉しくて、嬉しくて──。
「ニクシーさん、このセントウの味って……」
「あ、あぁ。このセントウは自分の一番の好物や今食べたいと思ったものの味に変わるという摩訶不思議な食べ物だ」
「────、」
私は黙って齧っていく。
叔父さんの卵焼きの味が段々とアドっさんのいつもの料理の味に変わっていった。
途中で、赤ちゃんの頃、アムが試行錯誤して作ってくれた離乳食の味もしたかもしれない。
私は唇を噛みしめ、涙を拭う。涙は水の中に溶け込んでいった。
「素敵な食べ物だね。こんな素敵なものをありがとう」
「お、おぉ、よかった。泣くほど喜んでもらえたのなら……」
ニクシーさんはほっと胸を撫でおろす。
「ニクシーさん、このセントウって本当に無限に育てられるの?」
「そうじゃな。このセントウは魔力を吸い取り、それを養分として育つ。この森は魔王殿の恩恵もあるから尽きるはずがなかろう?」
「育て方は?」
「実際に見てもらった方が早かろう」
するとニクシーさんが口笛を吹いた。
聞き慣れた鳴き声がそこらへんに響く。
「あ、ケルピーさん!?」
「おぉ、そういえば我が愛馬が世話になったようじゃの」
「ヒヒン!!」
ケルピーさんが不満げに私を見る。
私は苦笑した。
「ごめんごめん、食べようとした事怒ってる? よね……」
「はっはっはっ! この馬鹿馬が後先考えずに餌に喰いついたのが悪い。さて、こいつに乗れ、エレナ!」
少し怒っているケルピーさんに跨っていいのか迷う。
するとケルピーさんが痺れを切らしたように自分から私を乗せてくれた。
「人間は水中で歩くのが下手くそらしいからのう。こっちじゃこっちじゃ」
ケルピーさんとニクシーさんに連れられるまま、水中を進んでいく。
すると、ここが水中だというのに明るい理由が分かった。
地面から生えている桃が、輝いているのだ。
しかも地面を覆い尽くすんじゃないかという程ぎっちり詰めて生えてある。
「このように魚達に食わせても食わせても生えてくる。最初は種一粒だったのにな」
「蔓みたいなのが伸びて、その先に実がなってる感じかな。不思議……」
「妾も色々試してはいるのだが、その育て方はよく分からん。ただ勝手に生っている」
「もしかしたらこの桃を調べたら……テネブリスの食糧難をどうにか出来るかもしれない!!」
私はニクシーさんの両手を握った。
「ニクシーさん、お願い!! このセントウを何個かもらえないかな!? 今、テネブリスが食料のことで困っていて人間を襲って強奪しているの!! 私はそれを止めたい。そのためには、このセントウが必要なの!!」
「う、うむ!? よ、よくわからんがこのセントウを分けるのはいい。だが、条件がある」
「なに!!?」
ニクシーさんは急に態度を変え、もじもじし始める。
その顔は少し赤い。
ケルピーさんが促す様にニクシーさんの背中を頭で押す。
「ど、ドリアードだけではなく、わ、妾とも……友人に……なってほしいのじゃ」
私は「へっ?」と拍子抜けてしまう。そ、そんなのでいいの?
「えっと、ごめんねニクシーさん」
「!」
「もう私、貴女とはお友達だと思ってたよ……」
ニクシーさんが一瞬、石のように固まり──みるみる血色のいい肌の色へと変わっていく。
人面魚たちがそんなニクシーさんの心を表現するかのように舞い出した。
──こうして、私はニクシーさんというお友達も出来た上に、セントウという救世主になりうる桃も手に入れた。
このセントウが本当にテネブリスを救ってくれるかは分からない。でも、賭ける価値はあると思う。
夜が明けたら、セントウを持って行って、パパに会いに行こう。
……大丈夫、パパはきっと分かってくれるはずだから。
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