第5話壷公

病院を後にした私たちは事件現場にむかうことにした。

すべての手がかりは現場からである。

かの名探偵に教わった言葉だ。

知的な笑みを浮かべ、パイプから紫煙をくゆらすあの人の顔が頭をよぎった。


事件現場はとあるホテルの一室であった。帝国陸軍が高級士官の宿舎用に借り上げたものである。

最後の一人が殺された部屋であった。

他の現場はすでに片付けられているということであった。

文句の一つもつけたいが、戦時中なのでこれも仕方がないことなのか。

残りの現場に関しては写真をファイルしたものを南部から受け取っている。


若い下士官に案内され、私たちは殺人現場となった部屋に入った。


ごく普通のホテルの一室であった。

調度品も少なく、ベッドも少し荒れている程度であった。

壁際には古びた壷が一つ。

窓は空気が入れかえできるようにほんのすこしだけ空くしくみになっていた。


「ここだけの話ですが、殺された将校殿ですが、当夜女性と一緒でした」

絵にかいたような侮蔑した顔で下士官は言った。

「黙っておいてくださいね」

そう下士官がいうので、私はもちろんと答えた。


「自室に女をつれこんで、殺されたとは帝国軍人の面汚しだな」

私は学に言った。

「そうだな」

やる気のなさそうに学は答える。


キョロキョロと早瀬は部屋の中を見渡していた。

「さすがにこの窓からはにげれませんよね」

窓の隙間から外を眺め早瀬は言った。

「将校がつれこんだという女性が十中八九容疑者にちがいない」

私は言う。

部屋は鍵がかかっており、あまりにも起床が遅いので不信を感じた下士官がドアを外から開け、中にはいるとそこには干からびた死体だけがあったという。

パラパラとファイルをめくり、早瀬は交互にファイルの中身と室内を見渡していた。

「共通点がありますよ」

と言った。

そしてある一点を指差す。

その先にあるのは古びた壷だった。

学と私は早瀬の持つファイルを覗きこんだ。

そこにある写真にはこの部屋にある壷と同じものが写し出されていた。

「しかし、それがどうしたというのだ。あんな壷、どこにでもあるだろう」

私は早瀬に言う。

同じ壷だからどうというのだ。

サングラス越しに学は壷を見る。瞳が紫色に怪しく輝く。

「すこしだが、霊気を感じる」

と言った。

壷に近づき、学はそれを両手で挟んだ。

「わかったような気がする。どんなに不可解なことでも不可能を除外していったものが真実だ、そうですね姉さん」

かのロンドンの名探偵と同じ事を学は言う。

「壷公の故事を知っていますか?きっとこれがその魔法の壷ですよ」

そう言った後、学の瞳はさらに輝きを増す。

「へえ、これで防御してるつもりなんだ」

さらに学の瞳は輝く。

「解呪」

そういうと学は私のほうを見た。

「さあ、いきましょう」

私の手と早瀬の手を学は掴む。


壷がギラギラと輝く。


前が見えない。


私たちは壷に吸い込まれた。


唐書に一つの故事がある。

とある薬売りの老人がもっている壷は別世界につながっており、そこにまよいこんだ客が不思議な経験をするという物語である。


誰かが私の肩を揺らしていた。

姉さん。

姉さん。

起きて、姉さん。


私は意識を取り戻した。


暖かい日差し。

鳥のさえずりが聞こえる。

あたり一面に花が咲き乱れている。

所々に緑ふかい木が生えている。

「ここは、どこだ?」

私は学にとう。

早瀬が横で頭を左右にふっていた。

どうやら、彼も意識を取り戻したようだ。

ずれたメガネをかけ直していた。

「ここは壷の中の世界ですよ」

と学は言った。

「まさか……」

「そのまさかですよ」

腰を抜かしていた早瀬が立ち上がる。

「そうか、犯人はこの世界を利用して逃亡したのか。将校を殺害したあとこの世界にはいり、ほとぼりがさめたころに外界に出る。しかし、無茶苦茶だな」

と早瀬は言った。

「そんなところだろう」

ふっと小さく彼は笑う。

軍帽をかぶりなおし、学が言う。

学の手をかり、私も立ち上がる。


「へえ、ここにこれるんだ」


女の声がした。

私たちはその声の方向を見る。

そこにいたのはあの給士の少女だった。

龍の描かれたふかいスリットはいったチャイナドレスを着ていた。

隙間から見える生足が扇情的であった。

大きく形の良い胸元の前で腕をくんでいる。

そして、彼女の背中には不似合いで凶悪な青竜刀が背負われていた。





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鬼の啼き声 南京占領編 白鷺雨月 @sirasagiugethu

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