第35話 新婚旅行

 新婚旅行は一泊二日、軽井沢の山の居ホテルという五ツ星ホテルに宿をとった。


 このホテルは、本館ももちろん格式があり立派であるが、離れがまた格別だった。人工の湖を囲むように数棟たっており、それぞれコンセプトがあり、下手なスウィートルームよりもゴージャスな造りになっている。

 離れはなかなか予約がとれないので有名だったが、上条グループのコネを最大限使い、無理やり予約をねじ込んだのであった。


「上条様、奥様、ようこそお越しくださいました。山の居ホテル若女将でございます。この度は、新婚旅行とお聞きいたしました。おめでとうございます」


 ホテルに入ると、着物姿の艶っぽい若女将が出迎えてくれる。

 荷物は、すでに車を下りた時点でホテルのベルボーイが運んでくれていた。


「無理言ってすまない」

「とんでもございません。さあ、どうぞ。お部屋にご案内いたします」


 若女将に案内されて、一番奥の離れに通される。


 和モダンな洗練された外観で、引き戸を開けて入ると、内装はモスグリーンとブラウンで統一されていた。広い居間と、それに続く寝室、寝室からは和テイストの庭に出ることができ、庭には露天風呂があり、暖かそうな湯気をたてている。


「凄い、なんか非日常だね」


 部屋にはすでに荷物が運ばれていて、若女将はお茶をいれるとお辞儀をして出ていった。

 離れと離れはかなり離れているため、森の中に二人きりのような静けさだ。


「どうする?軽井沢の町に出てみるか? 」

「何があるの? 」

「旧軽井沢銀座とか、ショッピングモールとか……、白糸の滝だったかな? 滝もあったな。スキー場もあるな」


 事前に調べておく時間などなかったから、睦月はうろ覚えの知識で答える。


 本来の目的は、セックスであったのだから、観光とかは二の次三の次……どうでもいいというか、この旅行を決めたときにはプランに入ってすらいなかった。

 けれど今は、夏希がまだセックスできる状態にないと思い込んでいるので、睦月は旅行を精一杯楽しもうと思うことにした。


 一方夏希は、睦月の浮気( 勘違い )に傷ついてはいたが、マリッジリングでかなり復活していた。


 何があったかはわからないが、睦月は自分を選んでくれたのだし、この指輪が証明してくれている。今晩、睦月と本当の夫婦になるのだし、きっとこれから先は自分だけをだいてしてくれるはずだ。そう信じることにしたのだ。


「軽井沢銀座って、聞いたことある。お土産とか買えるんだよね。これは明日行こうよ。今日は……白糸の滝? 行ってみたい」


 夏希は、スマホで調べながら答える。


「了解、行ってみるか」


 他にも、千ヶ滝、竜返しの滝を見て回った。適当に見つけた蕎麦屋で、遅い昼食をとる。冷えた身体には、暖かい蕎麦がなによりもご馳走だった。


 午後は石の教会を見て、夕方にはホテルに戻ってきた。


「寒かったね! 」


 途中でホッカイロを購入し、おなかと背中に貼ったけれど、冬の軽井沢、その寒さは半端なかった。

 睦月は、ポケットの中で夏希とつないでいた手を出すと、夏希の手ごと息を吹き掛けた。


「全くだ。部屋は天国だな」


 真冬の軽井沢、普通なら絶対出歩こうなんて思わない睦月だが、雪に喜んだり、滝に感動したりしていた夏希を見ると、ついついもっと見せてやりたくなり、色々と見て回ってしまった。


「風呂、入ったほうがいいな。温まらないと風邪ひく」


 この離れには、檜の内風呂と石造りの露天風呂があった。どちらも、家族で入れそうなくらい広い。


「外は寒いからな、夏希は内風呂に入れよ」


 一緒に入らないの?


 戸惑う夏希を置いて、睦月は一人で露天風呂に向かってしまった。


 もちろん、睦月だって一緒に入りたい! 心の底から熱望して、叫びたいくらいだ。

 でも、目の下に隈まで作って、睦月とセックスすることを悩んでいる( 勘違い )夏希の気持ちをくんでやりたかった。自分は少し……かなり、我慢すればいい。夏希を傷つけたくなかった。


 睦月は、部屋で服を脱ぐと、タオルをまいて露天風呂に急いだ。

 外は半端なく寒かったが、露天風呂は天国だった。すでに辺りは暗く、満天の星空が広がる。

 東京では見られない空だった。


 一緒に見たら、きっともっと綺麗なんだろうな……。


 湯船に足を伸ばし、頭を石に乗せて空を見上げる。


「空、綺麗だね」


 バスタオルをまいた夏希が、そんな睦月の頭の上から声をかけた。


「寒い、入っていい? 」

「あ……あ」


 夏希は、バスタオルをとって、睦月の横に入ってきた。


「温かいね! 」


 夏希が睦月の腕をとり、指をからませる。

 睦月は、空を見上げ、意識して夏希を見ないようにする。


 一緒に見たら……、空なんかに集中できるはずないだろう!


「露天風呂って、修学旅行ぶり。凄いね、普通に部屋に露天風呂がついてるなんて、無茶苦茶豪華だよ」

「そうか? 」

「うん。素敵な新婚旅行、ありがとう」


 夏希は、上ばかり見ている睦月の上に覆い被さるようにして、チュッとライトキスをする。

 睦月は、思わず夏希を抱きしめる。夏希も、睦月に身体を任せるように密着した。

 夏希の形のよい胸が見えて、ムラムラする前に隠そうと思って抱きしめたのだが、夏希の身体が密着し過ぎて、逆効果であった。

 夏希は目をつぶり、睦月のキスを待っている。その可愛らしい顔に、プクッとした唇に、睦月は引き寄せられるようにキスを繰り返した。

 理性の糸が、数ミリつながった状態で、睦月は夏希の身体を探索する。


 頭の中では、ヤバイ! ヤバイ! ストップだ、俺の手!! と叫びながら。


 ほんのコンマ数ミリの理性の糸が切れかけたとき、内線の音が鳴るのが聞こえた。


「電話だな」


 睦月は、露天風呂から上がると、身体を拭きつつ部屋に戻り、電話に出た。

 夕飯の準備をしてもよいかという確認の電話だった。


「夕飯だ。上がってこい」


 睦月は、浴衣の上に丹前を羽織り、露天風呂にいる夏希に声をかけた。

 夏希は、久しぶりの睦月の愛撫にのぼせそうになりつつも、火照った身体には、深々と冷えた外気すら気持ち良かった。少し火照りを冷ますために、露天風呂の淵に腰かける。

 なんとか火照りがおさまると、バスタオルで体を拭き、置いておいた浴衣を羽織る。


「こら、風邪ひくだろう。中で着替えろ」


 丹前を持ってきた睦月が、夏希に羽織らせる。


「かなり温まったから、全然寒くないよ」

「それは今だけ。ほら、飯だから中に入れ」


 夏希が部屋に戻ると、夕飯の支度は終わっていた。

 何人で食べるんだ? というくらい豪華な食事が並んでいる。テーブルの真ん中には舟盛りの刺身やカニが、その横にはすき焼きの鍋が、個々の前には酢の物や煮物、揚げ物など七品くらいが上品に小鉢に盛られていた。


「凄い豪華だね。全部食べられるかな? 」

「無理だろ。全部食べたら、確実に動けないな」


 動けないのも困るが、夕食後のことを考えると、満腹で膨らんだおなかじゃちょっと……と、夏希は少し怨めしそうに食事を眺めた。


 それでも結局、あまりの美味しさに夏希はかなりな量たいらげてしまった。

 睦月は、食事はつまむ程度で、主に酒を飲んだ。熱燗をクイクイ飲みながら、美味しそうに食べる夏希を見るのは楽しかった。

 最近の思い悩んだ風の夏希はなりをひそめ、今日行った場所のことを話している夏希は、ホントに楽しげに見える。


 こんなに喜ぶなら、いくらだって連れてきてやりたい。


「また、こような。毎月でもいいぞ」

「ほんと? でも、きっとたまにだからいいんだよ。睦月さんは、私を甘やかし過ぎるから。それに、こういう所も凄く素敵だけど、私は睦月さんと一緒にいられれば、おうちでまったりだって、凄く楽しいよ」

「俺も」


 睦月は、夏希の隣りに座ると、夏希を膝の上に乗せた。

 夏希は、いい感じに身体の力を抜き、睦月によりかかる。


「睦月さんが一週間いなくて、凄く寂しかった」

「俺もだ」


 睦月は、夏希の頭に顔を埋める。


「あ、まだ頭洗ってないから」

「夏希の匂い、いい匂いだ」


 睦月は、頭の匂い、首筋の匂い、胸元の匂いと嗅いでいく。


「待って、待って! お風呂! ちゃんと洗ってくるから」

「わかった。じゃあ、その間に夕飯片付けてもらうな」


 夏希は内風呂に入り、睦月は内線をかけて夕飯が済んだことを告げた。


 夏希を待っている間、寝室のベッドに横になる。

 セミダブルのベッドが二つ並んでおり、心地好い弾力で睦月を包む。

 昨日は完徹だったし、この一週間平均四時間くらいの睡眠しかとっていなかった。

 歩き回った疲れと、風呂につかり酒も入ったことから、自然と瞼が下りてくる。


 寝ちまうかな……。

 まだセックスできなさそうだし……。

 それにしても、あそこまでクリアしてたら、できそうなもんなんだがな……。

 あと……ちょっと……。


 夏希が風呂から上がってきた時には、睦月がベッドで爆睡していた。


「睦月さん? 」


 夏希は、睦月の肩を揺する。


「ねえ、睦月さんってば! 」


 全く起きる気配がない。


 嘘でしょ?!


 夏希は、今日、ここで、睦月と結ばれるんだと、覚悟はできていた。覚悟どころか、期待すらしていたというのに!


「何で寝ちゃうの?! 」


 引っ張ったり叩いたりしてみたが、睦月の目は閉じたままだ。

 夏希は諦めて、睦月の横に滑り込んだ。

 寝ている睦月に抱きつくと、睦月も寝たまま夏希を抱きしめ、頬擦りしてきた。


「……夏希……好きだ」


 寝言で夏希の名前を言う。


 まあ、しょうがないか……。仕事、大変だったもんね。


 夏希は、睦月の顎にキスをすると、すぐに眠りについた。

 夏希も、最近あまり眠れていなかったから、睦月の体温を感じながら、久しぶりに熟睡することができた。

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