第33話 夏希の勘違い
「お疲れ様です」
さっき、書類にサインをもらいにきた秘書が、廊下に立っていた。
「どうも……」
夏希は、胸元の社員証に目を向けた。
夏希は、その名前をしっかりと頭に入れる。
「毎日大変ですね」
「いえ、まだ家事が仕事ですから」
清香は、薄ら笑いを浮かべる。
「仕事……ですか? 」
「はい」
「いろんな仕事がありますね。羨ましいですわ」
「はあ……」
何が羨ましいのか?
毎日家でぐだぐだしていると思っているんだろうか?
それとも、睦月さんのそばにいること……だろうか?
「社長、おうちでもあんな感じですか? 」
あんな感じがわかりませんけど……。
清香は、何か含みがあるような言い方をし、夏希のそばに歩み寄る。
「社長、仕事もワンマンですけど、何かと荒々しいですよね。自分勝手というか……。身体、もたなくないですか? 」
それは、夜の生活のことだろうか?
つまり、自分は睦月とセックスしたからわかるけど……と、そう言いたいの?
夏希の心に、冷たいトゲのような物が刺さった。
清香は、クスクス笑うと、夏希の全身を上から下まで一瞥する。
「では、失礼いたします」
夏希は、清香が秘書室に入るまで、その後ろ姿を見つめた。
睦月を信じたい気持ちと、信じきれない気持ちがせめぎ合う。
睦月がもてるだろうということはわかる。少し強面だけど、ワイルドなイケメンだし、見た目は厳ついのに、でも性格は凄く優しくて、たまにちょっと……かなりHだけど、ちゃんと私の気持ちを考えてくれてて、自分勝手ってことは決してない。まだ本番もしてないのに、身体がもたないかも……と思うことはあるけど。
もちろん、夏希と知り合う前の睦月の女関係まで文句は言いたくない。モヤモヤするし、嫌なことには代わりはないけど、しょうがないことだから。
これだけ美人な秘書達が回りにうじゃうじゃいたら、何人かとは関係があったかもしれない。
それはしょうがない。
過去のことであるならば。
でも、さっきの匂いは……?
「夏希さん、どうかした? 」
ボーッと廊下に立ち尽くしていた夏希に、秘書室から出てきた弥生が声をかけてきた。
「いや、なんでも……。弥生さん、あの……、山下さんって……」
「山下? 秘書課の? 」
「ううん、なんでもないです。お邪魔しました! 」
夏希は、ペコンとお辞儀をすると、回れ右をしてエレベーターに向かう。
それでなくても忙しい弥生を、くだらないやきもちで煩わしてはいけないと思ったのだ。
弥生は、そんな夏希の後ろ姿を見て、ピンとくるものがあった。
山下清香、去年秋前に社長と関係のあった秘書で、当時かなり自慢気に社長の愛人になったと言いふらしていた。ただ、関係は数回で終わったらしく、社長から清香を誘うことはなかったはずだ。
清香は、それでもまだ関係があるようなフリをしていたが……。
確か、昨日は清香は泊まりだったはずだ。まさかとは思うが、社長が清香に?
弥生は、社長室の扉をノックした。
「入れ」
「失礼します。」
睦月は、書類にサインしまくっていた。
「社長、ちょっとよろしいですか? 」
睦月は、書類から視線を上げないまま、うん? と聞く。
「山下と何かありましたか? 」
弥生は、回りくどいのも時間の無駄だと思い、単刀直入に聞いた。
「山下って誰だ? 」
「秘書課の山下清香です。去年、社長と関係のあった」
山下?
昨日の秘書か。そうだ、そんな名前だったな。あの三つ黒子の。
睦月は、やっと名前を思い出した。
「昨日か? 何かあるわけないだろう。俺が何のために、こんなに必死で仕事してると思ってるんだ」
くだらないことを聞くなとばかりに、視線を上げ、弥生を睨み付けた。
普通の社員なら、睦月に一瞥されれば竦み上がってしまうのだが、弥生は特に怖がる様子もなく受け流す。
「まあ、そうですね。失礼いたしました」
「そんなくだらないことのために来たのか? 仕事しろ! 」
清香には後で釘をさす必要があるだろうし、夏希には夕方お弁当を持ってきた時にフォローをすればいいかと、弥生は睦月には何も言わずに社長室を退出した。
一言睦月に話していれば、夏希の勘違いはすぐに否定されたのかもしれないが……。
夕方、夏希はいつも通り、お弁当を持って会社を訪れた。
「あと三日の辛抱だな」
睦月は、社長室に夏希が入ってくると、夏希をハグしに席を立った。
「そうだね……」
夏希をハグすると、いつもよりも夏希の身体が強ばっている気がした。けれど、睦月もいい加減疲労もたまっていたし、いつもなら気がつく変化にも、鈍感になってしまっていた。
「睦月さん」
「うん? 」
夏希は、お弁当を出しながら、なるべく普通な感じで聞いてみた。
「睦月さんってさ、私と付き合ってから、その……セックスってしてないわけじゃない? 」
「まあ、そうだな」
睦月は、頭の中でいつからしてないか計算してみる。
自分でも、よく我慢できてると思う。こんなにしてないのは、それこそ初体験をした中三の夏から、一度もないことだ。
「あのさ、我慢できない……ってことはないの? 」
夏希的には、我慢できなくて、他の女に手を出したくならないのか? と聞きたかった。
睦月は、我慢できなくて、出したくならないのか? つまりは一人Hしたくならないのか? という意味にとった。
「そりゃ、我慢はできないよ。まあ、男だからな。たまるものは出さないと……」
夏希の表情が強ばる。
「いや、まあ、正常な男なら、誰だって( オ○ニー )するもんだと思うし」
「( 浮気 )しない人もいると思う!」
「いるかもしれないが……」
強く言う夏希に、睦月は多少たじろいでしまう。
「でも、俺は夏希とやってるのを想像して( オ○ニー )してるわけで……」
「私とできないから( 浮気 )したって言うの?! 」
「( オ○ニーも )ダメなのか? 」
「( 浮気なんか )ダメに決まってるじゃない! 」
全く話しが噛み合っていなかったのだが、会話が成立していた。
半泣きの夏希を、睦月は抱きしめて、よしよしと頭を撫でる。
「わかった、夏希がそんなに( オ○ニーが )嫌だとは思わなかったんだ。これからは自粛して、なるべく我慢するようにするから」
「なるべくじゃなく、絶対( 浮気は )ダメ! 」
「わかった、わかった」
まあ、後三日の辛抱だし、夏希とできるようになれば、一人Hなんてさよならだ!
睦月は、夏希を抱きしめた後ろで拳を握り、早る気持ちを押さえていたし、夏希は、清香と昨日関係したかどうかは聞けなかったが、とりあえず浮気はしないと約束させたことで、モヤモヤする気持ちを押さえつけようとしていた。
睦月は、そんな勘違いを夏希がしているとは露程も思わず、呑気に夏希の弁当をたいらげた。
「じゃあ、また明日」
「気をつけて帰れよ」
「うん。……約束だからね。( 浮気しないでね? )」
「わかってる。( オ○ニーしないよ )」
夏希は、念を押してから社長室を出た。
社長室の外で待ち受けていた弥生が、出てきた夏希に声をかける。
「夏希さん、ちょっといいかしら? 」
「はい? 」
弥生は、夏希を給湯室に引っ張ってきた。
「あのね、山下清香のことなんだけど」
夏希の笑顔が強ばった。
「彼女が何言ったかわからないけど、あの子、誇張して言う悪い癖があって……」
誇張……ってことは、全くの嘘ではないってこと?
それから、弥生が何やら話していたが、夏希の頭の中には、一言も入ってこなかった。
睦月さんは、昨日あの子と……。
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