第31話 夏希の補充完了

「ここだよね……? 」


 夏希は、大きなビルを見上げていた。

 このビル一棟が、睦月の会社の本社だ。一階の一画には、コンビニやお洒落なカフェなんかも入っている。

 人の出入りが激しく、夏希はかなり戸惑っていた。


 もう夕方の六時、帰宅する社員が多くてもおかしくない時間だが、そんな感じには見えない。

 睦月の会社はフレックスタイム制を導入しており、コアタイムは十一時から十七時まで、休み時間抜きでトータルで八時間働けばいいことになっていた。休み時間は好きにとってよいことになっている。

 なので、今から商談に出かける人や、帰ってきた人、帰宅する人などが、ビルの入り口を往来していた。


 ビルに入ると、入り口正面に受付嬢が三人座っていた。

 三人とも姿勢が良く、絶えず笑顔を浮かべている。


「あの……」


 なんと取り次いでもらえばいいか? 夏希は、電話してから来れば良かったと後悔した。

 会社の人もいるだろうからと、一応メイクして、綺麗めな格好をしてきたものの、あくまで部屋着の中では……というレベルで、回りからは浮いてしまっている。


 受付嬢は、チラッと夏希を一瞥すると、笑顔を崩すでもなく、立ってお辞儀をした。

「ご来社ありがとうございます。わが社の者と、事前にアポイントメントはございますでしょうか? 」

「アポイントというか、お夕飯を持ってきたんですが……。今日は泊まり込みなので」

「社員のご家族の方ですか? お疲れ様でございます。部署とお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか? 」

「部署……というか、名前は上条睦月さんです」

「上条……」


 隣りにいた受付嬢が、うちの社長よ! と耳打ちする。


「わが社の社長の上条でよろしいでしょうか? 失礼ですが、お名前は? 」

「如月夏希です」


 受付嬢は、何か手元の書類を確認する。


「大変申し訳ありませんが、如月様のお名前は、本日の面会リストにはないようなんですが。事前アポイントメントのない方は、お通しできない決まりになっております」

「あの、お弁当を持ってきただけなんですけど……」

「決まりですので……」


 怪しい女と思われたようだ。


 電話すればいいかな?


 ここで受付嬢を困らせていてもしょうがないし、電話して取りに来てもらえばえか……と、夏希は受付嬢に取り次いでもらうのは諦めることにした。


「そう……ですか。すみません、お邪魔しました」

「夏希ちゃん? 」


 いきなり、肩を叩かれて振り返ると、皐月が後ろに数人取り巻きを引き連れて立っていた。


 受付嬢はみな立ち上がって、深くお辞儀をする。


「皐月さん。この間はありがとうございました」

「いや、君も入院になっちゃったんだって? 大変だったね。今日はどうしたの? 睦月兄さんに用事? 」

「はい、お弁当届けに。今日は泊まりらしくて」

「そうなの? じゃあ、入りなよ。君、社長室に連絡して」


 受付嬢は、慌てて受話器をとる。


「じゃあね、今度おうちにお邪魔するね。葉月兄さんが、夏希ちゃんのご飯は旨かったって自慢するんだよ。ぜひ、僕もご馳走になりたいから」

「いつでもきてください」


 皐月は、バイバイと手を振って会社を出ていった。


 副社長と親しげに話しているぞと、回りはざわついて夏希を見ている。


 受付嬢が内線で確認を取っている間、夏希は居場所なさげにお弁当の入った袋を抱きしめていた。


「夏希! 」


 右端のエレベーターが開き、睦月が走ってきて夏希を抱きしめた。

「睦月さん、会社! 」

「ああ、そうか」


 秘書がくるかと思いきや、社長本人が現れたものだから、受付嬢達は最初ポカーンと睦月達を見つめ、思い出したように慌てて頭を下げた。

「腹へった!上に行こう」

「私は、邪魔になるから……」

「飯くらい、ゆっくり食えない社長なんて、クソだ! 辞めてやる! 」


 社員が辞めたら会社はどうなる?! と、周りにいた人間がギョッとして睦月と夏希を見ていた。その視線を気にしつつ、夏希は睦月の袖をひく。


「わかったから、そんなこと言わないの」


 睦月は、よほどストレスがたまっているのか、ぶつぶつ文句を言いながら、夏希のウエストに手を回した。


「そうだ、こいつがきたら、すぐに社長室に通せ。俺の嫁になる女だ。いつでも、誰がきてても構わん」

「かしこまりました」


 ざわめきが広がる。会社内のほぼ全員に、社長結婚! のメールが回ったのは言うまでもない。


 睦月は、夏希の肩を抱いて、右端のエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターが閉まると、睦月は激しく夏希の唇を求める。


「む……睦月さん……ウン……、誰か乗ってきちゃう」

 睦月は、夏希の首筋にキスをし、ワンピースの下から手を入れようとする。


「ダメ! 本当に人がきちゃう」

「このエレベーター、俺専用だから」

「でも……」


 夏希はカメラの存在に気づく。


「カメラ! 監視カメラあるじゃない! 」

「録画だよ。誰も見てないって」

「ダメったらダメ! 」


 睦月は、ムスッとして夏希のスカートから手を出した。


「夏希が足りないのに! 」


 夏希をギュッと抱きしめた。


 エレベーターが最上階につくと、睦月は、赤い絨毯の上を歩いていき、第一秘書課と書かれた部屋のドアを開けた。


 中にいたのは、女性七割、男性三割くらいで、女性が多いものの、男性も働いていた。

 どの女性も若く綺麗なのは、それも秘書としてのスキルに必要なんだろうか? と、夏希はモヤモヤする物を感じる。


「一時間食事休憩! 絶対に邪魔するな! 」

「社長、三十分でお願いします」


 弥生が、にこやかに言う。


「一時間! 」

「三十分です。お休みはいりませんか? 」


 睦月は、秘書課全体をギロッと睨み付けると、おもいっきり扉を閉めた。


「クソ! 」


 睦月は、夏希の手を握って社長室に入ると、念には念をいれて鍵を閉める。

「夏希ー! 」


 睦月は、さっきまでの不機嫌なドスのきいた表情を一変させ、夏希のことを抱き上げ、その胸に顔を押し当てた。


「夏希の補充しないとな」

「睦月さん、食事、食事」


 五分ほど夏希の匂いを堪能した睦月は、やっと夏希を解放してくれた。


 夏希は、応接テーブルにお弁当を広げ、保温ポットに入れてきた味噌汁をよそう。


「そうだ、美月は? おふくろ来たか? 」

「いらっしゃったよ。……なんか、とりあえず……、四月までは家に帰りなさいって……、連れて帰ったけど。ウ……ン」

「なんで四月? 」


 睦月は、右手でお弁当を食べながら、左手で夏希を触るという、かなり器用なことをしていた。睦月が嫌だからではなく、場所が場所だから夏希はその手をブロックしていたが、その力強く大きな手を完全に拒絶することができない。

 第一、夏希だって睦月に触って欲しいのである。触るだけじゃなく、その先だって……。

 しかし、扉の向こうでは、人が歩き回る音が聞こえる。

 

「ダメダメ……。外に聞こえちゃう」


 つい睦月に触られると、はしたない声が出てしまいそうで、夏希は本気で睦月の手を押さえ込んだ。

「だって、そんなに可愛いかっこしてくるからだぞ。スカートなんてレアじゃないか」

「次はジーンズはいてくる! 」


 夏希は、スカートを押さえて、真っ赤になりながら睦月の胸を叩いた。


 もうこないから……じゃないのな。


 睦月は、優しく夏希にキスすると、ギューッと抱き締めた。


 夏希の補充は完了したようだ。

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