第29話 退院と婚姻届
退院した日、家で睦月達を出迎えてくれたのは、美月だった。
そうだよね、いるんだよね……。
二人で入院してたし、もしかしたら美月は実家にとどまっているんじゃないか……と、淡い期待もなんのその、一週間の間睦月宅を満喫した形跡が凄まじかった。
どうしたら、こんなに汚せるんだろう?
汚部屋と化したマンションに足を踏み入れた途端、夏希は病院にUターンしたくなった。
「また、凄まじいな……」
「うーん、なんでだろう? 」
美月は首を傾げ、部屋を見回す。
片付けるという習慣がないんだろうな。
出したら出しっぱなし、食べたら食べっぱなし、やったらやりっぱなし。さすが御曹司……。
「と……とりあえず、片付けるから、二人とも書斎にでも避難してて」
洗濯機を三回回し、ゴミ袋は五つ出し、冷蔵庫の中も整理する。掃除機をかけてから、拭き掃除を二回、トイレ掃除に風呂掃除。
掃除をしながら、美月の一人暮らしは確実に無理だと確信する。
やはり、四月から同居しかないのか?
昼過ぎに帰ってきて、部屋が元に戻ったのは十八時。なんとか夕飯の仕度も、残っていた食材で間に合った。完璧に冷蔵庫中身は空になったが。
「終わったよー。出てきていいですよ」
書斎をノックする。
「なっちゃんお疲れー」
汚部屋の元凶がニコニコと出てくる。その後ろから、苦虫を噛み潰したような表情の睦月が続く。
「どうしたの? 」
夏希はこっそり睦月に聞いた。
「いや、いつ横浜の実家に帰るんだって聞いたら、帰らないって言いやがって。しかも、四月から本格的にここに住むって……」
「大学が家から遠いみたいね」
「知ってたのか? 」
「睦月さんが入院した日に……。言いそびれちゃって……ごめん」
睦月は、ため息をついて夏希を抱き寄せた。
「ちょっと……睦月さん?! 」
「ウーッ! もう限界だ。よし、奥の手だ」
睦月はスマホを片手に、書斎に逆戻りした。
奥の手って何だろう?
夏希は首を傾げつつ、リビングへ向かった。
睦月が書斎から出てきたのは、それから十分ほどたった頃、すでに夕飯はテーブルに並べ終わり、夏希と美月は睦月がくるのを待っていた。
「睦月兄さん遅いよ! 」
美月がお箸を持ってブーブー文句を言う。
「悪い悪い」
さっきと違い、睦月は超絶ご機嫌だ。
食事中も満面の笑みで、美月と夏希は、そんな睦月を見て首を傾げる。
食後、睦月がリビングのソファーに座り、夏希を手招きした。
「どうしたの? 」
夏希は、夕飯の片付けの手を止め、睦月の所へ行く。
「印鑑あるか? 」
「私の? あるよ」
「持ってこい」
夏希は、言われるままに部屋に取りに行く。印鑑を取ってくると、テーブルの上に一枚の紙が置いてあった。
「これ……? 」
紙には、婚姻届と書いてある。
「本当は、俺の誕生日に書いて、夏希の誕生日に提出しようと思っていたんだが」
すでに、睦月の署名捺印と証人の欄には月子と葉月の署名捺印がされていた。
つまり、二人とも睦月と夏希の結婚を認めてくれている……ということで。
夏希の目から、涙がポロポロと落ちる。
睦月も美月も、いきなり泣き出した夏希の回りで、オロオロと慌ててしまう。
「泣くなよ」
「そうだよ、なっちゃん。……もしかして、やっぱり兄さんとの結婚が嫌になったとか? 」
「バ……、違うよな? 」
「嫌なら嫌でいいんだよ。あと四年待ってもらえれば、僕だって、睦月兄さんに負けないくらい稼ぐようになるし! 」
「おまえな……」
「違う……の。う……嬉しくて」
泣き笑いの夏希に、睦月はホッとしたように微笑み、美月は残念そうな表情になる。
夏希は、婚姻届に署名捺印し、その他の必要なところも書き込む。
「これを出せば、睦月さんのお嫁さんになれるの? 」
「あとは戸籍謄本かな? 身分証明書と。俺のは必要な書類はこっちにいれてある」
「私の誕生日に出すの? 」
「ああ、それまでに必要な書類上を用意しとけよ」
夏希は、うなづいた。
「なっちゃんの誕生日……、一週間後じゃん」
婚姻届に書いてある生年月日を見て、美月が手を叩いた。
そう、二月二日が夏希の誕生日だから、あとちょうど一週間後だ。
一週間後には、如月夏希から上条夏希になるんだ。
「まあ、結婚式は準備がかかるが、新婚旅行には行くぞ」
「新婚旅行! 」
夏希の表情がほころぶ。旅行なんて、高校の修学旅行ぶりだ。
これが睦月の奥の手か?! と、夏希は理解した。きっと、書斎で休みをとるために、電話をしていたに違いない。
「何? 海外? 」
睦月は、そこはちょっと眉を寄せる。
「夏希の誕生日から休みが二日しかとれなかったから、海外は無理だ。行けて、韓国とか中国……」
「私、パスポート持ってないよ」
「持ってないの?! 」
「まあ、海外に行く予定がなきゃ、パスポートとらないだろう。じゃあ、やっぱり国内だな」
「ね、ね、どこ行くの? 」
睦月は美月の問いに答えようとして、慌てて口を押さえる。
「内緒だ」
美月がついてきたら、せっかくの新婚旅行が、夏希との初Hがパアになってしまう。
「おまえ、絶対邪魔すんなよ」
「やだなあ、兄さん。新婚初夜の邪魔なんて、するわけないじゃないか」
睦月は、疑いの視線を美月に向ける。
最初は、母親の月子から避難するために睦月の家にきたんだろうが、今なお居座っているのは、絶対に睦月と夏希の初Hを邪魔するためだとふんでいた。
睦月がまだ夏希に手を出していないことを、葉月に聞いたのか、その豊富な経験から嗅ぎ付けたのかはわからないが。
ただ、美月は夏希に手を出そうとは考えていないようだった。
「ただ……一つ問題がある」
「問題って? 」
夏希が心配そうに睦月を見上げる。その可愛い表情に、睦月はムラムラっとなりつつ、一週間後には! と、つい表情も弛む。
「入院して休んだのもあって、休みをとった夏希の誕生日まで、会社に監禁状態になる」
夏希はの考えはビンゴで、さっき書斎で、秘書の弥生に電話していたのだ。
本当は、一週間休みたいと告げたのだが、静かに諭されてしまったのだ。その押さえた口調に、冷え冷えとした怒りを感じ、二日休むことでなんとか折り合いをつけてもらった。しかも、明日から会社に泊まり込んで、不眠不休で仕事をすることが条件で。
泊まり込むのは睦月だけではないので、はた迷惑な話しなんだが……。
「一週間いないの?! 」
美月の顔が輝く。
夏希は逆に不安そうだ。
そんな夏希を安心させるように、睦月は夏希の頭に手を置く。
「弁当、頼んでいいか? 会社まで持ってきてくれ」
「行っていいの? 」
「まあ、飯くらいは食う時間は貰えるだろうよ」
「お昼とお夕飯、持って行くね。あと、着替えとかも」
「頼んだ」
お風呂はどうするんだろう?
会社にお風呂ってあるんだろうか?
夏希は、ごく自然な疑問を持つ。睦月が銭湯に通うのも想像できない。
その答えは、後で美月が教えてくれた。
睦月の会社には、社員が無料で使えるジムやプールが併設されているらしい。仕事の途中でも、気分転換に利用可能なんだとか。他にも、ヨガスタジオや整体、アロママッサージからネイルサロンまで、全て無料らしい。
なので、ジムやプール利用者のために、シャワールームもあるらしく、風呂の心配は無用みたいだ。
なんか、凄い会社だ……。
夏希は、睦月の会社の名前は知っていたが、まだ本社を見たことはなかったのである。
明日から睦月が一週間いない……。
夏希は、その寂しさに耐えられるだろうか? と思った。
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