第22話 結婚?!
「ハア……」
信子は、ポカーンと口を開け、睦月の住むマンションを見上げた。
マンションにコンシェルジュがいるような高級マンションだし、ホテルのエントランスみたいな入り口に戸惑っているようだ。
「マンション…よ…ね? 」
「そうよ」
エレベーターで最上階を押すと、三人でエレベーターに乗り込む。
気まずい……。
三人で喋ることもないし、こういう狭い空間が一番辛い。
睦月を見上げると、睦月はさりげなく夏希の腰に手を回した。腰骨のところを、軽くトントンと叩いて夏希を落ち着かせようとしているようだ。
「どうぞ」
エレベーターを下りて、信子を家に誘導する。
「こんなマンション、初めて入ったわ」
「ここです」
睦月が鍵を開ける。
夏希は先に入り、スリッパを用意した。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
リビングに信子を通し、とりあえずお茶とクッキーを出した。
「ちょっと着替えてくるから。睦月さんも、スーツ脱いだら? 」
「まあ、そうだな」
二人は、各自の部屋に行き、普段着に着替えてきた。夏希はいつものTシャツにジーンズ、睦月はセーターに黒いズボンに着替えた。
「部屋、別なのね」
信子の前に座った睦月は、ああとうなづく。
「私は一緒のほうがいいんですけどね。家で仕事もしますし、私は寝るのが遅くなりますから」
「睦月さん、いつも通りでいいですよ。そんな、よそ行きの喋り方しなくても」
夏希がキッチンから言う。
「そうですよ。普段通りにして下さい」
「そうか。まあ、じゃあ遠慮なく。これから、長い付き合いになるんだしな」
「長い……。あの、失礼なようならごめんなさいね。なんでうちの夏希なのかしら? もっとお似合いなお嬢さんがいらっしゃるでしょう? もし、ただ物珍しいからとか、遊びみたいな感じなら……」
「お母さん! 」
夏希が睦月にコーヒー、自分用にミルクティをいれて持ってくる。
「確かに、夏希みたいな女は珍しいかもな。でも、遊びじゃないですよ。来年には結婚するつもりだし。まあ、式は準備があるから、来年末か再来年になるかもしれないが、籍だけなら来年頭にでも入れようかなと」
「はあ? 」
夏希は、睦月の隣りに座ってミルクティを飲んでいたが、いきなり結婚と言われて、吹き出しそうになる。
「ちょっと、何を言ってるの? 」
「何って、結婚の話し」
「来年頭って、今日は十二月の三十日ですけど? 」
「そうだな。だから、今日お母さんにお会いできて良かった」
「ちょっと待って! 私、プロポーズされてないけど」
結婚をにおわせるような話しは聞いたが、直にプロポーズはされていない。
夏希は、睦月の袖を引っ張り、自分の方へ向かせた。
「家族にも会わせたし、婚約指輪もやったろ? 新居選びの話しもしたじゃないか? 」
「あれ、婚約指輪だったの? 」
「受け取ったんだから返すなよ」
「でも、まだ結婚してくれって聞いてない」
夏希は、そこは重要でしょ?と、睦月につめよる。
睦月は、信子の前で夏希にライトキスをすると、夏希の手を握った。
「結婚するぞ。嫌か? 」
「嫌じゃない! 嫌じゃないけど……」
夏希は泣きそうになる。そんな夏希を抱き寄せ、背中をトントン叩く。
そんなことをされると、涙がポロポロ出てきた。
「というわけで、本気です」
「結婚って、あなたのご家族は?反対なさるんじゃない? 」
「いや、母親と兄弟には会わせたが、夏希のことは気に入ってる。父親は正月に会わせるが、問題はないな。うちは、母親に決定権があるので」
「はあ……」
こんなお金持ちと結婚って、うまくやっていけるんだろうか?住む世界が違いすぎるのに……と、信子は心配になった。玉の輿だ!とは素直に喜べない。
それでも、結婚を申し込まれて嬉し泣きをしている娘を見ると、反対する気持ちも起きなかった。
「わかりました。夏希、おめでとう。良かったね。あんた、今までの男運の悪さは、これでチャラになりそうだ」
「お母さん! 」
「だって、そうだろ? あんた、見る目なさすぎるから。今回は大丈夫みたいだね」
「お母さんってば! 」
夏希は涙も引っ込み、母親を黙らせようとする。
「ハハハ、知ってるから大丈夫だ。夏希、最初の時に全部ぶちまけたからな。おまえの男遍歴は、みんな聞いてる」
「エエッ!? 」
夏希は頭を抱えたかった。
絶対深酒はしないんだから!!
夏希は、本当に心から思った。
それから、夏希は夕飯を三人分に作り直し、その間に睦月は家の中を案内したり、マンションの設備を案内したりした。
マンション内には、ジムやプール、クリーニング店なども入っており、部屋に戻ってきたときには、信子はしきりに感心していた。
夕食後は軽くお酒を飲み、睦月は仕事をしに書斎へ引っ込み、夏希は自分の部屋に信子を連れて行った。
「お母さん、お風呂は? 」
「朝入ったからいいよ。お酒も入っているからね」
信子は、夏希の部屋をグルっと見渡すと、ドレッサーの上に置いてあった指輪に目が止まった。
「あれ? 」
「ああ、クリスマスに睦月さんに貰った指輪。婚約指輪だったなんて、聞いてなかったのに! 」
信子は、指輪を手に取ってみた。
「あんた、あんな大きなダイヤの指輪……。ホイホイくれるわけないだろ。バカだね」
信子は、この子は指輪の価値がわかっているんだろうか? と、少し心配になる。
「これ、たぶんマンションくらい買えるよ。前に芸能人が婚約指輪でつけてた、ハートのダイヤより大きそうだもの。あれが三千万とか言ってたかね」
「エエッ?! 」
驚く夏希に、信子は頭を抱えた。
「ほんとにこの子は……。睦月さんが可哀想だよ」
信子は指輪をケースにしまうと、夏希に手渡した。
「きちんとしまいなさい。出しっぱなしにするんじゃないよ」
「っていうか、こんなの、うちに置いていていいの? 銀行とかに預ける? 」
「知らないよ。睦月さんに聞いてごらん。家に金庫とかないの? 」
「ない……と思う。掃除してるときには見かけてないから。でも、書斎だけはノータッチなんだよね。あそこにあるのかな? 」
「明日にでも聞いてごらん」
「うん……」
とりあえずどこにしまおうか……と部屋を見回し、タンスの下着の間にしまった。
「あんた、本当に大丈夫なの? やっていけるのかい? 」
「う……ん」
それは夏希も心配だった。
彼女と妻とでは、責任が違いすぎる。たぶん、妻になったらパーティーとかにも出ないといけないだろうし、招待されるだけでなく、ホステスになる場合もありえる。
ハイソサイエティの人達と、対等に付き合えるとも思えない。
何より、睦月の株を下げてしまうのでは? と心配だった。
「呆れられる前に、子供でも早く作ってしまうんだね」
「そんな簡単に……」
「ちゃんと基礎体温は測ってるの? 」
「はい? 」
「避妊するにしろ、子作りするにしろ、基礎体温を測るのは基本だろ。ちゃんと動き出す前に、布団の中で測るんだよ。婦人体温計は持ってるのかい? 基礎体温の見方は? 」
いきなり子作りの話しになり、まさかまだバージンだ……とも言いにくい。
「そういうのは、時期がきたら考えるよ」
「バカだね。今がその時期だろ。って、まさか……」
信子は、じっと夏希の顔を覗き込む。
「処女なのかい? 」
夏希はカーッと赤くなる。
まさか母親と、そんな話しになるなんて、考えたこともなかった。
「いやね、あんたの前彼が、そんなようなこと言ってたから……。まさかとは思ってたんだけど。ほら、それなりに彼氏はいたみたいだったから。……康君とのことが原因かい? 」
夏希は肯定も否定もせずにうつむく。
信子は、大きく息を吐いた。
「そうかい。……お母さんが悪かったんだ。まだ小学生だったあんたを一人にして……。忙しさにかまけて、きちんとフォローしてあげれなかった。未遂だから……って、甘く考えてた私がいけなかった。あんたは傷ついていたのに……」
信子は、ホロッと涙を流す。
「いや、そんな泣くようなことじゃ」
「バカだね! 泣くようなことだよ。大事な娘が、ずっと傷を抱えてたのに、気がつかなかったバカな母親だったんだから」
信子が激しく泣き出し、夏希はそんな母親の肩に手を置き、泣き笑いになる。
母親との間にあった溝が、少し埋まっていくような気がした。
「お母さん、私は大丈夫なんだよ。大丈夫。睦月さんが、ちゃんと私と向き合ってくれたから、睦月さんとなら……いつか」
信子は、夏希の顔を見て、ホッとしたようにうなづいた。
「そう……かい。本当に、いい人に出会えたんだね。……後は」
「後は? 」
信子は、ピタリと泣くのを止めると、夏希の手をしっかり握った。
「あんたの父親! あいつに、絶対この結婚を知られたらいけないよ」
「お父さん? 」
父親とは、小学生の時以来会っていない。最低な人間ではあるが、夏希には優しかった。女癖が悪く、しょっちゅう女を連れ込んでは、夏希を部屋から出しているような父親でも……だ。
会いたいとは思わなかったが、元気で生きているんだろうか? くらいには思っていた。
「あの男、あんたが金持ちと結婚したとわかったら、何を言ってくるかわからないよ」
「だって、今まで連絡もなかったし、どこにいるかも知らないんだけど」
「もし連絡があっても、絶対無視しなさい! いいわね? 変な気起こして、会ったりするんじゃないよ! 」
それから信子は、どれだけ酷い男だったか夏希に言い聞かせ、念入りに釘を指した。
父親……ね。顔もあまり覚えていないんだけど。
写真は一枚も残っていなかったし、記憶もすでに雰囲気くらいしか覚えていなかった。
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