第7話 まずはハグから
「睦月さん、睦月さん」
夏希は、睦月の寝室のドアをノックした。
朝、七時半。睦月に起こしてと、頼まれた時間である。
夏希は六時に起き、朝食の準備をし、お弁当まで作っていた。
睦月の返事がなかったため、夏希は恐る恐るドアを開けた。
「睦月さーん」
ベッドに近寄り、寝ている睦月を覗き込む。
イビキとかはかいておらず、静かな寝息のみ聞こえた。布団があまり乱れておらず、見た目によらず寝相がいいらしい。
見た目はワイルドで、布団とか剥ぎまくって、シーツをぐちゃぐちゃにして寝ていそうなんだが。
そういえば、家事代行で入っていた時も、ベッドはあまり乱れていなかった。ただ、一週間に一度くらい、ぐちゃぐちゃな時があったような……。
と、そこまで考えて、夏希は顔を赤くする。
まあ、つまり……、そういうことだよね。
なにやら激しい睦月の性生活を想像してしまい、夏希は妄想を頭を振って追い出した。
「起きてくださーい」
ベッドに手をかけ、睦月の肩を揺する。
睦月の手が夏希の腕を引っ張り、夏希は睦月のベッドに引きづりこまれた。夏希は強く抱きしめられ、硬直してしまう。
「あ……、悪い。寝ぼけた」
睦月の力が弱まり、夏希は自由になる。
「不可抗力……な」
「大丈夫です」
夏希は起き上がると、ベッドから少し離れる。
そんな夏希を見て、睦月は頭をボリボリかくと、大きく伸びをして起き上がった。
「おはよう、夏希」
夏希の頭をポンポンと叩くと、洗面所へ向かう。
「朝食、用意してあります」
「いい匂いがすると思った」
朝ご飯は、鮭とだし巻き玉子、ご飯に大根の味噌汁だった。
「和風、いいね」
二人で揃って朝食をとる。
「そうだ。明日は日曜日だから、デートするぞ。行きたい場所を考えておけよ」
「デート……ですか? 」
「そうだ。用事があるか? 」
「ないですけど……、大家さんに鍵を返しに行こうかなって」
「それは今日行ってこい。俺は今日仕事で夕飯はいらない。先に寝てろ」
「わかりました」
睦月は夏希よりも早く朝食を食べ終わると、お茶を飲みながら夏希を見ていた。
もしかして、私が食べ終わるのを待ってくれているのかな?
夏希は、慌ててご飯を食べた。
「落ち着いて食え。俺に合わせないでいい」
「……はい」
夏希は食事のペースを戻した。
「そうだ。仕事は午前で終わらせろ。午後は買い物に行け。化粧品とか、洋服とか買ってこい。デート用のな。生活費用のカードを使えよ。必要経費だ」
「洋服ならありますけど」
「スカート持ってるのか? 」
「一応、デートくらいならしたことありますから」
睦月は、ムッとした顔をする。
「他の男とデートした服なんて捨てろ」
ヤキモチ……かな?
少し気持ちがほっこりする。
もったいないから捨てないと思うけれど、睦月の前で着るのはやめようと思った夏希である。
夏希の食事が終わると、睦月は席を立ち、出かける用意を始めた。夏希も後片付けをする。
「じゃあ、出かけてくる」
睦月は、洗い物をしていた夏希に声をかける。
髪を整え、髭も生えてはいるが整えられていた。どうやら、無精髭ではなかったらしい。
ブランド物のスーツを着こんだ睦月は、 雑誌の表紙にでもでてきそうだ。まだ三十前で若いはずだけど、男の色気があるというか、ダンディって言葉が似合う。
夏希は、手を拭いて玄関まで睦月を見送った。
「あの、お弁当作ったんだけど、いりますか? 」
いらなければ、自分のお昼にしようと思っていた。自分用にしてはちょっと量が多いが……。
「弁当? 」
お弁当箱は、夏希の二段重ねのお弁当箱を使ったものの、足りないかなと思い、二段ともにおかずを入れ、大きめのおにきりを二つつけた。
「いらないですよね。社長がお弁当って、変ですもんね」
夏希は、余計なことをしてしまったかな? と、お弁当の包みを引っ込めようとした。
「いるに決まってるだろ! じゃあ、行ってくる」
睦月は、お弁当を奪うように受けとると、両手を広げた。
「……? 」
「行ってらっしゃいのハグ。本当はチューしてほしいとこだが、まだそのレベルはクリアしてないからな」
「ええっ?! 」
いきなりハグしろって言われても……。
「ほら、遅刻するだろ」
あくまでも、夏希からハグすることを待っている。
夏希は、真っ赤になりつつ、睦月の胸にそっとオデコをつけた。睦月の匂いが、フワッと夏希を包む。
「行ってらっしゃい」
「よくできました」
睦月は、クシャッと笑うと、夏希の背中をポンポンと叩いた。
「仕事時間内なんですけど」
「休み時間ってことにしろ。……嫌だったか? 」
「嫌……じゃないです」
睦月は、抱きしめたい衝動を押さえ、夏希の頬っぺたをキュッとつねった。
「にゃ……にゃにしゅりゅんでしゅか(何するんですか)? 」
「買い物だけどな、十万以下の洋服は禁止な。いいやつ買えよ。あと、靴やバッグも忘れるな」
「はあ? 」
「俺の横を歩くんだからな。わかったか?じゃ、鍵閉めろよ」
睦月は、夏希の頬っぺたを撫でてから玄関を出て行った。
十万の洋服って……。
五千円以上の服だって買ったことないのに。
夏希は頬を擦りながら、そんな高い買い物できるだろうか……というか、何処に買いに行けばいいのかすらわからなかった。
昼までに家事を終え、前の大家さんに連絡して鍵を返した。
その後、いつも洋服を買う商店街に行ったものの、やはり十万以上の洋服があるはずもなく、デパートへ行ってみた。
Tシャツにジーンズ、紺色のコートを羽織っただけの夏希は、何とも場違いというか、化粧くらいしてくればよかったと後悔する。
店に入ってみたが、何がいいんだかわからない。店員も、夏希が購入すると思っていないのか、話しかけてもこない。
ワンピースを手にとり、値段を見て戻す。ワンピースは八万円で、睦月の言っていた十万に足りなかったからなんだが、店員はそんな夏希を見て鼻で笑った。
高いって諦めたように思ったんだろうな……。逆なんだけど。
十三万のワンピースを見つけ、手に取った。いまいちどこにお金がかかっているのかわからなかったが、金額はクリアしている。あまり好みでもなかったが、とりあえず試着してみようと、さっき鼻で笑った店員のところへ持って行った。
「すみません、試着したいんですが。これの九号ありますか? 」
「試着ですか? 」
店員が面倒くさそうに答える。夏希を上から下まで見て、ワンピースの値札をチラッと見る。
「置いてあるだけなんで、あちらになければありませんね。それと……、お客様にお似合いになる品物がうちにあるかどうか……」
カチンときたが、こんなことで喧嘩するのも馬鹿馬鹿しいと思い、夏希はありがとうございましたと言い、店を出る。
なんか、買い物をする気がなくなってしまった。
結局、デパートで口紅を一つ買い、身軽なまま家に帰る。
たいしたものは買えなかったのに、家につくとぐったりと疲れていた。元から買い物は、女子の好きなウィンドーショッピングとやらは苦手だ。
疲れたし、一人だし、スパゲッティでいいか……と、夕飯は簡単にタラコスパゲティを作って食べる。
買い物できなかったし、報告したほうがいいかな……と思い、夏希は睦月が帰ってくるのを、リビングでテレビを見ながら待った。
日にちがかわり、夜中の一時を過ぎた頃、玄関のドアが開く音がした。
夏希が玄関に出迎えに出ると、ややお酒臭い睦月が花束を持って入ってきたところだった。
「なんだ、まだ起きてたのか?ほら、やる」
花束を夏希に押し付けた。
「ありがとうございます。お風呂、いれますか? 」
「いや、シャワーでいい」
「おなかは? 」
「食べてきたが、なにかさらっと食べたいかな。あるか? 」
「雑炊なら」
「頼めるか? 」
「はい」
睦月がシャワーを浴びている間、卵と舞茸の雑炊を作り、たらこを焼く。
「時間外労働だな」
いつのまにか、睦月がシャワーから出て夏希の後ろに立っていた。
「このくらいなら、全然」
「ハグするぞ」
睦月が、夏希の後ろから手を回してきた。ギュッと抱きしめるハグではなく、軽く触れるくらいのハグだった。睦月のシャンプーの香りがフワリと香る。
「これからは、朝と帰りのハグはマストな」
夏希は、赤くなりながらうなずいた。
少しずつ慣れさせようとしているんだな……と思うと、嬉しくて緊張していた身体の力も抜けてくる。
今までの男達は、あまり真剣に受け止めてくれないか、強引にやってしまえば慣れるとばかりかに、無理強いしようとする奴が多かった。夏希の猛烈な拒絶に合い、喧嘩になり別れる……というのがほとんどだった。
夏希が食事を用意すると、睦月がダイニングテーブルに運んでくれる。
「うまそうだな」
夏希がビールもつけると、美味しそうに喉を鳴らして飲み干し、夏希にもすすめる。
夏希もグラスを持ってきてお相伴した。
「あー、うまかった」
睦月は、温かくなったおなかを擦り、ソファーに移動して、夏希を手招きした。
「まだ飲みます? おつまみいりますか? 」
「いいからこい」
夏希がビールのグラスを持って移動すると、夏希の手を引っ張り、睦月の膝の上に座らせた。
「おまえの席はここ。いいな」
「座りづらいです。寄っ掛かれないし」
「寄っ掛かってもいいぞ。おまえくらい軽いもんだ」
そう言われても、寄っ掛かれるものではない。
睦月は、夏希のウエストに手を回して夏希を寄りかからせると、夏希の身体の柔らかさを楽しみながらビールを飲む。
「あの、おかわり持ってきますから」
「うん。次はワインにするか? ブランデーとどっちがいい? 」
お酒は嫌いではないが、この間の二日酔いがえぐかったから、あまり飲み過ぎたくない。
「じゃあ、ワインで」
夏希も、ワインに合うおつまみを作りに行く。
チーズのせクラッカー、ソーセージとキノコのアヒージョ、トマトのマリネ、簡単にチョコレート盛り合わせなど。
飲み過ぎないようにしなくちゃね。
夏希は、料理を運びながら自分を戒めていた。
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